第三話 沈黙を破る者
1
バオ・チ王女は、母の死後、三ヶ月間、誰とも口をきかなかった。
彼女はアパルトマンの一室にこもり、母の遺品を一つ一つ手に取り、涙を流し、そしてまた次の遺品に手を伸ばした。彼女は40歳になっていた。文学者としてパリで知られる存在だったが、その繊細な感受性は、母の死という現実を受け入れることを拒んだ。
「バオ・チ、ご飯を食べなさい」
バオ・ナンが部屋のドアをノックした。
「いらない」
「お兄ちゃんも来てるよ。一緒に——」
「一人にして」
バオ・ナンはため息をついた。彼女は妹の頑固さをよく知っていた。母に最も似ていたのは、この妹だ。容姿ではなく、精神が。
バオ・チは、子供の頃から「母の分身」と呼ばれていた。彼女は母と同じように内省的で、同じように感受性が強く、同じように——誰にも屈しない意志を持っていた。
「彼女は、母の心を継いだ」と、兄のバオ・ロンはよく言った。「私たちは、母の顔や名前を継いだかもしれない。しかし、バオ・チだけは、母の魂を継いだのだ。」
その言葉は、バオ・チにとっては重荷でもあった。
母の魂を継ぐということは、母の苦しみも継ぐということだ。
2
バオ・チは、母が最も信頼した話し相手だった。
アンディン宮殿で、母はよくバオ・チに語りかけた。他の子どもたちには決して話さないことを。
「私は、あなたにだけ話すわ」母は言った。「あなたは、私の考えを理解できるから。」
バオ・チは、幼いながらに母の言葉の重みを感じていた。母は、皇后としての孤独を、妻としての苦しみを、そして——ベトナム人としてのアイデンティティの揺らぎを、彼女にだけ打ち明けた。
「私は、誰にも完全には属せない」母は言った。「ベトナム人でもあり、フランス人でもある。その両方を生きることは、時に苦しい。でも、それこそが私のアイデンティティだ。」
「ママは、ベトナムが好き?」
「好きよ。でも——苦しいことも多い。王宮のしきたり。皇太后の干渉。そして、あなたのお父様の——」
母はそこで言葉を止めた。それ以上は言わなかった。しかし、バオ・チはその言葉の先を、大人になってから理解した。
父の弱さ。父の逃亡。父の——裏切り。
母は、夫を愛していた。しかし、その愛は報われなかった。その事実を、彼女は生涯抱え続けた。
3
バオ・チは、文学者としての道を選んだ。
それは、母の影響だった。母は、パリで文学を学び、多くの本を読み、そして自分自身も書いた。母は、言葉が持つ力——人を動かし、人を癒し、人を変える力——を信じていた。
「あなたは、文章を書く才能がある」母は言った。「それを、ただの趣味にしないで。世界に届けなさい。」
バオ・チは、その言葉に従った。彼女は、ベトナムの詩や小説をフランス語に翻訳し、フランスの読者にベトナムの文学を紹介した。彼女は、母が「二つの世界の架け橋」であったように、自分もまた、二つの文化の架け橋になろうとした。
しかし、彼女の作品には、常に一つのテーマがあった。
母。
彼女は、母を書かずにはいられなかった。母の強さと優しさ。母の孤独と葛藤。母の——静かな戦い。
それが、彼女の文学の源泉だった。
4
母の死後、バオ・チは一つの決断をした。
母の日記を出版すること。
母は、生涯にわたって日記を書き続けていた。それは、彼女の内面の記録であり、彼女の戦いの記録だった。そこには、皇后としての公の姿ではなく、一人の女性としての赤裸々な感情が綴られていた。
「ママ、許してくれる?」
バオ・チは、母の写真の前でそう呟いた。
「あなたの真実を、世界に伝えたい。あなたがどれだけ戦ったかを、どれだけ苦しんだかを、そして——どれだけ強かったかを。」
彼女は、母の日記を読み返した。そこには、紫禁城での屈辱。皇太后との対立。バオダイへの絶望。そして——子どもたちへの愛情。
「私は、生き延びた。皇后としてではなく、母親として。そして、一人の人間として。」
その言葉が、バオ・チの胸に響いた。
ママは、生き延びた。
私は、その証人になる。
5
1985年、バオ・チは母の日記を出版した。
『紫禁城の影——ナムフォン皇后の日記』というタイトルだった。
出版前から、大きな議論を巻き起こした。ベトナムの亡命者コミュニティは、この本を「王室の恥を晒すもの」と非難した。一方で、フランスの知識人たちは「歴史的な証言」として高く評価した。
「なぜ、こんな本を出すんだ?」と、バオ・チは批判された。
「母の真実を、伝えるためです」彼女は答えた。「母は、生涯を通じて沈黙を強いられました。沈黙の中に閉じ込められてきました。私は、その沈黙を破ることに決めました。」
その言葉には、彼女の強い意志が込められていた。
彼女は、母ができなかったことをやろうとしているのではない。母が望んでいたことを、母の代わりにやろうとしているのだ。
6
本は、多くの読者の心を動かした。
特に、ベトナムの女性たちは、この本に共感した。皇后という特権的な立場にありながら、それでも男尊女卑の社会の中で苦しんだナムフォンの姿は、彼女たち自身の経験と重なった。
「彼女は、皇后だった。しかし、それ以上に、一人の女性だった。」
「私たちは、彼女を通じて、自分自身の声を見つけた。」
「沈黙を破ること——それが、自由への第一歩だ。」
バオ・チは、これらの反応を読みながら、母が微笑んでいるような気がした。
ママ、あなたの声は、届いている。
あなたが、沈黙の中で叫び続けたものは、決して無駄ではなかった。
7
本の出版から数年後、バオ・チは一つの手紙を受け取った。
差出人は、ベトナムの古都フエからだった。手紙は、老女官によって書かれていた。彼女は、かつてアンディン宮殿でナムフォンに仕えた人物だった。
「拝啓、バオ・チ王女殿下。
私は、あなたのお母様に仕えた者です。あなたが日記を出版されたことを知り、感動いたしました。あの日々を、誰も語らず、誰も書かなかった。しかし、あなたはそれをなさった。
私は、あなたのお母様の強さを、誰よりも知っています。彼女は、毎日戦っていました。皇太后様との戦い。宮廷のしきたりとの戦い。そして——ご自身の心との戦い。
彼女は、決して誰にも弱音を吐きませんでした。しかし、私は見ていました。夜遅くに、彼女が一人で涙を流している姿を。そして、朝になれば、彼女はまた戦うために立ち上がる姿を。
彼女は、最後の皇后でした。しかし、それ以上に——最後の戦士でした。
あなたが、彼女の物語を語り継いでくれることを、心から願っております。」
バオ・チは、その手紙を何度も読み返した。
そして、涙が止まらなかった。
ママ、あなたは一人じゃなかった。
誰かが、あなたの戦いを見ていた。
誰かが、あなたの強さを覚えていた。
8
バオ・チは、その後も執筆を続けた。
母の日記を補完する形で、母の生涯を詳細に描いた伝記を執筆した。それは、単なる歴史書ではなく、一人の女性の人生を追体験するような、情感豊かな作品だった。
彼女は、母の言葉を一つ一つ拾い上げ、その意味を探り、そして読者に伝えた。
「母は、『自由』を求めました。しかし、彼女の自由は、西洋的な自由ではありませんでした。彼女は、東洋の伝統の中で、西洋の自由を生きることを選びました。それは、誰にも真似のできない、彼女だけの自由でした。」
彼女はまた、母とドアン・ホイ皇太后の関係についても書いた。
「皇太后は、母の敵でした。しかし、彼女もまた、一人の母親でした。自分の愛する息子を、誰にも奪われたくなかったのです。その愛が、過剰になり、歪み、母を苦しめた。母は、その苦しみの中で、自分自身の愛のあり方を学びました。彼女は、決して自分の子どもたちを縛りませんでした。彼女は、彼らを自由にしました。」
9
1990年代、バオ・チはベトナムに戻る決断をした。
彼女は、母が生涯を通じて愛し、そして失った故郷を、自分の目で見たかった。また、母の日記に登場する場所を、実際に訪れたかった。
フエの王宮。紫禁城。アンディン宮殿。
彼女はそれらを訪れ、母が立っていた場所に立った。母が座っていた場所に座った。母が泣いた場所で、彼女も泣いた。
「ママ、あなたはここで戦っていたのね。」
彼女は、かつて母が皇太后と対峙した太和殿の前に立ち、そう呟いた。
そして、アンディン宮殿の庭園で、母が子どもたちと遊んだ場所で、彼女はこう言った。
「あなたは、ここで幸せだった。本当の幸せを、見つけていた。」
その時、彼女は母の声を聞いたような気がした。
私は、幸せだった。あなたたちがいてくれたから。
10
バオ・チは、ベトナムから帰国後、最後の著作を執筆した。
『母という名の皇后』——それは、ナムフォン皇后の生涯を、母親の視点から描いた作品だった。
彼女は、その本の序文にこう書いた。
「私は、母の人生を追いかけることで、母を理解しようとした。しかし、それは同時に、私自身を理解することでもあった。母は、私に生きる意味を教えてくれた。そして——死ぬ意味も、教えてくれた。
母は、ベトナム最後の皇后だった。しかし、彼女は決して過去の遺物ではなかった。彼女は、常に未来を見ていた。子どもたちの未来を。ベトナムの未来を。
私は、母を誇りに思う。そして、母の娘であることを、誇りに思う。」
11
2007年、バオ・チは75歳でこの世を去った。
彼女の遺言には、こう書かれていた。
「私の著作の印税は、すべてベトナムの女性教育のために使ってください。母は、女性の力——知性と意志の力——を信じていました。私は、その信念を、次の世代に伝えたい。」
彼女の葬儀は、質素に行われた。しかし、その場には多くの人々が集まった。文学者たち、ベトナム人コミュニティのリーダーたち、そして——母の日記を読んで感動した一般の読者たち。
棺の上には、彼女が愛した本が一冊置かれていた。母の日記だ。
彼女は、母を書くことで生き、母を語ることで死んだ。
そして、彼女の著作は、永遠に読み継がれていく。
12
ナムフォン皇后の物語は、バオ・チによって、永遠に語り継がれるものとなった。
彼女は、母の沈黙を破った。母の真実を、世界に伝えた。そして、母の遺産を、次の世代に託した。
彼女は、母の「最も似た娘」だった。
しかし、彼女は単なる「母のコピー」ではなかった。彼女自身の声を持ち、彼女自身の戦いを戦った。そして——彼女自身の方法で、母を愛した。
バオ・チは、母の影の中で生きることを選んだ。しかし、その影は、彼女自身の光を隠すものではなかった。むしろ、その影があるからこそ、彼女の光はより一層輝いた。
「私は、母の遺産を継ぐ者です。」
彼女は生前、そう言った。
「しかし、私は母ではありません。私は、私です。」
その言葉は、彼女の人生を完璧に要約していた。
彼女は、母の娘であることを誇りに思いながら、同時に——自分自身であることを誇りに思っていた。
それが、バオ・チの戦いだった。
そして、それは——彼女の母が、彼女に教えたことだった。




