悪魔の子連続殺人事件
「世間一般の男と俺を一緒にするな」
「氷室は色々と規格外だものね」
「強調するなよ……」
「私が大好きになった人だもの。有象無象と同じなら、好きになったりしなかった」
「キョウちゃん……」
紗雪が心配そうに桔梗の顔色を窺うのは、突然表情が抜け落ちたことを心配してのことだろう。
真顔で苦しそうに下唇を噛み締めた桔梗の気持ちが、少しでも晴れるように。
紗雪は桔梗の手を握った。
紗雪に手を握られ我に返った桔梗は、美月と氷室から視線を反らして紗雪に笑い掛けると、明るい声で問いかける。
「さーちゃん、診療が始まったら休憩室で過ごすの?」
「……そう、ね……。診療所には、患者さんが……いらっしゃるから……」
「そっか……寂しくない?」
「大丈夫よ……」
重苦しい空気が、紗雪の優しい声によって浄化されたことにほっとしたのだろう。
診療所に顔を見せてすぐ呼び止められた那須宮が、診療開始に向けて準備を始めたことを皮切りに、美月もこうしてはいられないと桔梗へ話しかけた。
「桔梗ちゃん。氷室の自宅まで送っていくわ」
「美月先生が……?」
「氷室はこれから診療の時間ですもの。桔梗ちゃんのボディガードができる暇人は、あたししかいないでしょう」
「喧嘩するなよ」
「それは桔梗ちゃん次第かしら」
「美月先生が私を、怒らせるようなこと言うからでしょ……!」
紗雪と手を離した桔梗は、ツカツカと美月の元まで歩いていくと睨みつける。
身長差の関係でどうしても美月を見上げる必要があるため、睨まれた美月の方は痛くも痒くもないようだ。
相変わらず美月は、余裕の笑みを浮かべている。
(まったく、こいつらは……)
この騒がしい日々も、あと3日もすれば終わりを告げるのかと思えば名残惜しくもあり、氷室はなんとも言えない気持ちになった。
(美月と一緒にしたいことがあれば、悔いが残らないようにしておくべきだろう)
桔梗を愛する前なら、美月としたいことは山程あったのに。
今となっては何も浮かばないのだから、おかしくて堪らない。
(薄情だな)
美月がいても、いなくても。
氷室の人生にとっては、どうでもいいことになりつつあるのだろう。
(態度に出ているからこそ、美月は桔梗をおもちゃにするのか……)
美月は桔梗が羨ましいと、子どものように騒ぎ立てるようなことはしない。
あくまで表面上の話だ。
言葉の節々には、どうして桔梗はよくて美月は駄目なのかと言わんばかりの言葉が隠されている。
氷室はその言葉を感じ取りながらも、無視し続けていた。
愛しているか、愛していないか。
その違いであるとしか、氷室は言えなかったからだ。
(美月が別れ際まで破局を認めないと言い出したら、どうする気なのか……)
対策を講じることは、今からでも遅くはない。
氷室は今まで、美月に向き合って来なかった。
美月のことが好きではなくなり、桔梗を愛してしまったから。
共に歩むことはできないと一方的に伝えるのではなく、氷室は美月の気持ちを真っ先に聞くべきだったのだ。
そうすれば、もっと早くに美月と破局できただろう。
(俺はいつも、間違えてばかりだ)
複数の道を提示された時、氷室は美月が居なければ、正解の道を選び取れなかった。
(あの頃とは違う)
そう考えているのは氷室だけで、美月にとって氷室は、手の掛かる弟や彼氏として見られているのだろう。
(いっそのことこのまま、美月との関係が姉や弟としてまとまるといいんだがな……)
氷室の目論見が実現することは、恐らくないはずだ。
美月は氷室が別れを告げたら、関係を断とうとするだろう。
(残りの3日間を使って、美月に別れを告げる)
決意を新たにした氷室の耳に、あるニュース速報が飛び込んできたのは、それからすぐのことだった。
『次のニュースです。昨夜未明、隅田川の河川敷で、若い男が何者かに殺害される事件が発生しました。殺害された若い男は、所持品から悪魔の子として認定されていることがわかっています。悪魔の子連続殺害事件と関係があるのではないかと、警察が調べを進めています』
誰も見ていないテレビのニュース番組が、悪魔の子が何者かに殺害されたことを速報で報道する。
その場にいた全員の視線が、テレビへと集中した。
被害者の顔写真と年齢、実名が報道されていることを知った紗雪は、悲しそうに眉を伏せている。
「やはり、彼は……」
紗雪の紡いだ言葉の続きが、どんな言葉であるか――事件と関わり合いになる必要がなければ、氷室は気にする必要などなかった。
けれど、今はそうも言ってはいられない。
氷室は、彼女の力になると告げてしまった。
含みのある言葉を紗雪の口から紡がれてしまえば、無視する訳にはいかないだろう。
「さーちゃんが銃で撃たれたのと、関係があるの?」
「……そう、ね……。彼にとっては……。わたしを消すよりも……優先するべきこと……」
悪魔の子連続殺害事件は、紗雪が銃撃を受けた翌日から始まり、11日間ですでに3人が亡くなっている。
3日に1人のハイペースだ。
死体が見つかれば当然、事件を解決する為に警察官も動く。
これほどの短期間に3人も一切の証拠を残さず殺害した犯人は、単独犯ではなく組織ぐるみではないかとニュース番組のコメンテーターが告げているくらいだ。
世間は悪魔の子連続殺人事件の犯人を単独犯であるわけではないと認識しているが、真相は明らかになっていなかった。
(こいつの口ぶりを信じるならば、銃殺未遂事件と同一犯であることは間違いなさそうだ)
紗雪が言い淀んだ時点で、犯人に心当たりがあるのは間違えようのない事実だろう。
これ以上犠牲者が増えないように、犯人の名前を告げろと氷室から紗雪へ伝えるべきなのか。
氷室が頭を悩ませていれば、彼女は氷室が思っても見なかったことを呟いた。
「……わたし、帰ります……」
「さーちゃん?」
「……あの人は……復讐をしようとしている……。これ以上、あの子たちの命を……犠牲にするわけには行きません……」
「お前が姿を見せてどうする」
「……わたしが逃げたから……。あの人は、あの子達の命を奪い始めた……。わたしが、姿を見せれば。彼は……わたしを殺そうとするはず……」
「駄目だよ。さーちゃん!幸せになるため生きるって、約束したでしょ!?」
「……わたしだけが幸せになろうとしている間にも……。移植手術を受けた悪魔の子が、死に至る……。わたしが命を投げ出せば、彼らは助かるわ……」
生きたいと願う紗雪の気持ちは、本物だ。
悪魔の子がこれ以上被害にあわないように身を挺いて守りたいと願う紗雪の気持ちもわからないでもないが、紗雪が公の場に姿を見せて犯人に殺害された所で、負の連鎖が終結するかどうかは怪しいものだ。
「犯人の目的は悪魔の子を殺害することではなく、お前を殺害することなのか」
「そう、でもあるし……そうでないとも言える……。彼は、わたしと……条件に一致する悪魔の子だけを、この世から葬り去りたい……」
「お前が自ら公の場に姿を見せた所で、悪魔の子は寿命が若干伸びるだけだろう。どちらにせよ、犯人を逮捕しなければ負の連鎖は止まらない。馬鹿なことは考えず、今は身体を休めることだけ考えろ」
氷室が紗雪へ強く告げたのは、彼女に何かあれば桔梗が悲しむ。
桔梗が悲しまなければ、氷室はこれほどまで強く紗雪を止めることはしなかった。
(東京でもなんでも行って、勝手に死ねばいい)
氷室にとっては、紗雪が生きようが死のうがどうでもよかった。
(流石に、言えないな。本音を口にするわけにはいかない……)
美月の前でなら言えるが、桔梗の前では口が裂けても言えないだろう。
氷室を神格化している桔梗は、紗雪のことなどどうでもいいと口にすれば嘆き悲しむ。
『氷室先生は、さーちゃんのことが嫌いなの……?』
潤んだ瞳で見上げる桔梗の姿を想像した氷室は、納得行かない様子で口元を何度も動かす紗雪へ念を押した。
「診療所を抜け出し一人で東京に戻った所で、無駄死にするだけだ」
「……ですが……」
「海が見たいんだろう」
「……はい」
「大人しくしていろ。いいな」
紗雪は声に出して了承の言葉を氷室に向けて紡ぐことはなかったが、小さく頷いたことを確認してこの話は終わった。




