一生目覚めないでと、祈りを込めて(桔梗)
『き、桔梗ちゃん!し、白雪先生が大変です……!』
珍しい人物から連絡を受けた桔梗は、慌てふためく電話の主に何事かと問いかける。
現在桔梗は明日から年末年始の長期休暇を取得するため、最後のラストスパートを仕掛けていた。
22時までぎっちりと仕事が入っており、帰宅予定時刻は23時。帰宅して1時間もすれば、日付変更時刻だ。
(もういくつ寝ると、お正月とはよく言うけれど……)
半日もすれば愛しの氷室に会えると、気合を入れた矢先。
彼の側に無条件で居続けられる女から連絡が来た桔梗のテンションは、みるみるうちに下がっていく。
「桔梗ちゃん……」
同じ番組に出演予定の、国民的アイドル時代の先輩である宇都宮鏡花が、不安そうに彼女を見つめる。
(鏡花ちゃんに、心配掛けちゃった)
仕事が終わるまでは、桔梗がどんなに願っても。氷室と顔を合わせることはできないのだから、那須宮を恨んで仕事のスイッチをオフにしてしまえば、リテイクを食らって撮影が長引き明日に支障が出てしまう。
「何の用?私、貴女とお話しているほど暇ではないから」
『ひ、ひええ!ご、ごめんなさいぃ!』
「謝罪は必要ない。何があったの」
鏡花へ心配ないと笑顔で手を振った桔梗は、誰が聞いているかもわからぬ場所で氷室の名前を出すわけにも行かず――硬い声で那須宮に問いかける。
どうせ、彼女のことだ。
くだらないことを大袈裟に伝えてきているだけだと高を括っていた桔梗は、彼女の話を聞いて眉を顰めた。
『それが……その……し、白雪先生……。ぜ、全然眠れていないみたいで……!顔色が、優れないんです。明日、桔梗ちゃんと会うため空港へ向かいましたが、足取りも覚束なくて。どこかで倒れていないかと心配です……っ』
桔梗は仕事をほっぽり出して、氷室を迎えには行けない。
(もっと早くに、連絡してくれたらよかったのに)
桔梗が直接行けなくとも、吉更に頼み込めばきっと協力してくれたはずだ。
桔梗が拳を握り締めれば、握り締めた拳に触れる手があった。
「……桔梗ちゃん、手が傷つくから……」
宇都宮鏡花は、影が薄い。
桔梗も彼女と共にいる際は常に気配を確認しているが、把握しきれない時の方が多かった。
今回も電話の話し声へ耳を澄ませている間に、元いた場所から歩みを進めていたのだろう。
「ありがとう、鏡花ちゃん。大丈夫だよ」
「……お電話、邪魔して……ごめん、ね……」
「いいの!気にしないで」
那須宮との通話を終える口実ができたと喜んだ桔梗は、捨て台詞を残して通話を終えた。
「貴女に彼を、心配する義理はない」
『ひえっ、き、桔梗ちゃ……!』
スマートフォンの画面には、通話終了の文字が記載されている。
桔梗はしばらくスマートフォンの画面を睨み付けていたが、ある人物からの新着メッセージが受信された通知を見て、鏡花から手を離す。
『氷室先生と合流した。心配すんな』
吉更と桔梗は以心伝心。
言葉にして伝えなくても、桔梗のしたいこと悟って行動に移してくれる有能な双子の弟がいたことに感謝をしなはら、桔梗はスマートフォンを操作しメッセージを確認した。
(持つべきものは、双子の弟だね)
桔梗は輝かしい笑顔を鏡花へ向ける。
「鏡花ちゃん。ラストスパートだよ!行こう!」
2人は手を繋いで、ドラマの撮影へ向かった。
*
「愛知桔梗さん、宇都宮鏡花さん。オールアップです!」
ドラマの撮影は順調に終了した。
親睦を深める為に忘年会も兼ねてこれから飲みに行かないかと誘われたが、桔梗は一刻も早く自宅へ戻り、氷室と顔を合わせる為にも英気を養う必要がある。
「ごめんなさい。迎えを待たせていて……また誘ってください!」
「ええ、桔梗ちゃん、来ないの?」
「桔梗ちゃんが来ないなら僕らも……」
桔梗が飲み会の誘いを断れば、乗り気だったキャスト陣は次々に辞退し始める。
(言い出しっぺの顔を潰してしまったかな……)
埋め合わせは、後ですればいい。
挨拶もそこそこにスタジオを後にした桔梗は、控室に置かれた鏡花の荷物がガサゴソと音を立てていることに気づき彼女を呼ぶ。
「鏡花ちゃん!夜も遅いから、焔華さんに送って貰おう!」
「……い、いいの……?」
桔梗から声を掛けられると、先程まで姿が見えなかったはずの鏡花が姿を見せた。
(魔法みたい)
声を出せば認識できるが、黙っていると認識できない。
そこにいるのにそこにいない透明人間や幽霊のような彼女が、かつてはImitation Queenのセンターであり伝説のアイドルを模倣して美しく輝いていたなど告げた所で、信じる人間の方が少ないだろう。
(私は鏡花ちゃんが、あの人のコピーではなく……本来の自分を取り戻したことは、よかったとは思うけれど……)
そこにいるはずなのに、そこにいない扱いを受けるのは大変だ。
桔梗よりも危なっかしい鏡花を放っておけなくて、ついつい面倒を見てしまう。
(鏡花ちゃんも、同じことを考えているのかもしれない……)
桔梗と鏡花は、ある意味で似た者同士なのか。
鏡花が桔梗に気にかけられていることへ罪悪感を感じ、お得意の模倣をしているだけなのかはなんとも言えなかった。
(嫌われていないなら、なんでもいいや)
桔梗は鏡花の態度よりも、気にかけなければならないことが山ほどあるのだ。
焔華と合流して車に乗り込んだ桔梗は、鏡花が自宅に戻る姿を見届けてから帰宅する。
「吉更の車がないけど。こんな夜更けまでどこに行ったわけ?」
「あれ?きーちゃんから連絡来ていないの?氷室先生を迎えに行ってくれたの」
「迎え……?会うのは明日でしょうが」
「その予定だったけどね。氷室先生、体調が悪いみたいで……」
「まさか、インフルエンザじゃないでしょうね」
焔華は吉更から外出の連絡を受けていなかったらしく、不機嫌そうに音を立て車のドアを閉めた。
焔華にとって桔梗は守るべき妹であり、大切な商品だ。
いくら長期休暇を取ることになっても、流行り病を移されることは許せないのだろう。
「インフルエンザって……顔が真っ赤になるよね。高熱で。氷室先生、真っ青みたいだから違うよ、きっと」
「明日は、待ちに待った日でしょうに……青ざめているって何なのよ……」
氷室が体調を崩している理由は、本人に聞かなければわからない。
桔梗は焔華共に室内へ足を踏み入れると、入浴を済ませてベッドに横たわった。
(半日もすれば、氷室先生に会える……)
桔梗は幸せな気持ちに包まれながら、目を閉じた──はずだ。
「すぅ……す……ぅ……」
「ん……」
遮光カーテンの隙間から差し込む、眩しい光に照らされて。目覚めた桔梗は、自分以外の寝息が聞こえてくることに気づき、飛び起きた。
幼い頃ならともかく、大人になってから吉更が桔梗の部屋で寝るなどあり得ない。
焔華と喧嘩したとしても、自室に戻ればいいだけの話だ。
桔梗はどくどくと高鳴る心臓を押さえながら、ゆっくりと寝息が聞こえる方向にいる人物へ視線を向けた。
「……っ!」
思わず叫びそうになった桔梗は、胸元を抑えていた手を口元に当て言葉を飲み込む。
(氷室先生だ……!)
布団を剥ぎ取り、ゆっくりと音を経てぬようにベッドから立ち上がった桔梗は氷室の前へ膝をつく。
寝ていることを確認する為、下を向いて腕を胸の前で眠る氷室の表情を至近距離で覗き込んでは、顔を綻ばせた。
(氷室先生……顔色、悪くはなさそう……)
焔華はインフルエンザか風邪かもしれないと疑っていたが、桔梗は風邪菌には負けないタイプだ。
(氷室先生の風邪が移ったとしても……気合で治すから、問題ないもの)
桔梗は当然のように氷室の唇を奪い、首元に抱きついた。
(氷室先生、大好き)
氷室が夢の中にいるのをいいことに好き勝手彼の寝顔を堪能しては首元に顔を埋める桔梗は、思っていたよりも早く幸せな時間を過ごす。
(きーちゃんに、後でお礼を言わなきゃ……)
吉更が気を利かせて空港へ迎えに行かなければ、桔梗と氷室の再会は数時間後だっただろう。
(このままずっと、氷室先生が目覚めなければ……)
氷室が目覚めなければ。彼の意思に関係なく。
好きなだけ触れ合っていられるが、それでは張り合いがない。
(声を聞かせて。私の名前を呼んでほしい)
最初は氷室の顔を見れたら、それだけでよかったのに。
好きになって欲しいと願い、ずっと一緒に居たいと願ってしまっている。
(……欲深いなぁ)
桔梗の欲望は、尽きることなどないようだ。
(人生にゴールがあるとするならば……それは、死ぬことだから)
氷室と婚姻し、共に暮らす夢が叶ったとしても。
桔梗は絶えず、氷室を求めるのだろう。
死がふたりを分かつまで。
氷室が桔梗の欲望に付き合いきれないと音を上げるまで、桔梗は氷室を求め続ける──。




