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川の字ではなく4人字

「さーちゃん!」


 桔梗は診療所に到着するまでは大人しかったが、診療所に着いた瞬間。

 氷室の背中から飛び降りると、休憩室に駆けて行こうとした。


「キョウちゃん……」


 今日は診療所の休診日だ。

 診療所は、内部が見えないようにカーテンが引かれている。

 紗雪は、体調がいいのだろう。

 誰も来ないことをいいことに、待合室のソファへ座りテレビを見つめていたようだ。

 紗雪が儚げに微笑めば、スカートが汚れることも(いと)わず、桔梗が紗雪の横へ膝をついて話しかけ始める。


「今日は顔色、よさそうだね。痛くない?那須宮さんに虐められなかった?」

「……那須宮さんは……とても、優しい人よ……」

「そうなの?」


 桔梗は不思議そうに、那須宮へ視線を移す。

 氷室と美月が姿を見せたことにほっとして帰り支度を始めていた那須宮は、紗雪から「優しい」と称され照れているようだった。


「やっ、優しくなんてないです……っ。わ、わたしは看護師として、当然のことをしたまでですからっ」

「深緑。こうした時は、素直に受け取ればいいのよ」

「ありがとう、ございまひゅ……っ」


 美月から促された那須宮がお礼を伝えれば、お決まりのように那須宮が唇を抑える。


「お、お疲れ様様でした……!」


 語尾を噛んだことが恥ずかしくて溜まらないのだろう。

 那須宮はそそくさと、診療所を後にしてしまった。

 美月は当然のように裏口へ向かい、桔梗は紗雪と話に花を咲かせている。

 美月を追いかけるか、待合室に留まるか。

 迷った末、氷室は待合室へ留まることにした。


「今日は、氷室先生と一緒にここに泊まるね」

「……白雪先生と……二人きりでなくて、いいの……?」

「氷室先生のお部屋に居ても、二人きりにはなれないから。邪魔者がいるせいで……」


 桔梗は一度氷室へ視線を向けたが、隣に美月がいないと知るや否や不思議そうな顔をした。

 紗雪と話をしている間、ちゃっかり美月が氷室の隣をキープしていると考えていたのに姿が見えないからだろう。

 氷室は無言で裏口を指差した。

 桔梗は難しい顔をすると、すぐに視線を紗雪に戻して彼女の手を取る。


「安心してね。さーちゃんの身体が動かなくなる前までに、私と氷室先生が相応しい男を見つけてくるから」


 紗雪は優しく微笑むと、桔梗の近状を知りたがった。

 氷室は紗雪の穏やかな声と、明るい桔梗の声を聞いて睡魔に襲われる。


(休みなのをいいことに居眠りなどしようものなら、怒られそうだな……)


 氷室がじっと腕を組み、紗雪と桔梗の声を子守唄に、一眠りしようかとした時だ。

 裏口に向かったはずの美月が、声のトーンを落として氷室へ話しかけて来たのは。


「こちらが指定した条件の男を探し出し、紗雪ちゃんにあてがう話があったでしょう」

「ああ。それがどうした」

「あの話、事前に仕込んでおくべきだと思うのよ」


 美月は番組の撮影中に、紗雪が襲われて命を落とすようなことがあってはならないと警戒しているようだった。

 いつから募集を募り、撮影が始まるのかすらも決まっていないこの状況で、氷室ができることなどなにもない。

 そう考えていた氷室にとって、美月の提案は、寝耳に水だった。

 美月は、紗雪の安全を確保する為にも、準備を進めるべきだと告げてくる。


「サクラを仕込むのか」

「そうね。紗雪ちゃんにもしものことがあっても、身を挺して守ってくれるような男を紛れ込ませる必要があるわ」


 犯人の顔と名前を知っている美月と紗雪はともかく、二人が口を噤んでいる限り誰が犯人か分からない氷室と桔梗では、有事の際に紗雪へ力になれない。

 腕っぷしが強く、身を挺して紗雪を守るような男に氷室は心当たりなどないが、どうやら美月には心当たりがあるようだ。


「宛があるんだな」

「宛などなかったのだけれど。話を通してみたら、数日以内に見繕って報告してくれるそうよ。期待していなさい」


 一体何を期待すると言うのだろう。

 氷室は美月の言葉に顔を顰めながら、時間が過ぎ去るのを待った。


「ふふ……。順調で、何よりね……」


 天門紗雪と愛知桔梗は仲がいい。

 臓器提供者となるはずだった女と、違法な臓器移植を受ける予定だった女が本来、仲良くなるはずなどないのだが……。


(奇跡としか言いようがねぇな)


 まるで姉妹のように。

 肩を並べる二人はつかの間とも呼べる休息を謳歌していた。


「キョウちゃん……。わたし、やってみたいことが……あるの……」


 特にトラブルもなく、診療所には、穏やかな時間が流れている。

 おずおずと申し訳無さそうに口を開いた紗雪は、桔梗へ誰もが思ってもみないお願いを口にし始めた。


「なぁに?何でも言って!実現できるように、頑張るよ」

「大した話ではないのだけれど……。わたし……修学旅行に、行ったことが、なくて……」

「うん」

「みんなで一緒に……。一つのお部屋で、眠るの。夢だったの……」


 ささやかな夢を語る紗雪に感化されたのか。

 笑顔を浮かべた桔梗は紗雪の両手を取ると、大きな声を上げた。


「私も修学旅行に行ったことはないから、どんな感じかは分からないけれど。川の字で寝るのと似たような感じだよね?」

「そう、だと……思うわ……」

「やろう。みんなで。今日の夜は雑魚寝だー!」


 どうしてそうなるのか。

 雑魚寝をしたいならば、女性陣だけですればいい話だろう。

 氷室は一人で休憩室のベッドを使えばいいだけなのだが、桔梗と美月が雑魚寝の中に氷室が入っていないのはありえないと大騒ぎしたせいで、逃げられなくなってしまった。

 右から美月、氷室、桔梗、紗雪の順でソファを退かし、ビニールシートを敷いた上から敷布団を4つ敷く。

 病院に敷布団の用意などなかったはずだが、那須宮が気を利かせて購入してきたようだ。

 診療所には浴槽こそないが、簡易のシャワー室が完備されている。

 順番に身を清めた4人は、準備ができたことを見計らって思い思いに敷布団の上へと横たわった。


「なんだか、ドキドキする……」

「不思議だね。みんなで一緒に寝ているだけなのに」

「……大人になっても……子どもの時にできなかった体験が……できるとは、思わなかったな……」

「……生きていれば、いいことあるでしょ」

「本当に……」


 雑魚寝程度で、紗雪が生きていてよかったと実感することになるとは思わない。

 氷室は紗雪と桔梗の会話を邪魔しないように、黙って話を聞いていた。


「……こうして、穏やかな日々が……毎日……続いていけばいいのに……」

「……夢になんかさせないからね。さーちゃんにだって、幸せになる権利があるんだから」

「……キョウちゃん……。ありがとう」


 紗雪はひそひそと、桔梗の耳元で何かを囁いているようだったが、その声は氷室に届かない。

 盛り上がっている2人を横目に美月と話をする気にもならず、氷室は目を瞑った。


(寝ていいのか?)


 氷室は目を瞑ったまま考える。

 美月が診療所の内部にいれば、ボディガードとやらは恐らく裏口にいるだろう。

 彼は腕が立つらしい。

 襲われるようなことがあっても、タダでやられるようなことはないはずだ。

 氷室は眠りがかなり浅い。

 騒ぎになれば瞬時に目覚めるが、目覚めた所で全員を守りきれるかと聞かれたら、自信を持って頷くことはできなかった。


(激務から開放された時間は、筋トレに当てるべきだったか……)


 後悔した所で、7年の歳月は取り戻せない。

 いくら継続的に鍛えていたとしても、氷室にできることなど高が知れている。


(今はまだ、美月がいるからいいけどな……)


 警察官の藤井に協力を要請するにしても、最終的には銃を所持した犯人と対峙することになるのだ。

 あらゆる可能性を考慮し、桔梗が東京に戻ったならば休みの日は付け焼き刃でもいいから体力向上に勤めようと決めた。


「おやすみなさい」

「うん。おやすみ」


 紗雪が桔梗の耳元で言葉を紡ぎ終えれば、数秒もしないうちに寝息が聞こえてきた。

 おやすみ3秒とはよく言ったものだ。氷室は目を瞑りながら考える。


(異変が起きれば、嫌でも意識は覚醒する。眠くて使い物にならないよりも、鋭気を養いすぐに動けるようにするべきだ)


 自分に都合のいい御託を並べた氷室は、意識を手放した。

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