第六話 亡命、そして静寂
1
1949年の秋、パリは冷たい雨に濡れていた。
ナムフォンはアパルトマンの窓から、灰色の空を見つめていた。セーヌ川は濁った水をたたえ、カフェのテラスは閑散としている。戦争の傷跡はまだ癒えていなかった。
彼女の手元には、バオダイからの手紙があった。
「ベトナムに戻ることを決めた。フランスの支援の下で、新しい政府を樹立する。お前と子どもたちにも、戻ってきてほしい」
彼女はその手紙を三度読み返し、そして静かに封筒に戻した。
戻れ、と。
あの紫禁城に。あの皇太后の支配下に。あの——何も変わらない場所に。
彼女は首を振った。
子どもたちはフランスの学校に通い始めていた。バオ・ロンは寄宿学校で優秀な成績を収め、バオ・ナンはピアノの才能を伸ばしていた。彼らは新しい環境に適応し、新しい友達を作り、新しい言葉を覚えていた。
今さら、戻るわけにはいかない。
ナムフォンはバオダイに返事を書いた。
「子どもたちの教育が途中です。私は彼らと共にフランスに残ります。あなたは、あなたの道を行ってください。私たちは、私たちの道を行きます」
その手紙を送った後、彼女は長い間、ソファに座り込んだ。
終わった。すべてが、終わったのだ。
2
1950年、バオダイはサイゴンで「ベトナム国」の国家元首に就任した。
それは、フランス連合内の自治国という位置づけだった。完全な独立ではない。バオダイはまたしても「誰かの操り人形」になった。今回の主役はフランスだ。
ナムフォンは、そのニュースをフランスの新聞で読んだ。写真には、バオダイが新しい制服を着て、国旗の前で立っている姿が写っていた。その顔には——かつてダラットの庭園で見せたあの輝きは、もはやなかった。
彼は、自分の選択をした。
ナムフォンはそう思った。彼の選択は、いつも「楽な方」だった。フランスにつくこと。権力にすがること。過去の栄光にしがみつくこと。
しかし、彼女は違う。彼女は自分の選択をした。子どもたちと共に、新しい人生を歩むことを。
「ママ、どうして悲しそうなの?」
バオ・ナンが尋ねてきた。彼女はもう12歳だった。感受性が強く、母親の微妙な表情の変化を見逃さなかった。
「悲しくなんかないわ」ナムフォンは微笑んだ。「ただ——何かが終わったの。そして、新しい何かが始まるのよ」
「何が始まるの?」
「あなたたちの未来よ」
3
1951年、バオダイがパリを訪れた。
公務の一環だった。フランス政府との会談のために。しかし、彼はその合間を縫って、ナムフォンと子どもたちに会いに来た。
アパルトマンのインターホンが鳴った時、ナムフォンは一瞬、誰が来たのかわからなかった。
ドアを開けると、そこには——見覚えのあるスーツを着た、見覚えのある男が立っていた。少し太ったように見えた。目の下にはくまがあった。
「久しぶりだな」
バオダイはそう言って、ぎこちなく微笑んだ。
ナムフォンは彼を中に入れた。子どもたちは、久しぶりの父親に、最初は戸惑っていた。バオ・ロンだけが、きちんと礼儀正しく挨拶をした。
「お父様、お久しぶりです」
その言葉が、バオダイの胸に刺さったのだろう。彼の顔が一瞬、歪んだ。
「みんな、大きくなったな」
彼はそう言って、子どもたちの頭を撫でようとした。しかし、バオ・ナンはさっと身を引いた。その仕草に、バオダイの手が空中で止まった。
ナムフォンはその光景を見て、胸が痛んだ。しかし、彼女は何も言わなかった。
これが、現実だ。
バオダイは、その夜、遅くまでアパルトマンに滞在した。彼は、ベトナムでの政治状況について語った。フランスとの交渉の難しさについて語った。そして、時折、昔の思い出を語った。
「ダラットのあの庭園を覚えているか?初めてお前に会った時——」
「覚えています」ナムフォンは静かに言った。「あなたは白いスーツを着ていました。とても——若く見えました」
「今は、もう若くない」バオダイは苦笑した。「お前も、変わったな」
「変わりました」ナムフォンは認めた。「変わらないのは、あなただけです」
その言葉の意味を、バオダイは理解したのだろう。彼は、それ以上何も言わなかった。
4
翌朝、バオダイは去った。
別れ際、彼はナムフォンの手を握り、こう言った。
「いつか、戻ってきてほしい。ベトナムに。私の——いや、私たちの国に」
ナムフォンは、その手をそっとほどいた。
「いつか、子どもたちを連れて戻ります。しかし、それは——あなたの妻としてではありません。一人の母親として。一人のベトナム人として。」
バオダイは何か言いかけて——やめた。
彼は振り返らずに去った。
ナムフォンは、その背中を見送りながら、呟いた。
「さようなら、バオダイ」
それが、彼女が彼に送った最後の言葉だった。
5
それから数年、ナムフォンはフランスで静かに暮らした。
子どもたちは成長し、それぞれの道を歩み始めた。バオ・ロンはフランスの名門大学に進学し、その後、フランス外人部隊に入隊した。それは彼自身の選択だった。
「なぜ外人部隊なの?」ナムフォンは尋ねた。
「ベトナム人として、フランス人として——どちらでもない自分を、どこかに見つけたいんだ」
その言葉に、ナムフォンは胸が締め付けられた。
彼もまた、二つの世界の間に立っている。私と同じように。
バオ・ナンは、パリでファッションデザインを学んだ。彼女は母親の美意識を受け継ぎ、独自のスタイルを確立していった。バオ・チは文学を志し、バオ・ルオンとバオ・ザンは、まだ幼かった。
ナムフォンは、彼ら全てを見守った。口出しはしなかった。彼女は、自分が母からそうされたように——選択の自由を子どもたちに与えた。
「あなたたちは、自分で決めなさい。何を学び、誰と結婚し、どこに住むか。私は、あなたたちの選択を尊重する。たとえそれが、私の望みと違っていても」
バオ・ナンが、ある晩、こう尋ねた。
「ママは、後悔してるの?お父様と結婚したことを」
ナムフォンは、少し考えた。そして、静かに答えた。
「後悔はしていない。もしあの時、あなたたちが生まれなかったとしたら——それを想像すると、胸が痛む。あなたたちは、私の人生で最も大切なものだ。だから、後悔はしていない」
「でも、辛かったんでしょ?」
「辛かったわ。でも——人生は、辛いことばかりじゃない。あなたたちが笑うたびに、その辛さは報われた」
バオ・ナンは、母親の手を握った。
「私も、ママみたいな母親になりたい」
ナムフォンは、その言葉に涙した。
6
1963年、ベトナムで政変が起こった。
バオダイの「ベトナム国」は、ゴ・ディン・ジエム率いる政権によって打倒された。バオダイは、再び国外へ逃亡した。今回はフランスではなく、モナコだった。
ナムフォンは、その知らせを聞いても、特に驚かなかった。彼女は、バオダイの運命がそうなることを、既に予感していたからだ。
彼は、最後まで自分の国に根を下ろせなかった。
彼は、常に「誰かの庇護」を求めた。独立した人間になることを、最後まで恐れた。
しかし、彼女は彼を責めなかった。彼もまた、被害者だったのだ。グエン朝という古いシステムの申し子として生まれ、母親の過剰な愛に支配され、フランスと日本の間で翻弄された。
彼に、自分で選択する力は、最初から与えられていなかった。
7
1960年代後半、ナムフォンの健康状態が徐々に悪化し始めた。
五度の出産が彼女の身体に与えた負担は、決して小さくなかった。それに加えて、精神的なストレス——皇太后との闘い、バオダイの不在、亡命生活での孤独——が、彼女の身体を蝕んでいた。
医師は「安静にしてください」と言った。
しかし、彼女は安静にできなかった。子どもたちのことが心配だった。特に、バオ・ロンは外人部隊で危険な任務に就いていた。
「私は、まだやることがある」彼女は医師に言った。
「何をなさるおつもりですか?」
「子どもたちに、ベトナムのことを教える。彼らが——いつか故郷に戻った時、自分たちがベトナム人であることを誇りに思えるように」
彼女は病床で、ベトナムの歴史を書き始めた。子供向けの、やさしい言葉で。グエン朝の始まりから、フランス植民地時代、そして独立運動まで。
「ママは、本を書くの?」バオ・ザンが尋ねた。
「そうよ。あなたたちに、ベトナムのことを伝えたいの」
「でも、ベトナムは危ないんでしょ?戻れないんじゃないの?」
ナムフォンは、娘の手を握った。
「戻れなくても、忘れてはいけない。あなたたちの血は、ベトナムの土から来ている。それを忘れたら、あなたたちは——自分が何者なのか、わからなくなってしまう」
それは、彼女自身が人生を通じて学んだ教訓だった。
8
1970年代初め、ナムフォンは最後の決断を下した。
「私は、フランスに残る」
それは、バオダイがモナコから「一緒に暮らそう」と誘ってきた時の返事だった。
バオダイは、年老いて、孤独を感じていた。彼は、かつての妻に、最後の慰めを求めたのだ。しかし、ナムフォンはその申し出を断った。
「私たちは、もう別々の人生を歩んでいます。あなたは、あなたの道を。私は、私の道を。それが、お互いのためです」
バオダイは、その返事に激怒したと言われている。しかし、ナムフォンは動じなかった。
「私は、もう過去には戻らない。子どもたちが、私の未来です」
その言葉には、揺るぎない決意が込められていた。
9
1975年、サイゴンが陥落した。
ベトナム戦争が終わり、共産主義勢力がベトナム全土を掌握した。多くのベトナム人が海外に逃れた。それは「ボートピープル」と呼ばれる大規模な亡命だった。
ナムフォンは、その知らせをフランスで聞いた。
彼女は長い間、テレビの前に座り、映像を見つめていた。故郷の街が、別の勢力に支配される瞬間を。
涙は出なかった。彼女は、もう泣き尽くしていた。王朝の終焉、夫との別離、故郷を離れること——その全てを、彼女は既に経験していた。
しかし、彼女の心には、一つの確信があった。
ベトナムは、終わらない。
誰が支配しようと、あの国は生き続ける。あの国の人々は、生き続ける。
そして、私の子どもたちも、ベトナム人として生き続ける。
彼女は、書きかけの本を開いた。まだ完成していなかった。
もう少し、頑張ろう。
10
1970年代後半、ナムフォンの病状は悪化した。
彼女は、ほとんどベッドの上で過ごすようになった。子どもたちは、交代で彼女の世話をした。バオ・ナンは、母親のためにスープを温め、バオ・チは本を読み聞かせた。
ある日、バオ・ロンが帰省した。彼は、外人部隊を退役し、フランスで新しい仕事に就いていた。
「ママ、元気かい?」
「元気よ」ナムフォンは微笑んだ。「あなたに会えて、嬉しい」
彼は、母親の手を握った。その手は、かつて彼を抱きしめたあの手よりも、ずっと小さく、そして冷たくなっていた。
「ママ——」
「言わなくていいわ」ナムフォンは彼の言葉を遮った。「私は、幸せだった。あなたたちがいてくれたから。それだけで、十分だった」
バオ・ロンは、涙をこらえながら、うなずいた。
「私たちも、幸せだったよ。ママがいてくれて」
その夜、ナムフォンは日記を書いた。それは、彼女が最後に書いた日記だった。
「私は、多くのものを失った。帝国、地位、夫、故郷。しかし、私は決して失わなかったものがある。それは、自分自身だ。パリで学んだ自由の精神。アンディン宮殿で育てた母親としての強さ。そして——子どもたちへの愛。
私は、ベトナム最後の皇后だった。しかし、それ以上に、私は一人の女性であり、一人の母親だった。そのことを、私は誇りに思う。
これから先、私の子どもたちがどんな人生を歩もうと、彼らは私の愛を忘れないだろう。それが、私の遺産だ。」
11
1979年、ナムフォンはフランスの小さな村で、静かに息を引き取った。
64歳だった。
彼女の最期の言葉は、こうだった。
「ベトナム——」
その言葉は、彼女が生涯を通じて愛し、そして失った故郷への、最後の呼びかけだった。
彼女の葬儀には、子どもたちと、ごく少数の親しい友人だけが参列した。華やかさはなかった。しかし、その静けさの中に、彼女の人生を象徴する何かがあった。
彼女は、静かに生きた。静かに戦った。そして、静かに死んだ。
彼女の遺体は、フランスの墓地に埋葬された。しかし、彼女の心は——常に、ベトナムにあった。
12
後に、バオダイはナムフォンについて、こう語ったという。
「彼女は、私が出会った中で、最も強い女性だった。私は彼女を愛した。しかし、私は彼女を守ることができなかった。それが、私の生涯最大の過ちだ」
その言葉は、真実だった。しかし、ナムフォンは、誰かに守られることを望んでいたわけではない。
彼女は、自分自身を守ることを選んだ。
そして、自分の子どもたちを守ることを選んだ。
彼女は、王朝の終焉を見つめた。しかし、彼女自身は、終わらなかった。彼女は、新しい時代を、自分の足で生き抜いたのだ。
ナムフォン皇后——彼女の物語は、ここで終わる。
しかし、彼女の遺産は、子どもたちの中に、孫たちの中に、そして——ベトナムの歴史の中に、永遠に生き続ける。




