12月上旬:イカレ警察官
『久しぶりだねえ、氷室くん。元気していたかい?』
紗雪が出演する恋愛リアリティショーの撮影数日前。
数年ぶりに声を聞く、ある人物からの連絡に氷室は動きを止めた。
「藤井さん」
『おじさんはぼちぼちって所よ。美月ちゃんにお願いされて用意したご希望の若い衆が、事前にある程度情報共有をさせてくれないかとうるさくてねぇ……』
「撮影開始は3日後だぞ」
『前乗りするからさぁ、お話聞かせてくれない?』
話を聞かせてくれと言われても。紗雪を銃殺しようと試みた悪魔の子連続殺害事件の犯人が誰であるかは、氷室も知らされていなかった。
現役の警察官である男は番組ではじめましてと挨拶するよりも先に、紗雪へ会いたがっているようだが、彼が本当に味方である保証すらないのだ。
紗雪の安全を最優先に考えるならば、事前に引き合わせるなどとんでもない。氷室の答えは当然NOだ。
藤井が信頼の置ける人物であると太鼓判を押し、命を賭けてもいいと思えるほど信頼の置ける人物であれば、話は別だが……。
「裏切らない保障が何処にある」
『そりゃそうだけどさ?こっちも信頼して貰わないと。美月ちゃんの顔を潰すようなこと、おじさんがすると思う?』
「藤井さんのことは信頼しているが……」
『氷室くんが目を光らせていればいいだけの話だよね?』
「……俺だって暇ではない」
『当日はじめましてから始めると、彼女の守る価値を模索する所から始めないといけないからねぇ……』
藤井はどうしても事前に、紗雪と引き合わせたいようだ。
(守る価値がなければ、あいつを守らず見殺しにするのか?)
仕事として紗雪を守ると決めたなら、個人的な感情は切り離してほしい。
この話を聞くだけでも精神的に未熟であることが窺える男が、紗雪を守りきれるのだろうかと心配になった氷室は、考えた末に藤井の申し出を受けることにした。
「……前日でいいか」
『さすが氷室くん!了承してくれると思っていたよ!実は、もう飛行機に乗っていてね。診療所の診察終了時間にあわせて、そちらに着くように告げてある。気難しい子だが、弟だと思えば可愛いもんよ。それじゃあ、あとはよろしく』
氷室が前日ならばと折れたなら、先を見越していた藤井が今日中にこちらへ到着するよう若い男を向かわせたと告げた。
これに慌てた氷室は、紗雪の居なくなった休憩室で食事中の那須宮に声を掛ける。
「那須宮」
「ひゃ、ひゃい!」
「今日の夜、空いているか」
「え、えと……。わたしはいつでも暇ですけど……?」
若い女がいつでも暇だと告げるのは色々と問題があるだろう。
不思議そうな顔をしている那須宮へ、氷室は先程藤井から聞いた事実を伝える。
「警察官のサクラを用意する話があったな」
「は、はい……。それが、どうかしました……?」
「診察終了時間に合せて、今日の夜顔を出すそうだ」
「きょ、今日の夜ですか!?」
あまりにも急なことで、那須宮が素っ頓狂な声を上げた。
紗雪がこの休憩室で過ごしていた数ヶ月前とは異なり、彼女は那須宮の部屋で暮らしている。
履歴書を目にしたことはあっても、初対面の男を女の部屋へ招くことなどできないだろう。
男が紗雪と顔を合わせたがっているのならば、どうにかして早急にこの場へ紗雪を呼ぶ必要があった。
「こちらの都合を鑑みず、アポなしで押しかけてくるあちらが悪い。明日の朝通勤時に天門を連れてくればいいだろう」
「で、でも。二度手間になりますよね……?白雪先生の目が行き届く場所で顔を合わせるつもりなら、今日の夜引き合わせた方がいいんじゃ……?」
休憩時間はあと30分で終了する。
氷室と那須宮が二人揃って紗雪を診療所へ連れてくるにしても、1時間は見ておきたい。
隠居中の大先生へ声を掛ければ、氷室の代わりは務まる。
老後を静かに暮らしたいと一線を退いた大先生を都合よく利用したくない氷室は、難色を示していた。
「真っ昼間に堂々と出歩くか、真夜中に出歩くかなら、前者の方が安全だ」
恋愛リアリティー番組の撮影開始は今日を含めて3日後。
明日でも余裕で間に合う日程だ。
「戻ったら、天門に伝えてくれ。明日、朝から診療所に顔を出すように、と」
「そ、それは、構いませんけど……」
那須宮は本当にそれでいいのかと氷室を怪訝そうな顔で見つめていたが、氷室と那須宮にとって今回の件は都合がよかった。
(サクラの人となりを、あいつへ引き合わせる前に見るいい機会だ)
紗雪が誰と交際しようが氷室にとってはどうでもよかったが、警察官の男が信頼たりうる人物であるかどうかは、氷室にとってはかなり重要だ。
「見極めるぞ。天門の相手が、信頼に足りうる人物であるかどうかを」
「ひゃ、ひゃい……!」
男を見極める必要がどこにあるのかと不思議そうにしている那須宮と決意を新たにした氷室は、診療時間終了後に件の人物と初めて顔を合わせることになった。
*
「し、白雪氷室さんですか!?」
診療所に、件の男がやってきた。
氷室も顔写真でしか見たことがなかったその男は、緊張の面持ちで氷室の名を呼んだ。
「そうだが」
「そ、そうでしたか……!はっ、はじめまして!けっ、警視庁犯罪対策部暴力団対策課の、折笠古賀であります!」
恐ろしく身長が高く低姿勢な男は、身体を90度直角に曲げたお辞儀を披露すると、元気よく自らの所属を名乗った。
(うるせえ……)
ぱっと見190cmはあるだろうと感じる細身の高身長、くせっ毛の金髪はゴールデンレトリバーを思い起こすような体格の男は、きょろきょろと視線を彷徨わせて誰かを探している。
「あ、あのぅ……。大変失礼ですが、僕がお守りするべきプリンセスはどちらにいらっしゃるのでしょうか……」
「プリンセス」
「はい!お姫様のように、とても美しい方だと藤井さんから伺っております!」
氷室は端から期待などしていなかったが、この発言を聞いて紗雪を古賀へ任せるのは無理だと悟る。
普通に生活していればまず口に出さな単語を堂々と恥ずかしげもなく口にする辺り、氷室とは異なる世界線で生きているに違いない。
雰囲気は那須宮に近いが、残念ながら古賀は男性だ。
那須宮は可愛いの一言で片付けられても、高身長の成人へかわいいは通用しないだろう。
(年上の女にはウケがよさそうだな……)
紗雪はあとからプロフィールを配布された一般公募組よりも、古賀を気にしているようだった。
ゴールデンレトリバーを思わせる男は、あるはずのない尻尾が見える気すらしてくるのだから、ある意味では相当強烈な個性を持って生まれてきた男だ。
存在感は抜群でも、紗雪を守れなければ意味がない。
氷室は藤井に頼まれたからと紗雪へすぐに合わせることをしなくてよかったと胸をなでおろしていた。
「貴様のような得体のしれない存在をあいつに会わせるわけにはいかない」
「さ、作用でございますか!白雪さんは、プリンセスのお父様かナイトなのですね」
「赤の他人だ」
アニメや絵本の話をしない限り、一般人の日常会話でプリンセスやナイトなど単語を聞く機会は早々ない。
丁寧な口調に覆い隠されているが、古賀の口から紡がれる言葉はとんでもないものばかり。
(中二病か?)
氷室は古賀の、頭の出来を心配していた。
「ええっ。そ、そうでしたか。同じ雪の名前でしたので、てっきりご親族かと……」
「親族だとしても、俺が父親を名乗るのは年齢からしておかしいと思わないのか」
「お兄様とお呼びするべきでしたか!それは大変失礼致しました!以後、気をつけます!」
氷室は兄と呼べと告げたつもりは一切ないのだが、古賀はそう捉えたようだ。
氷室のことを名字ではなくお兄様と呼ぶようになった為、眉を顰めると両腕を組み、深いため息を溢した。
(付き合いきれん……)
会話を拒絶している氷室の姿などお構いなく、古賀は一方的に捲し立てる。
「僕がお守りするプリンセスに相応しい存在であるかどうかを、番組内よりも早く認識しておきたかったのです。お兄様には大変ご迷惑をお掛けしておりますよね……」
「はぁ……」
氷室は出会って数分で古賀と真剣な話をする気力を奪われていた。
生返事で返した氷室は、しょんぼりと捨てられた犬のように身を屈める古賀の姿をじっと見つめ、言葉の意図を探る。
(こいつ……あいつが守る価値のない女であると知ったら、全部投げ出して帰ると言わないだろうな)
紗雪のことをプリンセスなどと称するいい年した男と一緒にいたくない氷室は、どうせ彼女を守る気がないならば紗雪と顔を合わせる前に今すぐ恋愛リアリティショーの出演をキャンセルし東京へ戻ってほしかった。
「お前……本当に警察か……?」
「け、警察です!本物の警察手帳ですよ!もっとよくみてください!」
「いや、いい。近づけるな。本物と偽物の違いなど、見せられた所でわからん」
「偽物も持ち運ぶべきでしたか……。本物だけでは、疑いを晴らせない……っ」
ついには泣き真似まではじめた古賀をうんざりとした様子で見つめる氷室へ声を掛けて来たのは、二人の会話を呆然と見つめていた那須宮だった。
那須宮の手にはいつの間にかスマートフォンが握られている。
「あ、あの!文明の利器を利用すればいいのでは……?」
「あっ、あなたが神か……!」
紗雪をプリンセスと呼ぶ姿も異常であったが、那須宮を女神と崇める古賀はスーツのズボンが汚れるのもいとわずに膝を付き、胸の前で両手を組んで祈りを捧げた。
「ひえっ」
まさか女神と崇められるとは思わなか那須宮は、悲鳴を上げて後退る。
彼女も古賀がまともではないことを、はっきりと認識したようだ。
(大人2人から不審者を見る目で見つめられても狼狽える様子が一切ない……)
強靭なメンタルを持ち合わせていなけれれば、毎日のように暴力団関係者を相手取り大立ち回りなどできないだろう。
(警察官らしいと思える所など度胸の座っている所しかない、と本人に告げるのはどうなんだよ)
氷室は既のところで彼へはっきりと告げる為紡ごうとした言葉を飲み込むと、那須宮へ聞いた。
「那須宮。こいつをどう思う」
「へ!?え、ええと……。こちらの、折笠さん、ですか……?」
「そうだ」
紗雪をプリンセスと呼び、那須宮を女神と崇める男をどう思うか聞けば、あわわと目を白黒させて那須宮は口ごもる。
那須宮は面と向かって悪口を告げるタイプではない。
面と向かって悪口を言われることが多かった彼女は、悪口を言われた時の気持ちがわかるからこそ。
本人の前では、本音など口にできないことを重々理解していた。
(こいつは一線を超えている)
普通ではない男に、遠慮をする必要などないだろう。
氷室は那須宮の本心を引き出すべく、自身の気持ちを告げた。
「俺は天門に会わせるべきではないと思う」
「さ、紗雪ちゃんに……?」
「女をプリンセスなどと呼ぶ人間が、まともなはずないだろう」
「ああ!それ、偏見ですよ!パワハラです!」
「俺はお前の上司になったつもりなどない」
「じゃあ、人権侵害?」
「お前と話をするのは疲れる……」
ああ言えばこう言う古賀に付き合いきれない氷室は、ドアの方を指差し、手を払う。
(さっさと帰ってくれ……)
うんざりした様子で氷室が古賀との対話を拒絶すれば、携帯電話の着信音が場の空気を変化させた。
「も、もしもし?深緑で……っ。あ。那須宮です。紗雪ちゃん……?」
「プリンセス!?」
電話に出た那須宮が紗雪の名を出せば、古賀が今にもスマートフォンを奪いそうな勢いで身を乗り出す。
(パーソナルスペースが近いな……)
見かねた氷室が古賀の肩を掴み那須宮から距離を取ろうとすれば、遠慮がちに彼女はスマートフォンを操作し、通話内容が全員に聞こえるようスピーカーモードにした。
『遠い所はるばる……着ていただいたのに……直接、お会いできず……申し訳、ありません……』
「い、いえ!アポ無しで前乗りして来た僕が悪いのです!どうか気にせず!」
『明日……改めて……お話の機会を、設けていただけると伺っています……。お待ち、頂けますか……?』
「もちろんですよ!プリンセス!」
『お姫様、様……?』
紗雪は辺りを見渡して姫と呼ばれるべき存在を探している。
本人ですらもプリンセス呼びを受け入れられないのだから、周りの人間が受け入れられるはずなどないだろう。
古賀の背中を睨みつけた氷室は、困惑している紗雪へ事情を説明した。
「顔を合わせてからずっと、天門をそう呼んでいる」
『わたしを……?』
「雪の女王とも呼べる美しき名と美貌を持ち合わせているのですから、プリンセスと呼ぶのは当然のことですよ!」
『女王様など、程遠い……』
紗雪は暗い表情でポツリと呟いたが、古賀は彼女の顔色を心配することなくぽんっと胸を叩いて笑顔を浮かべた。
「僕が全力でプリンセスをお守り致しますので、ご安心ください!明日お会いできるのを楽しみにしております!」
自意識過剰の電波野郎は、他人への配慮すらも欠けているようだ。
紗雪と古賀のやり取りを見て引き攣った笑みを浮かべる那須宮と顔を合わせた氷室は、どうにかして紗雪と顔を会わせるのだけは防ぐべきだと思考を巡らせた。




