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ナムフォン皇后——王朝の終焉を見つめた女  作者: はまゆう


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5/11

第五話 王朝の終焉、そして

1


1945年3月11日、バオダイはハノイで「独立宣言」を行った。


日本の支援の下で、ベトナムはフランスからの「独立」を宣言したのだ。ただし、これは実際には植民地支配者がフランスから日本に変わっただけに過ぎなかった。多くのベトナム人は、この「独立」に喝采しなかった。彼らは感じていた——これが真の独立ではないと。


ナムフォンは、その知らせをアンディン宮殿で聞いた。彼女は特に何も言わなかった。ただ、ため息をついただけだ。


彼はまた、誰かに操られている。


バオダイは、自分で決断したと思っている。だが、その決断は、常に「より強い力」によって誘導されていた。かつてはフランス人。今は日本人。彼は、その時々の「勝ち馬」に乗っているだけだ。


彼女は子どもたちのほうを向いた。バオ・ロンは9歳。バオ・ナンは7歳。バオ・チは5歳。バオ・ルオンは3歳。バオ・ザンはまだ生後4ヶ月。


この子たちには、真の独立を教えなければならない。誰かに操られない生き方を。


2


その年の夏、ベトナムは飢饉に襲われた。


日本の統治下で、米の徴発が厳しく行われた結果、多くの農民が食べるものを失った。北部を中心に、約200万人が餓死したと言われている。


王宮の中にも、飢饉の影は忍び寄っていた。食料の価格が高騰し、使用人たちの中にも、家族を養えなくなった者がいた。


ナムフォンは、自分の蓄えを切り崩して、使用人たちの家族に食料を配った。


「皇后様、こんなことをなさると、皇太后様が——」


侍女が心配そうに言った。しかしナムフォンは首を振った。


「人が飢えているのに、宮殿の中で贅沢を続けるわけにはいかない」


その言葉は、彼女の本心だった。パリで学んだ啓蒙思想——「人間の尊厳」「自由と平等」——それらは、飢えた農民を見て初めて、現実的な重みを持った。


同時に、彼女はある違和感を覚えていた。


なぜ、皇帝である夫は、何もしないのか?


バオダイはダラットにいた。避暑地でのんびりと過ごしていると聞いた。国民が飢えている時に。


その時、彼女の中で、最後の尊敬の念が消えた。


3


1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された。8月9日、長崎にも。


日本は、もはや戦争を続けられなかった。


8月15日、日本の降伏が宣言された。ベトナムの統治者は突然、消えた。そこには、誰もいなかった。フランスも、日本も、どちらも支配者としての資格を失った。


そこに、現れたのが——ベトミンだった。


ホー・チ・ミン率いるベトミンは、「独立」の旗を掲げ、全国に進軍した。彼らは、バオダイの「独立帝国」を認めず、真の人民主権に基づく新政府の樹立を宣言した。


バオダイは、その知らせをハノイで受け取った。彼は、数日間、何の行動も起こせなかった。彼には、もはや選択肢がなかった。フランスは戻ってこない。日本は敗れた。ベトミンは力を持っている。


8月22日、バオダイは退位を決意した。


彼は、ナムフォンに電報を打った。


「退位する。お前と子どもたちは、安全な場所に避難してほしい」


ナムフォンは、その電報を読み終えると、静かにたたんだ。


ついに、この時が来た。


彼女は子どもたちを集め、こう言った。


「あなたたちの父は、皇帝をやめることになりました。これから、私たちは、普通の市民になります。怖いですか?」


バオ・ロンは首を振った。「怖くない。ママがいるから」


バオ・ナンは、母親の手を握った。「ママはどこにでも行くの?」


「行くわ。あなたたちと一緒に」


その夜、ナムフォンは日記にこう書いた。


「帝制は終わった。それは、必然だった。バオダイは、最後まで自分の運命を選べなかった。選べるものは、ただ一つ——退位という形だけだった。しかし、私は違う。私は、自分の運命を自分で選ぶ。子どもたちと共に、新しい時代を生きることを。」


4


1945年8月30日、午門。


フエの王宮の正面玄関である午門の前には、数千人の群衆が集まっていた。彼らは、最後の皇帝の最後の姿を見ようとしていた。


バオダイは、王朝の正装——黄龍の刺繍が施された金色の衣——を身にまとい、午門の前に立った。その姿は確かに威厳に満ちていた。しかし、その目は虚ろだった。


彼の側には、役人たちが立っていた。フランス人の代表もいた。ベトミンの代表もいた。様々な勢力が見守る中で、彼は退位の宣言を読み上げた。


「朕は、ここに帝位を退く。朕は、民族の独立と統一のために、この決断を下した——」


その言葉の一つ一つが、ナムフォンの胸に突き刺さった。


彼女は午門から少し離れた場所に立っていた。窓から、その光景を見ていた。子どもたちは、その意味を完全には理解していなかった。バオ・ロンだけが、母の緊張を感じ取って、黙って彼女の手を握っていた。


宣言の後、バオダイは剣と印章——王朝の権威の象徴——をベトミンの代表に手渡した。


それで終わりだった。


何百年も続いたグエン朝は、その瞬間に、歴史の中に消えた。


ナムフォンは、涙を拭った。それは、喪失の涙ではない。安堵の涙だった。


長かった。長すぎた。


5


退位の翌日、バオダイはナムフォンのもとを訪れた。


彼は、皇帝の装束ではなく、シンプルなスーツを身にまとっていた。その姿は、まるで普通の会社員のようだった。いや、それ以下だ——何かを失った後の空虚さを抱えた、哀れな男のように。


「お前と子どもたちを、守れなかった」彼は言った。


ナムフォンは答えなかった。


「私は、ここに残る。新しい政府の『最高顧問』として。お前と子どもたちは——フランスに行った方がいい。安全だから」


「あなたは、それでいいのですか?」ナムフォンは聞いた。


「何が?」


「『最高顧問』として残ること。それは、あなたの本当の望みなのですか?」


バオダイは、しばらく沈黙した。そして、小さな声で言った。


「他に、何ができる?」


その言葉を聞いて、ナムフォンは確信した。


この人は、変わらない。最後まで、変わらない。


彼女はこう答えた。


「私は、子どもたちを連れて、故郷に戻ります。サイゴンに。そこなら、母もいる。安全です。そして——フランスに行くかどうかは、その後で決めます」


バオダイは、何か言いかけた。しかし、結局何も言わなかった。


彼は、その場を去った。


その背中は、かつてダラットの庭園で見た白いスーツの青年とは、まったく別人だった。


6


1945年9月2日、ホー・チ・ミンはハノイのバーディン広場で、ベトナム民主共和国の独立を宣言した。


「全ての人は、生まれながらにして平等である。創造主は、全ての人に、譲ることのできない権利、すなわち、生命の権利、自由の権利、そして幸福追求の権利を与えた——」


それは、アメリカ独立宣言の言葉だった。そして、フランス人権宣言の言葉でもあった。ナムフォンがパリで学び、心の底で信じてきた言葉だった。


彼女は、その宣言をラジオで聞いた。


涙が止まらなかった。それは、喜びの涙だった。


私は、間違っていなかった。自由は、決して夢ではない。


しかし、その喜びは長く続かなかった。


フランスが、植民地の奪還を目指して、インドシナに軍隊を送ると言い出したのだ。独立宣言からわずか数週間後、フランス軍はサイゴンに上陸した。


戦争が、始まろうとしていた。


7


ナムフォンは、サイゴンで母親と暮らし始めた。


アンディン宮殿のような贅沢はなかった。しかし、そこには、皇太后の支配も、宮廷のしきたりも、夫の逃亡もなかった。


ただ、母親と、子どもたちと、静かな時間があった。


「お前は、よく頑張った」母親は言った。「皇后として、妻として、母親として。もう、十分に戦った。これからは、休みなさい」


ナムフォンは、その言葉に甘えたかった。しかし、彼女の心は、休むことを許さなかった。


子どもたちの未来は、どうなるのか。


ベトナムの未来は、どうなるのか。


私は、何もせずに、ただここにいるだけでいいのか?


彼女は、バオダイに手紙を書いた。新しい政府との関係について。子どもたちの教育について。そして、自分のこれからの生き方について。


バオダイからの返事は、いつも遅く、そして内容は曖昧だった。


「考えている」「様子を見ている」「もう少し待ってほしい」


待つ。また「待つ」のか。


彼女は、その「待つ」という言葉に、ほとほと嫌気が差していた。


8


1946年、バオダイは香港へ渡った。


「最高顧問」としての立場は、もはや彼にとって重荷でしかなかった。ベトミンの支配が強まる中で、かつての皇帝に対する風当たりは強くなる一方だった。彼は、また逃げた。


「香港で、新しい仕事を見つける。落ち着いたら、お前と子どもたちを呼び寄せる」


ナムフォンは、その言葉を信じなかった。彼は、香港で何か「仕事」をするとは思えなかった。また、愛人を作り、享楽に暮らすだけだろう。


彼女は、自分で決断した。子どもたちを連れて、フランスへ渡ることを。


そこには、彼女の青春があった。自由があった。理性があった。


そして何より——子どもたちに、最高の教育を与えることができる場所だった。


1946年の秋、ナムフォンは子どもたちを連れて、サイゴンを発った。フランスへ向かう船のデッキで、彼女はベトナムの大地を最後に見た。


いつか、戻る日が来るのだろうか。


その問いに対する答えは、誰も知らなかった。彼女自身も、知らなかった。


9


フランスでの生活は、想像していたよりも困難だった。


戦後間もないフランスは、物資が不足していた。パリのアパルトマンは、アンディン宮殿に比べれば狭く、そして寒かった。子どもたちは、慣れない環境に戸惑い、時にはベトナムに帰りたいと泣いた。


ナムフォンは、その困難を一人で背負った。


彼女は、子どもたちにベトナム語を教え続けた。ベトナムの習慣も教えた。「あなたたちは、フランス人ではない。ベトナム人だ。どれだけ長くフランスに住んでも、その事実は変わらない」


その言葉は、彼女自身への戒めでもあった。


彼女もまた、ベトナム人だった。皇后ではなくなっても、ベトナム人であることに変わりはない。


バオダイは、香港から時々手紙をよこした。その内容は、いつも同じだった。


「近いうちに会いに行く」「子どもたちに会いたい」「お前を愛している」


しかし、彼はめったに約束を守らなかった。


ナムフォンは、その手紙を読み終えるたびに、小さなため息をついた。


彼は、変わらない。最後まで、変わらない。


そして、その手紙を、他の手紙と同じように、机の引き出しにしまった。


10


1949年、バオダイはベトナムに戻った。


フランスが、「バオダイ・ソリューション」という政策を打ち出したのだ。つまり、かつての皇帝を利用して、ベトミンと戦おうという計画だった。バオダイは、「ベトナム国」の国家元首に就任した。


ナムフォンは、その知らせをフランスで聞いた。彼女の表情は、複雑に歪んだ。


彼はまた、誰かの操り人形になるのか。


彼女は、バオダイに手紙を書こうかと思った。しかし、やめた。何を書いても、彼は変わるまい。彼は、強い者に従うことしか知らない。それが彼の生き方だ。


彼女は、子どもたちとの生活に専念することにした。


バオ・ロンは13歳になっていた。彼は、フランスの寄宿学校に通い始めていた。バオ・ナンは11歳。バオ・チは9歳。バオ・ルオンは7歳。バオ・ザンは5歳。


彼女は、この五人の子どもたちを、立派なベトナム人に育て上げることが、自分の使命だと思っていた。


王朝は終わった。皇后の肩書きも、もう意味を持たない。


しかし、母親としての責任は、永遠に続く。


その責任を、彼女は誰よりも重く受け止めていた。


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