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ナムフォン皇后——王朝の終焉を見つめた女  作者: はまゆう


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第二話 紫禁城への入城

1


結婚式の翌朝、彼女はフエの王宮へ入った。


紫禁城。その名前は、北京の故宮を模して付けられた。だが、本家に比べれば規模は小さい。それでも、彼女にとっては——パリの広々とした大通りや、瀟洒なブティックが並ぶ街並みに慣れた彼女にとって——それは異世界だった。


高さ六メートルの城壁が、王宮を外界から完全に遮断していた。その城壁はただの防御施設ではない。内と外を隔てる「境界」そのものだった。中の者は外の自由な空気を知らず、外の者は中の秘密を覗けない。それが、この場所のルールだった。


門をくぐった瞬間、彼女は違和感を覚えた。


空気が違う。重い。濕気を含んでいるだけではない、何か目に見えない圧力が、彼女の肩にのしかかってくるような感覚。それは、何百年もの間、この場所に蓄積された「歴史の重み」だった。儀礼、規範、しきたり、禁忌——それらがすべて、この空気の中に溶け込んでいた。


案内を務めた老女官は、終始無言だった。彼女はおそらく、三世代にわたって王宮に仕えてきた人物だろう。皺だらけのその顔には、何も語らないという強い意志が刻まれていた。


「こちらが太和殿でございます」


「こちらが勤政殿でございます」


「こちらが……」


言葉は必要最低限。余計な情報は与えない。彼女たちは、この新しく来た皇后——しかもフランス育ちの異邦人——を試していたのだ。どれだけのことを自分で理解できるか。どれだけのことを自分たちに尋ねるか。


ナムフォンは尋ねなかった。


彼女は黙って歩き、黙って見て、黙って覚えた。パリのサン・ジェルマン高等学院で学んだ経験が、ここで生きていた。あの場所でも、彼女は「異邦人」だった。ベトナム人の娘として、フランス人の少女たちの中で、彼女は常に観察することを学んだ。敵を知り、場の空気を読み、自分の振る舞いを決める——それは彼女の生存戦略だった。


太和殿の前で、彼女は立ち止まった。


重厚な木造建築。朱塗りの柱。龍の彫刻が施された屋根。そのすべてが、「権威」を体現していた。彼女はパリでルイ14世のベルサイユ宮殿を見たことがある。あれは「絶対王権の美」だった。この太和殿は、それとは異なる。ここにあるのは「威圧」だ。見る者を屈服させるための、計算された威圧。


これが、私が生きる場所。


彼女はそう思い、そっと息を吸った。


2


その時だった。


「おや、もうお着きになったのですか」


背後から、良く通る声が聞こえた。


振り返ると、そこに立っていたのは——中年の女性だ。絹のアオザイを身にまとい、髪は伝統的な様式で美しく結い上げられている。顔立ちはバオダイによく似ている。しかしその目は、バオダイの優しげな瞳とは対照的に、獲物を見定める鷹のような鋭さを持っていた。


ドアン・ホイ皇太后。バオダイの実母。


ナムフォンは即座に跪こうとした。式の前に、宮廷の作法を簡単に教えられていたからだ。しかし皇太后は手を上げてそれを制した。


「結構です。あなたはフランス育ちなのでしょう?無理にベトナムの作法をなさる必要はありません。お互いに気持ち悪いだけですから」


その言葉は表面上は優しい。だが、その裏には明確な毒が含まれていた。「あなたはベトナム人として失格だ」「あなたはここに相応しくない」——そう言われているのと同じだった。


ナムフォンは顔を上げて、皇太后の目をまっすぐに見返した。


「ありがたく存じます。しかし私は、ベトナムの皇后として、ベトナムの作法を学ぶつもりでおります」


皇太后の眉が、ほんの一瞬、動いた。


それは驚きだった。これまでのバオダイの愛人たち——あるいは結婚の候補として宮廷に呼ばれた女性たち——は、皇太后の前では常に委縮していた。誰一人として、このようにまっすぐに皇太后の目を見て答えた者はいなかった。


「おやまあ」皇太后は微笑んだ。「それは結構なお心がけです。では、じっくりとお学びなさい。ただし——」


彼女は一歩前に進み、ナムフォンの耳元でささやいた。


「学べないものもありますよ。たとえば——この宮殿の『空気』とかね」


そう言って、皇太后は優雅に去っていった。その後ろ姿は、まるで勝負は既についたと言わんばかりだった。


ナムフォンは、その場にしばらく立ち尽くしていた。


彼女の頬を、冷たい汗が伝った。緊張からではない。むしろ——怒りからだ。彼女は理解した。この女性が、彼女の敵なのだ。そして、この敵は、これまで彼女が経験したどんな敵よりも、狡猾で、根深く、そして圧倒的に「この場所」を支配している。


3


その夜、バオダイは彼女を「秘密の部屋」へ連れて行った。


王宮の奥深く、一見すると何もない壁の一部を押すと、隠し扉が開いた。その先に広がっていたのは——パリのアパルトマンを思わせる空間だった。


フランス式のアンティーク家具。床にはペルシャ絨毯。壁には印象派の複製画。書棚には、バルザック、ゾラ、プルースト——フランス文学の名著がずらりと並んでいた。そして部屋の中央には、グランドピアノが置かれている。


「ここは、私だけの場所です」


バオダイはそう言って、恥ずかしそうに笑った。


「10代でフランスに行き、6年過ごした。帰国した時、私は——この国に自分を合わせられなかった。何もかもが重くて、息が詰まりそうだった。だから、自分だけの『フランス』を、この場所に作ったんです」


彼はピアノの蓋を開け、ショパンのノクターンを弾き始めた。指使いは確かだが、どこかぎこちない。長年、この部屋だけで練習してきたのだろう。聴衆の前で演奏する機会など、ほとんどなかったに違いない。


ナムフォンはその音を聴きながら、彼の中に自分を見た。


彼もまた、二つの世界の間に立っている。


パリでは自由を学んだ。しかしベトナムに戻れば、帝制の重圧が彼を待っている。母親の支配。宮廷のしきたり。官僚たちの思惑。すべてが、彼を「伝統的な皇帝」という型に押し込めようとしている。


「私はあなたと話していると、落ち着くんです」


バオダイは演奏を終え、彼女の方を向いた。


「あなたもパリを知っている。フランス語で話せる。ベトナムのしきたりに縛られていない。あなたと一緒にいると——私は自由になれる気がする」


彼は彼女の手を取った。その手は、皇帝の手とは思えないほど、柔らかく、そして少し震えていた。


「約束します。私はあなたを守ります。母親からも、宮廷からも、すべてから。あなたは私の——」


ナムフォンは、その言葉を最後まで聞かなかった。


彼女は彼の手を握り返しながら、心の中で別のことを考えていた。


彼は「私が彼を守る」と言うべきなのに、「彼が私を守る」と言っている。それは、彼がすでに弱っている証拠だ。彼は自分の力で母親から逃れられない。自分の力で宮廷のしきたりを変えられない。だから、誰かに——私に——救いを求めている。


だが、彼女はその思考を表に出さなかった。


「ありがとうございます」


彼女はそう言って微笑んだ。その微笑みは、花が開くように優雅で、しかしその奥には決意の炎が静かに燃えていた。


4


結婚から最初の数ヶ月、彼らは本当に幸せだった。


バオダイは彼女をどこへでも連れて行った。狩猟の行楽。フランス人高官たちとの晩餐会。ダラットの別荘での週末。彼は彼女に最高級のドレスを贈り、宝石を贈り、彼女のエレガンスを誰にでも自慢した。


ある夜、ハノイのフランス総督府での晩餐会でのこと。ナムフォンがバレンシアガのイブニングドレスを身にまとい会場に現れた時、フランス人女性たちでさえ息を呑んだ。ベトナム人女性が、ここまでのエレガンスを纏えるとは誰も思っていなかったのだ。


「誰があのドレスを仕立てたのかしら?」


「パリの最新のスタイルを知っているの?」


「あの立ち居振る舞い——まるでサン=ジェルマン・デ・プレのサロンみたい」


囁き声が会場に広がった。その中には、嫉妬もあった。だが、それ以上に賞賛が含まれていた。


バオダイは誇らしげに彼女の手を引いて歩いた。その目は、子供が新しい玩具を手に入れた時のような無邪気な喜びで輝いていた。


「あなたのおかげで、私は自信を取り戻せた」彼は車の中でそう言った。「あなたが隣にいてくれるなら、私は何も怖くない」


ナムフォンは微笑んだ。しかしその心には、少しの寂しさがあった。


彼は「皇帝」としての自信を取り戻したのではなく、「フランス語を話せるエレガントな妻を持つ男」としての自信を取り戻しただけだ。彼が求めているのは、強い皇后ではなく、自分を飾る宝石だ。


この違和感は、最初はほのかだった。しかし時間とともに、確実に大きくなっていく。


5


問題は、思いのほか早く訪れた。


結婚から三ヶ月が過ぎたある日、ナムフォンは宮廷の儀式に参加するよう命じられた。祖先を祀る儀式だ。グエン朝の歴代皇帝に供物を捧げる重要な行事だった。


彼女は伝統的なアオザイを身にまとった。黒いシルクの生地に、金糸で刺繍が施されている。ドアン・ホイ皇太后から「これを着なさい」と渡されたものだ。


しかし儀式が始まってすぐ、問題が起きた。


「違います」


皇太后の鋭い声が響いた。


「その簪の挿し方が間違っています。あなたは、ベトナムの伝統を知らないのですね」


ナムフォンは一瞬たじろいだが、すぐに姿勢を正した。


「どのように直せばよろしいのでしょうか」


「それくらい、自分で考えなさい。皇后という地位にいるのなら」


皇太后はそう言って、彼女に背を向けた。その場にいるすべての宮女や官吏が、ナムフォンを見つめている。彼女の反応を、待っている。


これはテストだ。


ナムフォンは深呼吸をした。彼女はパリで学んだことを思い出していた。ルソーは言った。人間は自由に考えることができると。モンテスキューは言った。法とは理性に基づくものだと。


だが——ここでは、理性より「しきたり」が優先される。


彼女は最も安全な選択をした。


「申し訳ございません。教えてください」


そう言って頭を下げたのだ。


皇太后は満足そうに微笑んだ。そして、老女官に命じて、簪の正しい挿し方を教えさせた。


その日、ナムフォンは学んだ。この場所では、正しさよりも「従順さ」が求められるということを。そして、皇太后はその「従順さ」を引き出すことに、老練なほどに長けているということを。


6


ドアン・ホイ皇太后は、なぜそこまでナムフォンを敵視したのか。


後年、宮廷に長く仕えた老女官が、その理由をこう語っている。


「皇太后様は、バオダイ様を『自分の分身』のようにお思いでした。いや、それ以上です。バオダイ様は、皇太后様がこの冷酷な宮廷の中でただ一人信頼できる『自分の一部』だったのです」


この「自分の分身」という表現が、すべてを説明している。


ドアン・ホイは、前皇帝カイディン帝の妃の一人に過ぎなかった。カイディン帝には多くの妃がいた。その中で、彼女が特別だったのは、息子——バオダイ——を産んだことだけだ。


カイディン帝が1925年に崩御した時、バオダイは12歳。まだフランスに留学中だった。その後、1932年に帰国するまで、実質的にベトナムを統治していたのは、フランスの最高顧問と——宮廷内ではドアン・ホイだった。


彼女は、息子の地位を守るために、多くの戦いを経験してきた。宮廷内の陰謀。フランス人たちの干渉。そして何より——他の妃たちの嫉妬と策略。それらすべてを生き抜いてきた女性が、ただ一人信じられるのは、自分の血を分けた息子だけだった。


そこに、ナムフォンが現れた。


フランス帰りで、洗練されていて、美しく、そして——バオダイが夢中になるほどの魅力を持った女。


ドアン・ホイにとって、ナムフォンは「息子を奪う脅威」でしかなかった。それ以上でも、それ以下でもない。彼女がどれだけ賢くても、どれだけ美しくても、どれだけバオダイを愛していても——それは関係ない。ただ、「自分以外の女が息子の心を独占している」という事実だけで、彼女はナムフォンを憎むのに十分だった。


ある時、皇太后は側近にこう漏らしたという。


「あの女は、私から息子を奪った。それだけで——死刑に値する」


7


意地悪は、徐々にエスカレートした。


最初は、小さなことだった。儀式での服装の細かい指示。食事の作法への注文。ナムフォンがカトリック信徒であることへの当てこすり。


「あなたは仏教徒ではないのね。まあ、仕方ないわ。フランスではそういう教育を受けたのだから」


だが、その言葉の裏にあるのは「ベトナム人として失格」という烙印だった。


次に、侍女たちを使った嫌がらせが始まった。ナムフォンに仕えるはずの侍女たちは、皇太后の指示で、わざと仕事を怠った。朝の着替えに時間がかかり、湯浴みの準備が遅れ、食事が冷めた状態で運ばれてくる。


ナムフォンが苦情を言えば、皇太后はこう言った。


「まあ、そんなことが?調べますわ。でも——あなたも、もう少し自分から動いたほうがいいのではなくて?皇后ともあろう方が、すべてを人任せでは困りますもの」


それは、明らかな矛盾だった。「皇后としての威厳を保て」と言いながら、「自分で動け」とも言う。どちらに転んでも、ナムフォンが責められるように仕組まれていた。


そして最も効果的な嫌がらせは——バオダイを使うことだった。


8


皇太后は、息子に対して絶えずプレッシャーをかけた。


「お前は皇帝だ。妻のそばにばかりいるわけにはいかない」


「官吏たちが、お前の女癖の悪さを噂しているぞ」


「母として言う。お前はもっと——男を見せなければならない」


その圧力は、バオダイの弱さに直撃した。


彼は確かにナムフォンを愛していた。その愛は本物だった。しかし同時に、彼は母親の支配から逃れることができなかった。子供の頃から「皇帝としての義務」を叩き込まれてきた彼にとって、「母の言葉に逆らう」ことは、自己否定に等しかった。


ある夜、バオダイが珍しくナムフォンの寝室を訪れた時、彼はこう言った。


「母が、お前にあまり贅沢をさせるなと言っている」


ナムフォンは驚いた。「私たちは、何か無駄を使いましたか?」


「いや——そうではない。ただ、母は——お前がパリのような生活をここに持ち込もうとしているのではないかと心配している」


「私は何も——」


「わかっている」バオダイはため息をついた。「わかっているんだ。でも——母を怒らせるわけにはいかない。私には、母が必要なんだ」


「なぜですか?あなたは皇帝です。あなたが決めれば——」


「できない」彼の声が、かすかに震えた。「お前にはわからない。この宮殿では、誰もが敵だ。官吏たちは私の弱みを探っている。フランス人は私を操ろうとしている。親族たちは私の地位を狙っている——信じられるのは、母だけなんだ」


ナムフォンはその言葉を聞いて、強い絶望を感じた。


彼は、母親の支配に囚われていることに、自分で気づいていない。いや——気づいていて、それでも「必要」と言っている。それでは、私はいつまで経っても、この宮殿の中で「他人」のままだ。


「わかりました」


彼女はそう言って、それ以上何も言わなかった。


この時から、バオダイと彼女の間に、小さな溝が生まれた。それは最初はほんのわずかなものだった。しかし確実に、時間とともに深くなっていく。


9


1935年、ナムフォンの妊娠が判明した。


バオダイは本当に喜んだ。彼は彼女の体調を気遣い、フランスから最高級のワインを輸入させ、パリの産科医を呼び寄せようとした。そのあまりの過保護ぶりに、ナムフォンは思わず笑ってしまったほどだ。


「あなたは初めての父親になるのですから」彼女は彼に言った。「緊張しすぎです」


「当たり前だ」彼は真剣な顔で答えた。「私たちの子供だ。この国を継ぐ王子かもしれないんだ」


しかし、その喜びは長く続かなかった。


ドアン・ホイ皇太后が介入してきたのだ。


「皇后の懐妊は、帝国の大事業です。私が全てを取り仕切ります」


彼女はそう宣言し、妊娠中のナムフォンに対して、古い儀礼の遵守を強制し始めた。食事制限。行動制限。さらには、毎日の読経と礼拝。


それらは全て、ナムフォンの身体に大きな負担をかけるものだった。


特に辛かったのは「出産前の断食」だった。ベトナムの古い習わしでは、出産前に一定期間の断食をすることが、母子を清めるとされていた。現代医学の観点からすれば、まったくの迷信だ。


ナムフォンは反論した。


「パリの医師は、妊娠中の断食は危険だと——」


「パリの医師?」皇太后は鼻で笑った。「ここはベトナムです。パリではありません。あなたはベトナムの皇后なのですから、ベトナムのやり方に従いなさい」


ナムフォンはバオダイに助けを求めた。


「あなたのお母さまに、この儀礼の不合理さを説明してくれませんか?私たちの子供の健康に関わることです」


バオダイは困った顔をした。


「わかった。母に話してみる」


しかし、その「話してみる」は、結局何も変わらなかった。


後日、彼は肩を落として戻ってきた。


「母は聞き入れなかった。『古来からのしきたりを破る者は、王家の呪いを受ける』と言っている」


「それでは——このままこの苦しい儀礼を続けろと?」


「仕方ない」バオダイは目をそらした。「今は、母の言う通りにしておいたほうがいい。お前の身体のためにも」


「私の身体のため?」ナムフォンは思わず声を荒げた。「この儀礼が、どれだけ私の身体に負担をかけているか——」


「わかっている」バオダイは彼女の言葉を遮った。「わかっているんだ。でも——母に逆らえば、もっと面倒なことになる。ここは、我慢するときだ」


その時、ナムフォンは確信した。


この男は、私の味方にはなれない。彼は常に「楽な方」を選ぶ。そしてその「楽な方」は、いつも母親の側だ。


溝は、少し深くなった。


10


1936年1月、ナムフォンは男児を出産した。


バオ・ロン王子。後の歴史家たちが「悲劇の王子」と呼ぶことになる美しい赤ん坊だった。黒くて大きな瞳。母親似の繊細な顔立ち。しかし産声は、驚くほど力強かった。


出産の瞬間、バオダイは立ち会わなかった。


彼はその時、別の場所にいた。皇太后が「皇帝は儀式の準備をしなければならない」と彼を呼び出したのだ。ナムフォンは、ただ一人で、フランス人の産科医とベトナム人の助産師たちに囲まれて、子供を産んだ。


赤ん坊を抱いた時、彼女の頬を涙が伝った。


それは喜びの涙だった。しかし同時に——絶望の涙でもあった。


私は一人で戦わなければならない。この子を守るために。自分を守るために。誰も、私の味方にはならない。


産後、バオダイが病室を訪れた時、彼はこう言った。


「ご苦労だった。立派な男の子だ」


それだけだった。


ナムフォンは赤ん坊を抱きしめながら、静かに答えた。


「ありがとうございます。私は——この子がいますから。それで十分です」


バオダイはその言葉の真の意味を、理解しなかった。


しかし、その時点で、彼女の心の中では、もう一つの決断が下されていた。


彼に頼るのはやめよう。私の人生は、私が決める。子どもたちの人生も、私が守る。


それが、紫禁城での彼女の「本当の入城」だった。花嫁としてではなく、戦士として。


11


それから間もなく、ナムフォンはアンディン宮殿への移転を決意した。


紫禁城の中心から少し離れた、比較的小さな宮殿だった。皇后の居館としては格下に見られる場所だ。宮廷の人々は噂した。


「どうやら皇后は皇太后に追い出されたらしい」


「最初から、あのフランス育ちが紫禁城に馴染めるはずがない」


「見てごらん。三年と持たないよ」


しかし、ナムフォンはそんな噂を気にしなかった。彼女には明確な計算があった。


アンディン宮殿は、皇太后の目が届きにくい場所だ。そこに移れば、細かい干渉から逃れることができる。同時に、バオダイの葛藤に巻き込まれることも少なくなる。彼が来たい時に来て、帰りたい時に帰る——その距離感が、かえって二人の関係を保つのだと彼女は考えた。


そして最も重要なのは——子どもを皇太后の影響下から守れることだった。


「ここで、私たちだけで生きていきましょう」


彼女は生まれたばかりのバオ・ロンを抱きながら、そう呟いた。


その声には、夫への非難も、宮廷への怒りも含まれていなかった。ただ——母親としての静かな決意だけがあった。


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