犯人の正体
氷室は待てど暮らせど部屋に姿を見せない桔梗を迎えに行く為、立ち上がる。
(目の届く所で戦わせるべきだった)
氷室が後悔しても、あとの祭りだ。氷室はひとまずリビングへ様子を見に行くが、桔梗と鈴瑚の姿は見当たらない。
ならばと2階に戻ってきた氷室は、意を決して鈴瑚が過ごす部屋の扉を叩いた。
「鈴瑚、入るぞ」
普段ならば聞こえてくるはずの返事が室内から戻ってこないことを不思議に思いながら、氷室はドアノブを捻り室内へと顔を出す。
「氷室先生!」
二人で仲良く肩を並べてベッドの縁に腰を下ろし、分厚い本を覗き込んでいた2人に氷室が声を掛けるよりも早く。
死んだ目で本を覗き込んでいた桔梗は、ぱっと表情を明るくさせると氷室の名前を呼んだ。
(どうなっているんだ……?)
桔梗と鈴瑚が二人仲良く肩を並べていたなら、答えは一つしかないだろう。
氷室は桔梗に向けて手を振ると、鈴瑚を探るような目線で見つめた。
「義姉としては認められませんが、妹としてでしたら……認めても差し上げてもよろしいですよ」
「そうか……」
氷室は桔梗がどうやって鈴瑚を懐柔したかについては、興味を抱けない。
婚姻を認め力にさえなってくれるのなら、氷室がいない間に何があったのかについては桔梗や鈴瑚から事情を聞くつもりはなかった。
「なんです、その反応は。嬉しくないのですか?」
「ああ……ありがとう、鈴瑚。美月のことは……すまない……」
「謝る相手が違います。美月お姉様と合意の上でお兄様が破局をした以上、わたくしが駄々を捏ねるようなことではありませんから」
そうは言っても。今まで散々大騒ぎしておいて、たったの数時間で意見を真逆に変えるとは随分なことだ。
簡単にできるようなことではない。
(桔梗は悪魔ではなく、魔法使いではないか)
桔梗へ新たな疑惑を浮上させた氷室が上の空でぼーっと突っ立っていれば、これ幸いと桔梗が鈴瑚へと話しかけた。
「鈴瑚お姉様。氷室先生のお願い、聞いてくれる?」
うるうると潤んだ瞳で鈴瑚を見つめれば、涙目に弱い彼女は言葉を詰まらせてたじろいだ。
「妹のお願いでしたら、仕方ありませんね」
「氷室先生!鈴瑚お姉様が、お願いを聞いてくれるって。これで、さーちゃんを苦しめた男、豚箱へぶち込めるよ」
「さーちゃん……誰ですか、それは」
鈴瑚は怪訝な表情で桔梗を見つめた。桔梗が紗雪のことをさーちゃんと呼ぶのは、今も昔も変わらない癖のようなものだ。
事件当時、氷室に調べろと命じられていた鈴瑚が、覚えていないわけないのだが……。
「調べてほしいことがある」
「わたくしはこの子がさーちゃんと呼ぶ人物が誰なのかと聞いていますの。誰であるかについて、きちんとわたくしに情報を開示しなさい」
問いかけられた氷室は、素直に情報を開示した。桔梗がさーちゃんと呼ぶ人物は天門紗雪であること。
天門紗雪が一時期行方不明になった際の事件を解決する為に、氷室へ協力して欲しいと──。
「……お兄様、また厄介な事件に首を突っ込んでおりますのね」
「俺が首を突っ込んだのではなく、また美月が俺を巻き込んだんだ」
「お兄様なら事件を解決してくださると、信頼しているのでしょう」
「他人事のように言うなよ。俺は医者だ。特別な力など持ち合わせてはいない。お前がいなければ、天門総合病院の臓器売買事件すらも解決できなかった」
「……わたくしは捜査支援分析課の職員ですのよ。凶悪犯の尻尾を掴むための力は、当然備わっているべきです」
鈴瑚は一瞬難しい顔をしたが、すぐに胸を張った。
鈴瑚の腕は確かだ。威張られても、それが気に食わないとは思わない。
(鈴瑚は立派に育った。それに比べ、俺は……)
医者としては最底辺の兄を、変わらずお兄様と慕う。
それがどれほどありがたいことか。実感した氷室は、重苦しい口を開いた。
「鈴瑚」
「何事ですか、改まって私の名を呼ぶなど……」
「ここに、音声データが二つある。一つは天門紗雪が行方不明となった際に録音した。犯人と思われる男との音声データだ。これは公にされていない。将来的には警察へ証拠として提出することになる」
「行方不明になったのは悪魔の子を先導するのに疲れてしまったと、会見で本人の口から説明があったはずですが」
「表向きの理由だ。彼女は殺害さそうになった所を美月に助けられ、俺の元へとやってきた。詳しいことは音声データを確認してくれ」
「もう一つの音声データは、どのようなものですか」
「犯人を特定する為に必要な音声サンプルだ。音声解析をして、声の主を特定して欲しい。特定まで済めば、あとはこちらでどうにかする」
「お兄様が、どうにかできるものなのですか」
氷室はどうにかできるなどとは考えていなかったが、どうにかするしかない所まで追い込まれているのだから仕方ない。
鈴瑚は難しそうな顔をすると、ベッドの縁から腰を浮かせ、勉強机の上に載せてあるデスクトップバソコンの前へと向き合うと、ヘッドホンを耳につける。
「いいでしょう。わたくしの手に掛かれば、音声分析など造作もないことですので」
「鈴瑚お姉様、すごーい」
「わたくしをおだてるのでしたら、音声分析を終えてからにしてくださいませ」
勉強机の前に置かれた椅子に座った鈴瑚は、恐ろしい速さでキーボードを叩き、マウスを動かすと音声分析を始めた。
手持ち沙汰の桔梗は氷室の元までやってきて、氷室の腕に自身の手を絡める。
一分一秒と離れていたくないと宣言する通り、隙あらば氷室と触れ合っていたいのだろう。
氷室も拒む理由はなく、右腕に纏わりついてきた桔梗の頭を優しく撫でつけてやった。
(可愛がり方が完全に猫だな……)
恋人として、もっと違ったスキンシップの仕方があるはずだ。
氷室は今更そのもっと違ったスキンシップの仕方を1から調べ直す気にもならず、桔梗が喜んでいるからいいかと改善せずここまで来た。
「……嫌なら言えよ」
「氷室先生が私へしてくれることに、嫌なことなど一つもない」
「そうか……」
「私とお付き合いするようになってから、氷室先生自ら私に手を出してくれるようになってすごく嬉しい。遠慮などせず、もっと私に触れていいからね」
念のため桔梗へ問いかければ、嫌がる所かもっとして欲しいと強請られてしまった。
氷室は、異性に対してべったりと肌を触れ合わせるようなことはない。
美月とは心さえ繋がっていれば、身体の繋がりを問うことはないと考えていたタイプで、桔梗ともそのつもりだった。
桔梗は、氷室の恋人になったからには身も心も自分のものにしなければ満足ができないのだろう。
氷室はすでに美月へなんの感情も抱いていないのに──桔梗はいつだって、美月の幻影から氷室を奪い取ろうと必死なのだ。
(美月よりも俺に愛してほしいと考えことは、悪いことではない)
そのやり方が、問題なだけなのだ。氷室の心は、桔梗のものなのだから──。
(俺がもっと、気持ちを伝えてやるべきなんだろうな……)
氷室が桔梗への愛を口にしないからこそ、不安になって行動がエスカレートするならば。
人の目など気にせず、氷室は桔梗を愛していると全身で伝えるしかなかった。
「──音声分析が終了致しましたわ」
桔梗の頭を撫でていた氷室が抱きしめてやるかと手を離した瞬間に、静かな声が聞こえてきた。
桔梗が氷室の腕にまとわりついていることを確認した鈴瑚は一瞬顔を顰めたが、自身が分析した内容を話すのが先決だと考えたのだろう。
桔梗の件について苦言を呈することはなく、結果について話し始める。
「どうだった」
「サンプルデータと一致する人物の特定が、完了いたしましたわ」
天門紗雪を銃殺しようとした男が誰であるかをはっきりさせるため、桔梗に頼んで音声をかき集めてもらった。
合致する音声があったならば、桔梗が日常的に会話できるほど近い所で暮らす男は、銃を所持したままのうのうと暮らしていることになるだろう。
「まずはこちらをお聞きください」
野放しにしておけば、桔梗の命が危険に晒される。
天門紗雪を銃殺しようと画策し、桔梗の側で過ごす人物が誰であるのかを知るのは、この場では鈴瑚だけだ。
氷室は自身の腕に纏わりつく桔梗の腰に腕を回し、密着した状態で鈴瑚がヘッドホンを外す所を確認する。
音声出力をスピーカーに戻したことで、室内に流れる音声を桔梗と共に聞くことになった。
『お前は6年前、1年以内に病気で死ぬと宣告されていたよな。どうして生きているんだよ!』
『わたしには……使命が、ある……。悪魔の子を、助ける……使命が……』
『悪魔の子なんざ助ける必要なんざねぇだろ!健康な俺たちを生きたまま殺してバラバラした挙げ句、助けられた命だぞ!?』
犯人と思われる男の悲痛な叫びと、銃で脇腹を打たれる前の紗雪が言いづらそうに会話をする音声を再生した鈴瑚は、続け二つ目の音声を流す。
『家族が……っ。弟みてぇな存在が殺されてんだぞ!?臓器をバラバラにされて、5人の悪魔に移植された!許せるわけがねぇ!悪魔の子を許せねぇと思うオレの感情こそが正しいに決まってんだろ!?』
その音声は、氷室が一度も耳にしたことのない音声だった。
桔梗が東京でアイドル活動の傍らかき集めた音声なら、氷室が知り得ない音声であるのは当然のことだ。
ただ、その音声の内容が問題だった。
「この二つの音声には、全く同じ声音で似たようなことを叫ぶ、男の声が録音されています」
前者は健康な人間を生きたまま殺してバラバラしたと紗雪へ怒鳴りつけ、後者はおそらく桔梗に対して臓器をバラバラにされて、5人の悪魔に移植されたと叫んでいる。
鈴瑚がわざわざ音声解析をしなくとも、その声が同一人物であることは誰だってわかることだ。
「お兄様は頼る相手を間違えています。彼がどうしてこのような思考となったのかを明らかにするためならば……最終的にはわたくしを頼らざる負えないのでしょうけれど……。彼については、わたくしよりもあなたの方が詳しそうです」
「この音声の男は誰だ」
氷室は銃を所持している危険人部が桔梗と口論になっていたことを把握できていなかった。
その悔しさを滲ませたせいで、桔梗へ問いかける口調にも熱が入る。
桔梗は内心、氷室と密着するべきではなかったと後悔しているだろう。
氷室に問いかけられた桔梗は、作り笑顔を浮かべてこの場にそぐわない明るい声を出した。
「そっか……。だからさーちゃんと美月先生は、黙っていたんだ……」
「桔梗」
「知りたい?」
「……名前が分からなければ、対処のしようがないだろ」
「そうだね。氷室先生も知っている人だよ。でも、馴染みはない名前かもしれない。私はあの人の名前を、呼ぶわけにはいかなかったから……」
氷室も知っていると告げられても、心当たりなどあるわけがない。
寂しそうに笑った桔梗が口にするつもりがないならばと、氷室が鈴瑚へ名前を告げるように視線を巡らせた時だ。
氷室の腕に縋りついていたことを利用して。背伸びをした桔梗は、氷室の耳元で囁いた。
「声変わりしているから、わからないよね。彼は、天門総合病院の院内学級に通っていた」
桔梗と同じ院内学級に通っていた生徒は全部で7人。
男女比は4:3で、氷室が事件を解決する直前1人の男子生徒が亡くなっている。
亡くなった男子生徒は両親の証言により、脳死ドナーとしての扱いを受けて5人の臓器移植を持つ患者へ身体を切り刻まれて臓器を提供していたはずだ。
「なら、あいつは」
当時のことを思い出した氷室は、桔梗がある男子生徒の名前だけ、頑なに呼ぼうとしなかったことを思い出す。
桔梗を好きであることは明らかなのに、まるでそこにいないような扱いを徹底していた、ある少年の声と録音された音声は似ても似つかないが──口調だけは、寸分違わず似ている気がした。
「彼の名前は正路直道、17歳の高校2年生。天門総合病院に長年入院しており、あなたとも交流があった……」
耳元で囁かれた驚愕の事実を必死に飲み込もうとしている氷室へ追い打ちを掛けるようにして、鈴瑚が男の本名と年齢を口にする。
「むぅ。私が氷室先生に伝えたかったのに……」
「説明したいことは山程ありますの。ちんたらしているなら、わたくしから説明した方が早いですよね」
「そうだけど……」
声からして年若い男の可能性は考慮していたが、まさか未成年だとは思わない。
氷室は事実を受け入れる準備ができるまで、桔梗と鈴瑚に詳しい説明をするのは待つように命じた。




