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ナムフォン皇后——王朝の終焉を見つめた女  作者: はまゆう


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1/4

第一部 王朝の妃 第一話 ダラット、初夏

1


パリに行く前、彼女は自分が何者であるかを知らなかった。


1914年12月14日。ティエンザン省。


フランス領インドシナの南部、メコン川の支流が幾重にも蛇行する土地で、グエン・ハオ・グェン家の長女が生まれた。彼女は「マリー・テレーズ・グエン・フー・トー」と名付けられた——後にベトナム最後の皇后となる女性だ。


だが、その瞬間、誰もそんな未来を想像しなかった。彼女はただ、ベトナムでも有数の大富豪の娘だった。父親のグエン・ハオ・グェンは、カトリックに改宗したベトナム人商人として、フランス企業とベトナムの伝統的経済の間にまたがる複雑なネットワークを築いていた。母親のグエン・ティ・アインもまた名家の出で、フランス語を流暢に話し、パリの最新ファッションを身にまとう——当時のベトナム人女性としては稀有な存在だった。


彼女が初めて感じた「違和感」は、おそらく五歳の頃だ。


屋敷の中庭で、ベトナム人の使用人たちが彼女に話しかける時、彼らはベトナム語を使った。しかし両親が彼女に話しかける時——特に母親は——フランス語を話した。同じ家の中に二つの言葉が存在していた。彼女の意識は、その二つの言葉の隙間で、絶えず揺れ動いていた。


「お前は特別なのだ」と父親はよく言った。「特別な者は、特別な言葉を話さねばならない」


彼女はその意味を完全には理解していなかった。ただ、自分が「普通のベトナム人の子供」とは何かが違うのだということだけは、肌で感じていた。


2


1926年。彼女が12歳になった年、両親は重大な決断を下した。娘をパリへ留学させる、という決断だ。


「なぜパリでなければならないのですか?」彼女は母親に尋ねた。


母親は優雅に微笑んだ。「パリは世界の中心よ。あなたがあの空気を吸わなければ、あなたは永遠に田舎の富豪の娘のままだわ」


この言葉には、母親の深いフランス崇拝が表れていた。だが同時に、母親は別のことも考えていた——娘の美しさは、単にベトナムの田舎で誇るだけのものではない。もっと大きな舞台が必要だ。パリで教養を身につけ、フランス語を完璧に操り、西欧のエレガンスを纏ったベトナム人女性——それは、いずれ王侯貴族の目に留まるに違いない。


母親の計算は、この時点で既に始まっていたのかもしれない。


船で海を渡り、汽車でヨーロッパ大陸を横断する長旅の末、彼女はパリに到着した。彼女を迎えたのは、想像以上の世界だった。


サン・ジェルマン高等学院。セーヌ左岸の石造りの校舎には、何百年もの歴史が息づいていた。アイビーが絡みつく壁。磨き抜かれた床。教室から見える整備された庭園。すべてが、彼女にとって新鮮だった。


同級生たちは、パリの上流階級の娘たちだった。彼女らは、最初は好奇心と軽い偏見を混ぜた目でこの「アンナンからの少女」を見ていた。だがすぐに、その態度は変わった。


マリー・テレーズ——彼女はフランスではそう名乗った——は、言葉の壁を異様な速さで乗り越えた。半年も経たないうちに、彼女のフランス語は、パリ生まれの同級生たちと遜色ないレベルに達していた。そればかりか、彼女はフランス文学に深い関心を示し、授業でラシーヌやコルネイユを読む時、時に教師が驚くような洞察を見せた。


「彼女はただフランス語を学んでいるのではない」と、後にフランス文学担当のマダム・ドゥボルドは記している。「彼女はフランスという精神そのものを理解しようとしている。それは、ある種の悲壮なまでの決意を感じさせた」


特に彼女を魅了したのは、18世紀の啓蒙思想だった。


ルソーの『社会契約論』。モンテスキューの『法の精神』。ヴォルテールの哲学書簡。彼女はそれらを貪るように読んだ。そして、そこに記された「人間は自由である」「すべての人間は生まれながらに平等である」という言葉に、彼女の内側で何かが震えた。


ベトナム——そこでは、皇帝が絶対的な権力を持ち、人々は階級によって厳しく区分されていた。彼女が子供の頃に見てきた王宮の儀式や、官僚たちのヒエラルキーは、啓蒙思想の目で見れば、完全に「非合理的」なものだった。


ある夜、彼女は寮の窓からパリの夜景を眺めながら、日記にこう書き留めている——


「私は二つの世界の間に立っている。一方の世界では、人間は生まれながらの身分に縛られている。もう一方の世界では、人間は自らの理性で未来を切り開く。私はどちらを選ぶべきなのか。それとも——両方を選ぶことはできないのか」


この問いは、彼女の人生を貫くテーマとなる。


だが同時に、彼女はある疎外感を決して拭えなかった。どれだけフランス語が堪能になり、どれだけパリの習慣に染まっても、鏡に映る自分の顔は——あきらかに「アジアの顔」だった。


休み時間、同級生たちがパリ郊外の別荘の話をする時、彼女は自分の故郷の蒸し暑い気候や、水牛が田んぼで泥にまみれる風景を思い出した。彼女はその二つの風景のどちらも愛していた。だが、そのどちらにも完全に属することができない自分がいた。


3


18歳。彼女は学位を取得した。優秀な成績だった。


しかしその喜びもつかの間、両親から一通の手紙が届いた。帰国せよ——そう指示する手紙だ。


彼女はその手紙を三度読み返した。パリのアパルトマンの窓から見えるセーヌ川の水面が、夕日に染まっていた。あと少しで、パリの夕暮れの灯りがともり始める。カフェでは学生たちが政治論争に熱中しているだろう。書店では新刊の哲学書が並び、劇場では新しい演劇が上演されている——


この全てを失うのか。


彼女は激しく葛藤した。パリでの生活を続ける自由もある。両親は遠く離れており、彼女の経済的自立も不可能ではない。しかし——彼女は帰国することを選んだ。


そこには、ある種の「運命への服従」と、同時に「運命への挑戦」が混ざっていた。ベトナムに帰れば、そこは啓蒙思想とは無縁の世界だ。しかし、だからこそ——彼女は、あの不合理な世界の中で、何かを変えられるかもしれない。その可能性に賭けたのだ。


4


1932年6月。ハノイに上陸した瞬間、彼女は「帰ってきた」というより「違う星に降り立った」という感覚を抱いた。


パリの澄んだ空気とは対照的な、湿気を帯びた熱。通りに溢れる人々の声。屋台から立ち上るフォーの湯気。そして何より——王宮を中心に回る社会の構造。


彼女を迎えに来た父親は、8年ぶりに会う娘を見て、しばらく言葉を失った。そして、やっとのことでこう言った。


「お前は……本当に美しくなった。パリがお前を変えたのだな」


だが、その言葉の裏で、父親の目はビジネスライクに輝いていた。彼はすぐに、この美しく、教養ある娘が「どれだけの価値を持つか」を計算し始めていた。


母親はさらに直接的だった。帰国後わずか数日で、母親は彼女にこう言った。


「ダラットに行きましょう。あなたはそこで何かに出会うかもしれない」


「何かに?」彼女は問い返した。


母親は意味深長に微笑むだけだった。


その「何か」が何であるかは、彼女もすぐに理解することになる。


5


ダラットは確かに「何か」が違う場所だった。


標高1500メートルの高原に広がるこの避暑地は、フランス人たちが「東洋の小さなパリ」と称した場所だ。ユーカリの並木道。石造りのカトリック教会。湖畔に建つ瀟洒なヴィラ。すべてが、パリの郊外を思わせた。


だが、パリと違うのは、その「偽物感」だった。フランス人たちは、ここに「理想のフランス」を再現しようとしたのだ。それは一種の植民地のノスタルジアであり、同時に——フランス本国では失われつつある古き良き時代への憧れだった。


彼女の両親が滞在していた「白い館」は、ダラットでも指折りの豪邸だった。三階建ての建築物には10以上の部屋があり、中庭にはフランス式の幾何学模様の庭園が広がっていた。庭師たちが毎日丹念に手入れをするバラの花壇は、パリのリュクサンブール公園をほうふつとさせた。


到着した初日、彼女はその庭園を一人で散歩していた。パリで身につけた習慣だ。歩きながら考える——それだけで、彼女の心はある程度整理された。


私はなぜ帰国したのか。これからの人生をどう生きるのか。パリで学んだ理性と自由は、ベトナムのどこに置けるのか。


その時だった。


「皇后陛下——いや、まだ皇后ではないか」


彼女の父親の声が聞こえた。振り向くと、父親が若い男性を伴って庭園に現れた。


その瞬間、彼女の時間は止まった。


白いスーツを身にまとったその若者は、驚くほど端正な顔立ちをしていた。グエン朝の伝統的な王族の血統を感じさせる、しかし同時に——何かを失っている者の目をしていた。


バオダイ。グエン朝の13代皇帝。当時21歳。


彼は13歳でフランスに留学し、6年間をパリとその近郊で過ごした。その後帰国し、1932年——つい昨年のことだ——19歳で帝位を継いだばかりだった。


彼の目が彼女を捉えた。その瞬間、彼の表情が——ごくわずかに変わった。皇帝としての威厳を保ったまま、しかしその瞳の奥に、何かが灯ったのだ。


それは、「一目惚れ」という言葉が陳腐に感じられるほどの強い光だった。


彼女もまた、彼の中に何かを感じた。パリで過ごした者だけが持つ、ある種の「空気感」——言葉にしなくても伝わる共有の記憶。彼もまた、二つの世界の間に立って悩んだ経験を持つ人間なのだ。それが、初対面の瞬間に彼女の心に伝わった。


簡単な挨拶が交わされた。皇帝の態度は終始丁寧で、しかしその眼差しは彼女に釘付けだった。彼女の父親が何やら話しかけている間も、彼の視線は彼女から離れなかった。


別れ際、彼は彼女にこう言った。


「またお目にかかれますように」


それは単なる儀礼的な言葉ではなかった。


6


その夜、彼女の両親は彼女を応接間に呼んだ。


ソファに座った父親は、珍しく緊張した面持ちだった。母親はその隣で、まるですでに勝負がついたかのような勝ち誇った微笑みを浮かべている。


「今日、皇帝陛下はお前に強い関心を示された」と父親は切り出した。「おそらく、近いうちに正式な申し込みがあるだろう」


「私は何も聞いていませんが」と彼女は平静を装って答えた。


「聞くまでもない」と父親は言った。「私は女心には詳しくないが、男の目つきはよく知っている。あの目は、お前を——皇后にすると言っているのだ」


「皇后」


彼女はその言葉を反芻した。パリで学んだ啓蒙思想を思い出した。『社会契約論』——人民の権利。『法の精神』——権力の分立。それら全てが、帝制とは根本的に相容れない。


「お前の意思が最も重要だ」父親は続けた。「パリで学んだ理性で判断しなさい」


これは父親にしては珍しい言葉だった。普段は命令的な彼が、娘に選択を委ねる——それ自体が、この話が相当に重大であることを物語っていた。


実際、後年明らかになることだが、グエン・ハオ・グェンはこの結婚話に複雑な思いを抱いていた。娘が皇后になれば、商業的利益は確かにもたらされるだろう。しかし同時に、政治的なリスクも大きかった。宮廷の権力争いに巻き込まれる危険性。そして何より——皇帝の母親、ドアン・ホイ皇太后との関係。


彼はそれら全てを計算していた。商人としての本能が、この話は「買い」だと告げていた。しかし同時に、それは大きな「賭け」でもあった。


彼女はその夜、眠れなかった。


バオダイという男。彼の何が彼女を惹きつけたのか。それは単なる「パリ帰りの仲間意識」だけではない。彼の目にあったあの「失われた何かを求める光」——それは、彼女自身の目にも宿っているものだった。二人は同じ病を抱えていた。二つの世界の間に立つことで生じる、決して癒えない分裂。それを共有できる者は、ベトナムにもフランスにも、そう多くはない。


もし彼と一緒になれば、彼女はその病を分かち合えるかもしれない。孤独ではなくなるかもしれない。


しかし同時に、彼女は帝制という「古い制度」の一部になる。自由を求めてパリに渡った自分が、最も自由を制限する制度の中枢に身を置く——それはあまりに皮肉ではないか。


だが——彼女はもう一つ別の可能性も考えていた。


もし私が皇后になれば、私は古い制度の内部から、その制度を変えることができるかもしれない。


それはパリでの理想主義と、現実主義の間の、ある種の妥協だった。しかし同時に、それは彼女なりの「戦い方」でもあった。


翌朝、彼女は両親に答えた。


「承諾します」


その言葉には、迷いはなかった。しかし、その目には——パリでの自由を永遠に失うことへの、かすかな悲しみが浮かんでいた。


7


それから数ヶ月、結婚交渉が水面下で進められた。


グエン・ハオ・グェンは、その全てを掌握していた。彼は単なる商人ではなく、フランス植民地当局との交渉にも長けた政治家顔負けの人物だった。彼が提示した条件は、ベトナムの宮廷慣習からすれば破格のものだった。


「娘には、皇帝の存命中から『皇后』の地位を与えよ」


通常、ベトナムの皇帝の正妻は、夫の死後に初めて「皇后」と称される。存命中は単に「妃」にすぎない。しかしグエン・ハオ・グェンは、その慣習を真っ向から否定した。


宮廷の保守派たちは猛反対した。「前代未聞の横柄さだ」「商人風情が身の程を知らぬ」——そんな声が王宮の裏で渦巻いた。


しかしバオダイは、全ての反対を押し切った。


彼は母親のドアン・ホイ皇太后にこう言ったと伝えられている。


「私は彼女が欲しいのです。他の誰でもありません。慣習を変えることになろうとも」


皇太后は青ざめた。息子がこれほど強硬になったことは、かつてなかったからだ。彼女は何か言いかけたが、結局何も言わなかった。しかしその目は——決して納得していないことを物語っていた。


この時、皇太后は確信した。このパリ帰りの女が、自分から息子を奪うのだと。


歴史家たちは後年、バオダイのこの決断について様々に論じた。ある者は、彼が本当にナムフォンに恋をしたからだと説く。ある者は、彼が単にフランス的なエレガンスに憧れたからだと説く。またある者は、母親の強い支配から逃れるための手段として彼女を選んだのだと説く。


真実は、その全てだったのだろう。


バオダイは自由を求めていた。帝制の重圧、宮廷のしきたり、官吏たちの建前、そして絶えず干渉してくる母親——それら全てから逃れたかった。パリで過ごした自由な日々を、取り戻したかった。


ナムフォンは、その「自由」の象徴のように見えた。彼女と一緒にいれば、彼は再びパリの空気を吸えるかもしれない。彼女の洗練された振る舞い、彼女の西欧的なものの考え方、彼女の合理的な判断——それら全てが、彼にとっては救いだった。


だが彼は気づいていなかった。彼が求めていた「自由」は、皇后という地位に就いた彼女が、最も手放したくないものだったということを。


8


1933年3月20日。


フエの王宮は、祝賀の装いに包まれていた。


赤と金の絨毯が宮殿の床を覆い、何千ものろうそくが幻想的な光を投げかけていた。百官たちは正装を身にまとい、フランスの高官たちも参列していた。


彼女は、真珠で飾られたアオザイを身にまとっていた。伝統的なベトナムの衣装でありながら、フランスの最新のドレスメーカーが彼女のために特別に仕立てたものだ。東洋と西洋の融合——それは彼女の人生そのものを象徴していた。


バオダイは彼女の手を取った。その瞬間、彼の目には、子供のような無邪気な喜びが輝いていた。


「私はあなたを幸せにします」と彼はささやいた。


彼女は微笑んだ。しかしその心には、奇妙な静けさがあった。結婚式の華やかさとは裏腹に、彼女の頭の中は冷静だった。


これが私の戦いの始まりだ。


参列者の中に、ドアン・ホイ皇太后の姿があった。彼女は表向きは微笑んでいたが、その目は氷のように冷たかった。


「マリー・テレーズ・グエン・フー・トー」は、この日から「ナムフォン皇后」となった。「南の方」という意味のその名は、彼女の新しいアイデンティティの象徴だった。


披露宴の最中、一人の老婆が彼女に近づいてきた。宮廷に長く仕える老女官だった。彼女は小声でこう言った。


「皇后陛下、皇太后様は——息子を誰にも渡すおつもりはありません。どうかお気をつけて」


その言葉は、結婚式という祝祭の舞台裏に潜む暗い影を、一瞬だけ照らし出した。


しかしその時のナムフォンは、まだその言葉の本当の意味を理解していなかった。


彼女が理解するのは、これから始まる長い戦いの中でだった。そしてその戦いは——彼女が想像していたような、華やかな宮廷ロマンスとは、まったく異なるものだったのだ。


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