12月末:弟が姉を思う気持ち
桔梗が所属していた国民的アイドルグループ、Imitation Queenの冠番組に生放送で出演した際、ファンからの質問を募った手紙で脅迫を受けた。
衝撃的な生放送から二週間が経ったが、氷室はこの間過ごしていた記憶が曖昧だ。
一度桔梗から連絡を受けたような気もしているが、覚えていない。
一睡もできない日々が続き、酷い顔で診療所に現れる氷室の姿を見て、那須宮は化け物でも見たときのような顔をしては叫んでいた。
「ひえええ……っ。し、白雪先生……!お、お願いですから!休んでください……っ」
「休むだと?必要ない。今日を終えれば、長期休みだ」
「目の下の隈が!小さなお子さんが泣きますから……!」
那須宮の静止を聞かずに診療所で診療に励めば、彼女の心配通り幼児に泣かれ、診療効率が著しく低下する。
診療を終えた氷室は、診療室の机に突っ伏していた。
(幼児の鳴き声が、頭にこびりついて離れないな……)
思った以上に疲弊していることに気づいた氷室は、那須宮の言葉に従わなかったことを後悔していた。
「し、白湯先生……だ、大丈夫ですか……?これからバスに乗って、空港へいかないと……乗り遅れるんじゃ……?」
「そうだな……」
一分一秒でも早く東京へ行きたいと欲を出し、事前にチケットを購入していたことを後悔しながら、机に突っ伏していた氷室は立ち上がる。
1DKのマンションには、それほど多くの荷物を持ってこれなかった。
氷室が美月と婚姻しないと決めたことを知り、怒り狂った鈴瑚が処分していなければ、7年前から実家に放置した荷物が保管されているはずだ。
「良いお年を」
「ひゃ、ひゃい!よ、良いお年を!ほ、本当に、気をつけてくださいね……!」
着の身着のまま診療所を出た氷室は、バス停までの道のりをおぼつかない足取りで進む。
これから一週間。美しい海は見納めだ。
(6年ぶりか……)
桔梗のライブに顔を出してから一切東京に戻っていない氷室が沖縄から出るのは、実に6年ぶりのことだった。
6年も経てば、再開発の進む町並みが様変わりしていてもおかしくはないだろう。
氷室は空港行きのバスに乗り込むと、眠気覚ましにのど飴を舐めながら桔梗へ連絡を取った。
『予定通りの飛行機で帰る』
明日から年末年始の長期休暇を取得する為、桔梗は夜遅くまで仕事が入っている。
返信が帰ってくるわけないと知っていた氷室は、バスに揺られ空港に到着すると、搭乗手続きを済ませて飛行機に乗り込んだ。
*
「しろゆき先生」
一体いつまで間違った呼び方で、氷室を呼ぶつもりなのだろうか。
羽田空港で待ち構えていたのは、桔梗の双子弟である吉更だった。
彼と顔を合わせるのは半年ぶりだが、明日は平日だ。
夜遅くまでフラフラとしていれば、明日に差し支える。
吉更の職業はスケートボードのインストラクターだ。
年末年始は生徒たちも休みなのだから、かきいれ時に夜中までふらついていてもいいのだろうか……。
「あいつに言われたのか」
「それもあるけど、俺が話したかったんで。しろゆき先生、移動手段電車ですよね。俺、車で来たんで。車内で話せませんか」
「ああ。構わん」
氷室は吉更と肩を並べて歩き始めた。
桔梗とそう変わりなかったはずの身長は、氷室を追い越すほどに伸びている。
幼い頃の面影こそあるが、桔梗と二人並んで双子だとひと目でわかるかと聞かれたら、微妙な所だった。
吉更の耳たぶには、桔梗の花を象ったイヤリングが身に着けられている。
吉更の耳たぶにつけられた桔梗の花を象ったイヤリングと吉更の顔を見比べた氷室は、小さな声で呟く。
「嫌味なほど、似合うな」
氷室が雪の結晶を象ったイヤリングを耳につけていると、那須宮に驚かれるほど違和感があるのに。
吉更がつけているとファッションの一環としてなんの疑問もなく受け入れられるのだから、不思議なものだ。
「しろゆき先生って、柄シャツ着ているとその辺のオッサンにしか見えないですね」
「仕方ないだろ。オッサンなのは事実だ」
「その柄シャツ、捨てた方がいいですよ。似合っていないんで」
「……ああ……」
氷室は吉更に指摘されて始めて、自分が悪趣味な柄シャツを着ていることに気づく。
(自分が何を着ているかすらも覚えていないとは、重症だ……)
診療中は白衣を羽織、何を着ていても見えなくなる。
桔梗のことが心配で徹夜が続いていた氷室は、正常な判断が難しいほど追い込まれていた。
「なんか今日のしろゆき先生、張り合いがないですね。もっと喧嘩を売りに来てくださいよ」
「俺だってもう若くはない。お前のように四六時中元気いっぱいとは行かないんだ」
「俺だって、さっさと寝たいですよ。夜中も元気に仕事していられるのは、あいつだけです」
吉更は桔梗とは違うと不貞腐れ、地下駐車場に停車してあった車の鍵を開ける。
氷室が助手席へ乗り込んだことを確認すると、運転席でハンドルを握る吉更は車を走らせた。
「付き合うことになったと、聞きました」
「……ああ」
「俺と焔華さんに、言う事ありません?」
焔華に対しては、面倒を見ている娘さんをくださいと、頭を下げる必要があるかもしれない。
弟にも姉をくださいと、頭を下げる必要はあるのだろうか……?
「後にしてくれ」
「嫁にするなら、義理は通せってことですよ。そんなこともわからないんですか。オッサンなのに」
「……交際は事実だが、婚姻については本決まりではない。本決まりになったら、義理は通す。それまで待ってくれないか」
氷室は鈴瑚をどう説得するかばかりを考えていたが、説得するべき敵は鈴瑚だけではない。
(鈴瑚が終わってからにしてくれよ……)
氷室が優先するべきは、紗雪の件を解決するために欠かせない鈴瑚に、桔梗との交際を認めることだ。
遅かれ早かれお伺いを立てる必要があるのだから、さっさと挨拶しに来いと怒鳴られた所で、神奈川焔華と吉更を気にする時間など、氷室にはなかった。
「食い散らかすだけ食い散らかして、他の女引っ掛け捨てるのは、許しませんよ」
「どうでもいいはずだろ」
「俺はどうでもいいけど、焔華さんはどうでもよくない。桔梗のこと、守るべき人間だと思っているんで。出会った時から、ずっと……」
神奈川焔華は愛知桔梗を過去の自分と重ね、同情している。
氷室が望み通り挨拶をした所で受け入れられるかなど、想像のしようがない。
(神奈川焔華はともかく……弟がな……)
吉更は神奈川焔華に、並々ならぬ思いを抱いているようだ。
焔華が傷つくことを吉更は許さないし、彼女の思うがままに物事を進めることこそが正義だと考えている。
桔梗の中心が氷室であるように。吉更の中心は、焔華なのだ。
そうした価値観は、外野の氷室が逆立ちしたって変えられない事実なのだから、受け入れるしかない。
氷室が吉更と焔華にしてやれることがあるとすれば、双方納得がいくような説明をするしかないのだろう。
「挨拶はするし、責任も取る。ただ、少し時間がほしい。今すぐでなければ駄目なのか」
「そうやって先延ばしにするのが、責任を取らず尻尾巻いて逃げるんじゃないかと疑われていることに気づいてます?気づいてないから、堂々と口にできるんでしょうけど」
「俺にも事情がある」
「どんな事情ですか」
「それは……」
氷室は吉更に、告げるべきか迷っていた。
桔梗ではなく氷室に聞いてくるのは、彼女に聞いた所で口を割るわけがないと端から諦めているせいだろう。
桔梗は、一度決めたことを意地でも曲げない女だ。
何度問い質そうとしても、答えが聞けないのならば話しかける気にもならない。
そうして吉更は諦め、氷室に聞いてきたのだとしたら──。
(弟を巻き込むつもりはないはずだ)
仲間に引き入れた所で、吉更に何ができると言うのだろう。
紗雪が銃撃を受けた際の音声を聞いている以上、中途半端に事件へ関わっている今の状況は問題でしかないが──一歩先へ進ませた所で、吉更がどんな反応を示すのかがわからない。
そう安々と打ち明けるわけには行かなかった。
紗雪の事件を解決するために単独行動をするような正義感の強い人間であれば、目も当てられない。
氷室は吉更の人となりを把握してから、現在の状況を伝えたかった。
「桔梗の奴、また変なことに巻き込まれているんだろ」
変なことが、何を示すかにも寄るだろう。
信号待ちで停車した車の中で、吉更はハンドルの上に顎を載せて力を抜くと、深いため息をつく。
(天門紗雪の件か、生放送で脅迫か、双方なのかがわからない以上、思い込みで相槌を打つのは危険だ)
氷室が緊張の面持ちで押し黙っているからか。
吉更は信号が青になったことを確認すると、車を走らせた吉更は自身の気持ちを吐露する。
「桔梗はうまくやっているつもりでも、うまくやったつもりになって喜んでるだけだろ。詰めが甘すぎる」
「はぁ……」
「しろゆき先生だってわかるだろ。桔梗が絶対の自信を持ってやることは、大抵うまく行かない」
吉更は一つ一つ、例を上げて氷室に説明する。
交際中の彼女がいた氷室を誘惑しようとしたり、天門総合病院の件で吉更に相談することなく、天門紗雪と手を組んで自らの死を回避しようとしたこと……。
前者は長い年月を賭けて成功してはいるのだが、吉更は氷室が桔梗を好きになった理由が泣き顔であるのを知らないだろう。
失敗した扱いになっている浮気の件を成功しているなど告げたなら、やぶ蛇になりかねない。
氷室は静かに、吉更へ問いかけた。
「お前にすべてを打ち明けたならば、うまくいくとでも?」
「俺と桔梗は双子だ。一人ではどうしようもないことだって、2人でならば乗り越えられる。それは大人になっても変わらない。桔梗は俺に全てを打ち明けるべきだって、しろゆき先生も思うだろ」
桔梗と吉更。
どちらの立場に立つべきだと聞かれたら、氷室が桔梗を優先するのは当然のことだろう。
桔梗を裏切るような真似は、するべきではない。
(桔梗を一番理解しているのは、俺ではなく弟だ)
不測の事態が起きてから吉更に説明するくらいなら、条件付きで今すぐ打ち明けた方が、もしもの保険にもなる。
(弟の思う壺だな)
桔梗は、氷室が吉更に黙っていることをすべて打ち明けてしまえば怒るかもしれない。
(怒鳴り散らされ、嫌われたとしても)
桔梗の安全がより確かなものとなるならば、尻込みしている場合ではないだろう。
「お前は何が知りたい」
「桔梗が天門紗雪を助けるために、何をしようとしているのか。脅迫の手紙が送られてくるほど危ない橋を渡っているなら、当然俺も把握しておくべきだろ」
よくよく聞いてみれば、氷室が頭を悩ませる必要がないほどに。
吉更が知りたがっていることは、大したことではなかった。
「桔梗には、俺が話したと告げないでくれ。それから……」
「まだあるわけ」
「一連の事件は俺が責任を持って解決に導く。話を聞き終えても、独断専行だけはするな。大人しくしていると、誓ってくれ」
氷室が運転中の吉更を見つめて告げれば、彼は小さなため息と共に本音を吐露する。
「また、仲間はずれかよ」
吉更は今度こそは桔梗の力になってやりたいと考えていたようで、悔しそうに唇を噛みしめる。
(桔梗の力になりたいと願うならば、代わって欲しいくらいだ)
医者である氷室や、一般人として暮らしている吉更が犯罪者と戦うには荷が重すぎる。
戦い方を知らない吉更と、不可抗力とはいえ、日本始まって以来の医療事件と語り継がれる殺人犯を確保した氷室を比べるならば──氷室が責任を持って事件を解決に導くべきなのだ。
(現実逃避した所で、事件を解決に導けるわけではない)
命の危機と隣合わせの事件を解決に導くために。
なんの力も持ち合わせていない、未来ある若者を巻き込む訳にはいかないだろう。
「お前には、お前にしかできないことがあるはずだ」
「俺にしかできないことって、なんだよ」
「……もしものときは、桔梗を頼む」
「頼まれたって、どうしようもできねぇよ。桔梗は氷室先生がいなくなったら……」
氷室も刺し違えてまで犯人を確保したいとまでは考えていないが、どうなるは始まってみなければわからない。
軽い気持ちで告げた言葉の重みに潰れそうな吉更を見かねて、氷室はとびきり明るい声を出した。
「冗談だ」
「冗談で済まされると本気で思ってんのかよ。許されねえからな。氷室先生が俺に全部話してくれたと、桔梗にチクってやる……」
「洒落にならないからやめてくれ」
「俺を勘違いさせた氷室先生が悪い!」
吉更は氷室を間違った呼び名で呼んでいたはずだが、いつの間にか、桔梗と同じ呼び方に変化している。
(怒るとそっくりだな……)
氷室はガミガミと叱りつけてくる吉更の声をBGMに、桔梗の姿を重ねながら腕を組んで助手席で目を閉じた。




