水:抜き打ちテスト・不合格
「さーちゃんの意志も確認したことだし、こっちも動かなきゃ!」
桔梗は瞳にメラメラと炎を滾らせ、握りこぶしを作り気合を入れている。
「何をそんなに、気合を入れる必要があるの?」
美月が疑問を抱くのも無理はない。美月は焔華と面識がないからだ。
桔梗が紗雪の婚活をサポートするには、国民的アイドルImitation Queenのプロデュースを担当しており、愛知桔梗の親代わりでもある神奈川焔華を倒さなければならない。
「焔華さんを説得するの、大変なんだよ!」
「焔華さん?」
「桔梗が所属していたアイドルグループのプロデューサーだ」
「へぇ。氷室はアイドルになど、興味なかったはずでしょう?詳しいのね」
桔梗が不機嫌そうに頬を膨らませ、むくれ面を見せても。彼女は美月に、食って掛かるようなことはしなかった。
最優先で倒すべき敵が、美月ではなく焔華であると気づいたからだろう。
桔梗は渋々美月に宣言した。
「美月先生とは、一時休戦する。焔華さんを倒してから、またバチバチやる!」
「ふふ。一度くらいは、手を取り合って仲良くするのも、悪くないと思うのだけれど」
「手を取り合って仲良くするなんて、ありえない」
「何があっても?」
「何があっても、絶対に」
「氷室が桔梗ちゃんにお願いしても、嫌なのかしら」
絶対に美月と仲良くすることなどないと告げた手前、桔梗は氷室にお願いされたら渋々受け入れるしかなくなるとは、言えなくなってしまったようだ。
ぐぬぬ、と拳を握りしめてわなわなと震えた桔梗は、氷室を見上げる。
「氷室先生は私に、美月先生と仲良くしろなんて、言わないでしょ……?」
桔梗から潤んだ瞳で見つめられると、氷室は弱いのだ。
(美月と仲良くしろと命じた所で、桔梗が仲良くする姿など想像ができない)
美月と桔梗が喧嘩することなく仲良くできるならば。
今頃二人は、氷室が命じなくたって仲良くなっているだろう。
(那須宮と美月は、仲がいいように見えるからな……)
美月は基本的に、どんな相手とだって仲良くなれる。
今桔梗との関係が拗れているのは、明らかに美月が悪かった。
氷室と桔梗が互いに相応しい相手であるかどうかを見極める為に、桔梗の神経を逆撫でする発言など、しなければいいだけの話だ。
(大人げなく、桔梗を攻撃する美月が悪い)
桔梗は美月が、氷室の彼女に自分こそが相応しいと威張っているように思えるのだろう。
氷室の彼女であると名乗ることを止め、氷室に相応しくない人間なのではないかと疑うことをやめれば。
桔梗だって、馬鹿ではない。
美月の声を聞いただけで、食って掛かるようなことはしないはずだ。
「お前たちが仲良くなった所で、俺にメリットはない」
「ほら!氷室先生は、私と美月先生が仲良くなることなど望んでいない。仲良くなる必要など、ないから!」
「あら。振られてしまったわ。氷室……桔梗ちゃんに傷つけられたあたしの心……癒やして貰えないかしら……?」
美月はどさくさに紛れて擦り寄ってくるが、氷室は彼女の行動原理をよく理解している。
美月が氷室に擦り寄ってくるのは、わざと桔梗を怒らせるためだと。
美月からの誘惑をまともに取り合う理由がない氷室は、口を噤む。
「傷付いてなどいないくせに。氷室先生を、誘惑しないで」
「あら。これは誘惑ではなくて、彼女としての特権よ。ねぇ、氷室?あたしは彼女なのだから。当然、氷室へ触れる権利があるわよね?」
いつも桔梗がしているように。
氷室の胸に抱きついてきた美月は、桔梗を挑発するように妖艶な笑みを浮かべた。
氷室と思いを通わせてた桔梗は、美月から氷室を奪い取る為に大声で威嚇する。
「むぅ……!美月先生、邪魔!さっさとお風呂に入ってきて!」
「一番風呂を譲ってくれるなんて、優しい子ね」
「私と優しいと称するなら、早く私を氷室先生に相応しい女であると認めて、別れてよ」
「その程度の優しさを垣間見ただけでは、氷室は譲れないわ」
「だったら私を、優しいと称さないで」
「褒めているのに、嬉しくないのね。変わった子だけれど、氷室はあたしよりも、桔梗ちゃんが好きなの?」
桔梗に現実を突きつけられる前ならば──氷室は美月を愛していると口にしていただろう。
――けれど、今は。
美月を愛していると口にすることは難しい。
「俺は……」
人の気持ちは、容易に変化する。
一途に美月へ憧れを抱いていた氷室の中には、既に愛情だけではなく、憧れすらも消えかけているのだから、どうしようもない。
「むぅ……」
氷室は問いかけて来た美月よりも、桔梗を気にしていた。
桔梗は頬を膨らませて、美月を涙目で睨んでいる。
きっと、内心穏やかではいられないのだろう。
氷室がもし、美月を選んだら。
氷室ならば絶対、桔梗を選ぶに決まっていると気持ちが揺らいでいる姿を確認した彼は、今すぐ胸の中にいる美月を突き飛ばして、桔梗を安心させてやりたくて堪らなかった。
「俺にその言葉を言わせてどうするつもりだ。慰謝料でもぶん取りたいのか」
「あら。純粋な興味よ。残念だわ……」
「何が」
「心から愛する女に告白するチャンスだったのに。氷室は貴重なチャンスを棒に振ったのよ。よって不合格。今日も川の字で3人、仲良く寝ましょうね」
「絶対嫌!」
美月がくすくすと微笑み氷室から身体を離せば、小さな身体がタックルするように空いた隙間へ滑り込む。
求めていたぬくもりが胸に飛び込んできたことを知った氷室は、愛の言葉を口に出すことこそできなかったが、代わりとばかりに桔梗をキツく抱きしめた。
「氷室先生……?」
「ラブシーンが始まるのならば、あたしはお邪魔ね。お言葉に甘えて、お風呂に行ってくるわ」
美月は気を利かせて、浴室を目指す。
(やっと二人きりになれたな……)
やっと静かになったと桔梗を抱きしめた氷室は、ラブシーンを始める前に桔梗にしか出来ないことをしてもらう為に、桔梗の首元に顔を埋め、耳元で囁いた。
「神奈川焔華と、連絡を取るならば早い方がいいだろう」
「焔華さん……?氷室先生、くすぐったいよ……」
桔梗が氷室の耳元で囁くことはあっても、その逆はあまり経験がない。
新鮮なせいで驚き、嫌がる素振りを見せた彼女の耳元から距離を取れば、桔梗は氷室の首元へ抱きついてきた。
耳元で囁かれるのは嫌だが、くっついていたいようだ。
(わがままアイドルには、困ったもんだな……)
姫と称さない辺りが氷室らしい。
氷室は桔梗の背中を優しく擦ると、彼女の甘い声に耳を傾けた。
「このまま、焔華さんに電話を掛けてもいい?」
「怒らせてどうする」
「怒るかなぁ……」
第一声が「うちの桔梗に、何してくれてんのよ!」であることが容易に想像できた氷室は、桔梗を止めた。
桔梗はどうも、ピンと来ていないようだ。
桔梗は仕事を休んでいるが、神奈川焔華は昼夜問わず、忙しなく走り回っているらしい。
夜遅くに電話するだけでも迷惑がられそうな所に、氷室の首元に抱きつきご満悦な様子の桔梗が、テレビ電話を開始しようものならどうなるかなど、考えるまでもない。
「……説得できるなら、いいぞ」
「本当?じゃあ、電話を掛けるね!」
焔華をマジ切れされたとしても、天門紗雪をドキュメンタリー番組へ出演させることを了承させる自信のある桔梗は、氷室の首元に顔を埋めたまま、焔華へ電話を掛けた。
「はい、スマホ。私のこと、映せる?」
「いいのか。これじゃ、神奈川焔華の顔が見えないだろ」
「氷室先生が、焔華さんの表情を実況中継してくれたら問題ないよ」
スマートフォンの画面に映し出された氷室の顔を見た焔華が、どんな表情をしているか実況中継するなど、問題しかない。
氷室は顔を顰めながら、首元に手を回しているせいで両手の塞がっている桔梗へ、スマートフォンのカメラを向ける。
「通話、はじめるぞ」
「はぁい」
氷室は桔梗に一言断ってから、焔華とテレビ通話を開始した。




