距離を置くべき人間
『犯人は鍛え抜かれた身体を持っている人ってこと?』
「見た目は鍛えているように、見えなかったけれど。喧嘩慣れしているあたしのボディガードが押し負けそうになるほど、腕っぷしは強かったわ」
美月は腹部を撃たれた紗雪を助けるため、ボディガードと呼ぶ男と共に割って入っている。
(喧嘩慣れしている奴が押し負けそうなら、対して鍛えてもねぇ俺が何をしたって無駄だろ……)
揉み合いになれば、氷室の命はないと考えた方がいいだろう。
「いくら腕っぷしに自信があったとしても。下っ端が軽々しく銃を持ってその辺を闊歩しているものなのか」
「し、下っ端の皆さんは……頻繁に裏切るので……。危なっかしくて、銃の所持は認められていません……」
那須宮は、兄が指定暴力団名無組の組員だ。
自身は関わることなく……遠ざけられて育てられたとしても、それなりの知識はあるらしい。
銃を所持しているのはそれなりの役職があるか、一回こっきり使い捨ての鉄砲玉だけ。
後者から拳銃を奪った所で、裏切りを想定するならば銃弾は1発しか装填されていないだろう。
(どうせ奪うなら、6発装填されたものを奪う方がいいに決まっている)
取捨選択をした上で、前者から拳銃を奪ったのならば大したものだ。
暴力団組員の幹部から奪った拳銃で天門紗雪の腹部を撃ち抜き、その足で悪魔の子を殺して回っているのなら──犯人が一般人だったとしても、暴力団関係者にまつわる事件であれば捜査権限のある藤井にとって、これほど都合のいい事件はないはずだ。
「暴力団員の幹部から拳銃を奪い取ったのが事実だとして。美月はどうやってその情報を得たんだ」
「言ったでしょう。1年近く暴力団員に監禁されていたと。手籠めにした男は、名無組の無線を好きなだけ傍聴できるのよ」
暴力団の内部情報を好きなだけ傍聴できる権利があるなど、にわかに信じがたいが──階段から美月が突き落とした男の顔を、桔梗と紗雪は見ていた。
特徴的な入れ墨は、先程氷室が裏口で姿を目にした男と一致している。
(美月を階段から突き落とした男は暴力団関係者。ボディガードと称する人物が同一人物であるならば、情報を手に入れるのは簡単だ)
怖いのは、名無組の秘匿されるべき秘密を美月がこうしてペラペラと一般人に話していることが公になった際に、美月の命が危険に晒されることだ。
(俺がうまく立ち回ればいいだけの話か)
美月も、氷室が言い振らすとは思えないからこそ、堂々と打ち明けているのだろう。
「一般人に拳銃を奪われたと噂になれば、名無組の評判は地に落ちる。焦った組長は、組員にお触れを出したわ。何が何でも銃を奪って逃走した男から、拳銃を取り戻せ。男の生死は問わないと」
『美月先生は、暴力団の組員と一緒に拳銃を奪った男を追いかけていたら、偶然さーちゃんと出会ったの?』
「名無組から拳銃を奪った男が、紗雪ちゃんに恨みを抱いていることはすぐにわかった。拳銃を奪うついでに、あるものをくすねて行ったからよ」
「あるもの、ですか……?」
「父が……悪魔の子と呼ばれた子どもたちを助けるために殺害したレシピエントの臓器が、誰に提供されたかを記載したリスト……です……」
美月に代わり続きを紡いだのは、紗雪だった。
父親が罪を重ねたのは娘である自分のせいだと認識している彼女は、苦しそうに言葉を紡ぐ。
「リストに天門の名はないだろう。閲覧した所で、お前を恨む理由になるとは思えない」
紗雪は移植手術を受けていないのだから、リストに名を連ねているようなことはないはずだ。
(一体、なんのためにリストを奪った?)
紗雪の周りでは、不可解なことばかりが起きすぎている。
男に明確な目的があるにしても。相手は犯罪者なのだから、氷室のような一般人が考えた所で、簡単に答えが見つかるはずもない。
氷室が美月と紗雪の言葉だけで正解を導き出せたら、警察や探偵など必要なくなるはずだ。
一度黒に染まったら、純白には戻れない。
簡単に思い当たるような動機で、頻繁に犯罪を犯されては、日本中が犯罪者だらけになってしまう。
(正常と異常の境界は曖昧だ。他人にとってどうでもいいことが、当人にとって重要なこともある)
生まれた環境や培ってきた経験により、人は全く同じものを見ていたとしても――真逆の感想を抱くことがある。
目の前にあるりんごが赤いと見たままに感じる人間と、りんごが緑色だと信じる人間が、赤いりんごであるわけがない言い張ったとする。
後者が相手の言い分を聞くことなく、意見を曲げる気がないのならば。
双方食い違う意見を持つ人間は、どちらかが考えを変えない限り一生分かり合えないはずだ。
意見の合わない人間とは、距離を置くに限る。
自分に手が負えないと感じれば、氷室はすぐに相手の言い分を無理矢理自分の意見と一致させようと努力するのはやめ、さっさとその場を立ち去るタイプだ。
想像で男の思考を語り、理解した気になるのは悪手だろう。
氷室は無理に男の考えを把握しようとするため、考えを巡らせるのは止め、相変わらず自身のペースでゆっくりと言葉を紡ぐ紗雪へ耳を傾けた。
「悪魔の子が生まれたのは……父が、私を助けるための……練習台として、利用したせい……です……」
氷室と桔梗が差し伸べた手を取り、女性としての幸せを得る道を選び取ったはずなのだが──紗雪は自分が死ぬべきだと言わんばかりに自身の気持ちを吐露する。
「彼は……わたしが、病気で命を落としていれば……凶行に及ぶことはなかった……」
『さーちゃん。生きるって、約束したでしょ。諦めちゃだめ!』
後ろ向きな精神状態が長く続くのであれば氷室が口出しをしようと考えていれば、電話越しに桔梗が諦めるなと、目を釣り上げ紗雪を叱った。
桔梗に叱られた紗雪は、今にも消えてしまうのではないかと心配になるような儚い笑顔を浮かべて言葉を紡ぐ。
「諦めていたら……わたしはすでに、この世にいないわ……」
『さーちゃん……』
「白雪先生……。もう少しだけ、待って貰えませんか……」
紗雪と美月は、犯人が誰であるかを知っている。
犯人の名前さえ分かれば、氷室は美月と婚姻することしか考えていない妹と連絡を取り、言い逃れできない犯罪の証拠を集めて警察に突き出せばいいだけの話だ。事件を解決に導く魔法の言葉を伝えたくない紗雪が、何を思うかなど。氷室にはどうでもいい。
「2日では足りなかったのか」
「……わたしのせいで……人生を、狂わせてしまいました……」
「天門のせいではないだろう」
「……いいえ。わたしが、この世に生まれ……。父が犯罪を犯したから……彼は犯罪者になってしまった……」
紗雪が生まれてこなければ、天門総合病院の院長が殺人を犯していなければ。
紗雪が後悔する気持ちを理解できないものは、この場に存在しない。
(たらればを語っても仕方のないことだ)
この場にいる人間は全員、自覚している。
どんなに願ったとしても、過去は変えられないのだと。
もしもの可能性を夢見た所で、運命が変化しないなら。
よりよい方向へと進むために。
今を見つめて、生きていくしかないのだ。
「それほど長くは待っていられない。いつかは必ず、決着をつけなければならないときが来る」
「は、い……。覚悟ができた、そのときは……」
私を助けてくださいね、と。
囁いた紗雪の言葉に頷いた氷室は、紗雪と那須宮に別れを告げ──美月と共に桔梗が待つ自宅へ戻ったのだった。




