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-8- 〜雨が降るはずだったらしい〜


「今日は、外出はやめておかれた方がよいかと思います」

 朝食のあと、セドリックがそう言った。

「天気予報では、昼頃から雨が降ると出ています。本日の外出はご遠慮いただけますか」

「天気予報?」

(この世界にも、あるんだ……。でも、よく考えたら予知が当たり前の世界だし、そりゃそうか)

「はい。連邦でも、天候については未来視を活用しています。帝国レベルの深く強力な未来視とは、比べるべくもございません、しかし──」

 そこで、ちょっとセドリックは誇らしげな顔になった。

「民の農業や漁業に直結しますので。精度は高く、連邦では百年以上、外れたことがありません」

「……百年間一度も外れない天気予報」

 未知流が繰り返す。それは確かに……すごい。

「ですから、今日は──」

「でも、行きます」

「は」

「外に出たいんです」と未知流は、はっきり言った。

「部屋の中にいるだけでは、自分がここにいる意味が分からなくて。この世界のことを、もっと知りたい」

 セドリックは少しの間、困ったような顔をしていた。

「……レオニス様は多忙でして」

「多忙なのはわかってます。でもわからないことは聞きたいから、危険のない程度に護衛の人がついて来てくれれば十分です」

「稀人様」

「雨なら、濡れて帰ります。それだけです」

 セドリックはもう一度だけためらい、それから静かに息を吐いた。

「……承知しました。ただし、レオニス様にご相談を。それと、私も同行します。他に護衛を誰かつけましょう」

「ありがとうございます」


(百年間外れない天気予報か)

着替えながら、窓の外を見る。空は白く曇っていたが、雨が降りそうな気配はなかった。

(セドリックは自信満々だったけど、本当に降るんだろうか?)

 予報が当たるかどうかは、降ってみればわかることだ。

未来のことなど考えても仕方ない。未知流はそれ以上深く考えることを止め、支度を始めた。


 *****


 城門を出た途端、困った。

というのも、行き交う人の誰もが足を止めるからだ。

最初の一人が目を丸くして立ち止まり。それを見た隣の人が振り返る。

気がつけば、石畳の通りに小さな人だかりができていた。何やら、ひそひそ声も聞こえてくる。

(あれが稀人様……)(なんてお美しい……)(この世のものとは思えない……)

 この世のものとは思えないとか言われると、自分がバケモノになったみたいで困惑する。

いや、褒められているのは分かっているのだけど。

(芸能人のひとって、いつもこんな気分なんだろうか。正直、一般人の私にはしんどい)

未知流はなるべく気にしていないそぶりをして、そのまま足を進めた。

「稀人様」とアレクシスが小声で言った。「あの、大丈夫ですか」

「大丈夫です。私が珍しいんでしょう」

「珍しいというか……」アレクシスは少し言いよどんだ。「まあ、はい」

(言いよどんだあたりが正直だよね)

と思いながら、未知流はそのままにしておいた。


 通りを進んでいくと、石畳の広場に出た。

中央に噴水がある。水は透明で、底の石が透けて見えた。その周りに屋台が並んでいる。

焼けた肉の、食欲をそそるいい匂い、不思議なスパイスのような香り。

どこかの花の甘い香りや、革製品の匂いなど、全てがごちゃまぜな市場独特の空気だ。

目に飛び込んでくるものが、どれも少しずつ地球と違う。

 屋台の果物は、見たことのない形のものが多い。

螺旋状に伸びたピンク色の何か。

半透明で、中に小さな光が揺れているような紫の実。

果物の名前が書いてあるのだろうけど、看板の文字は読めない。

 未知流が看板の前で首をひねっていると、まるで大スターが自分の店を訪れたような熱心さで売り手が親切に説明してくれようとする。

(そっか、当たり前だけど……文字は読めないんだな)

 普通に会話できていたから気付かなかったけど、意外なところで不便な落とし穴があったものだ。

「これは食べられるんですか」と未知流が聞くと、アレクシスが「食べられます、甘いですよ」と答えた。

 試しに一口もらうと、確かに甘かった。

芳香が強く、地球でいうとライチに近いような、でもそれとも違う、今まで食べたことのない初めての風味を感じる。この世界の味──それしか言えない。

「おいしい」

 出てきたのはその一言だけだった。これでは食レポ失格である。

「よかった」とアレクシスが言って、なぜかほっとした顔をした。

「アレクシスも好きなの? これ」

「自分は──」彼は少し間を置いた。「連邦に来てから初めて食べたんですけど、好きです」

 子供の頃、国境を越えてきた。その前には何を食べていたのだろう。聞けなかった。

でも、「好きです」という短い言葉の中に、思い出やいろんな感情があったのだろう。

たぶん、そんな気がした。

 広場を抜け、少し細い路地に入ると石造りの建物が続く。

洗濯物が窓から出ていたり、猫に似た動物が塀の上で丸くなっていたり、生活の匂いがした。

「あの」と未知流は言った。「城の外って、こんな感じなんですね」

「こんな感じ、とは?」

「なんていうか、普通に人が暮らしているんだなと思って」

 セドリックが少し笑った。

「それはそうでしょう。稀人様は、何を想像されていたのですか」

「わからないですけど、もっと……物々しい感じ? 帝国から守るために、緊張感があるというか」

「もちろん、緊張感がないわけではありません」とセドリックは言った。

「ただ、民の日常こそが連邦の日常です。それが崩れたとき、守るべきものがなくなる」

 未知流は、その言葉をしばらく噛みしめた。

守るべきものがある、ということ。

レオニスが一人で戦い続けた理由が、こういう路地の空気の中に詰まっている気がしたから。


 路地を抜けたところで、ふと目が止まった。

広めの通りに面したベンチに、男が二人並んで座っていた。

片方が何か言って、もう片方がそれに笑った。

笑った拍子に肩が触れ、触れたまま離れない。

友人同士の距離感ではないけれど、ごく自然な、日常の一コマだった。

(あ、やっぱりそういうことなのかな)

 未知流は、広場でも路地でも同じ光景を何度か目にしていた。

男性同士で腕を組んでいたり、連れ立って花を買っていたり。

誰も振り返らない。誰も不思議がらない。

「セドリックさん」

「はい」

「さっきから思ってたんですけど、男の人同士のカップルが多いですよね」

「そうですね」とセドリックは言った。

「男が多いですから。珍しいことではありません。この世界では」

「地球だと、国によって受け入れられ方がまちまちで」

「ここでは別段、特別なことではないですね。そもそも男が圧倒的に多いですし、戦の多かった時代は、男同士で生き残った者が支え合うのは当然のことでした。今もそれが続いています」

戦の時代が作った文化が、今の日常に溶け込んでいる。


「稀人様」

アレクシスが、少し緊張した声で言った。

正面から、人の一群がこちらに向かってくる。先頭の男が目の前で、ぴたりと止まった。

「──稀人様ではございませんか」

「はい」

「お会いできるとは、思ってもみませんでした」

 男はその場で膝をついた。それを見た後ろの者たちが、ざざ、と連鎖するように頭を下げる。

「どうか、連邦をお守りください。我々はあなた様のことを、ずっと……」

「あの、頭を上げてください」

 男の顔には、祈るような真剣さがあった。

笑顔でも、社交辞令でもない。本当に信じている、という表情。

(──この人たちにとって、私は希望なんだ)

 それは、じんわりと重かった。嫌だということではない。

こういう顔を見てしまったら、もう頑張るしかない。そういう意味だ。

「頑張ります」

 さっきの食レポといい、語彙がなさすぎる。

以前テレビで見た中学生のオリンピック選手でも、もっと気の利いた決意表明をしてたと思う。

でも、他に言えることがなかった。

 自分では落第点の回答だと思っていたが、自己評価に反して、男は感激したように顔を上げた。目が少し赤くなっている。

「ありがとう……ありがとうございます」


 人だかりが落ち着いて、三人でまた歩きはじめる。

「大丈夫ですか」とアレクシスが聞いた。

「うん」

「……稀人様にはプレッシャーですよね」

「アレクシスは、こういうの、慣れた?」とふと聞いてみた。

「レオニス様について歩いていたら、ああいう反応、しょっちゅうだよね?」

 アレクシスは少し考えた。

「レオニス様へのあれは、もっと──なんていうか、信頼、みたいな感じです。あの人がいれば大丈夫という。稀人様へのは、もっと……祈り、に近いと思います」

「微妙に違うんだ」

「はい。でも、どちらも本物だと思います」

 信頼と祈り。未知流はその違いを、頭の中で比べてみた。

(レオニスは、この人たちの信頼を一人で背負ってきたんだ。何年も)

 アルカディアを失って、それでも諦めないできた。

 未知流は昨晩の城壁での出来事を思い出した。

「ありがとう」という、飾りのない、それだけの言葉。

 ずっと一人で戦ってきた人。

──そういう人を、側で守りたいと思うのは、変なことだろうか。

(──ん?)

この気持ちに、何かの答えが出そうな気がしたのに。

その答えは──すっとどこかへ消えていく。

(まあ、いいか)

考えが霧散したまま、未知流は散策を続けた。


 *****


 昼をとうに過ぎた頃、空はまだ曇っていたが、雨の気配はなかった。

「……降りませんね」とアレクシスが言った。

「予報は昼頃からでしたが」とセドリックが空を見上げる。その顔が、少し不思議そうだった。

 街の人たちも、「おかしいな……」と呟きながら空を見上げている。

「外れた、ということですかね」

「百年間外れなかったのに?」

「そうなのですが」

 三人は少しの間、曇り空を見上げた。

 未知流には、ただの曇り空だった。予報が外れることなんて、地球では日常茶飯事だ。

(そういえば、外に出るって言ったの私だった)

 でも、それが雨と関係あるとは思えない。

「ラッキーでしたね」と言うと、セドリックが「そうですね」と言った。

だが、その視線は空ではなく、未知流のほうへ一瞬だけ向けられていた。

(なんか考えてる顔っぽい)

「セドリックさん?」

「なんでもありません」と彼は言った。「少し、思うところがあっただけです」

 そのまま黙る。セドリックには、確信に近いものが芽生えていた。

(おそらく、稀人様が行動を変えたから、未来も変わった)

 しかし、未知流には、雨が降らなかった理由が自分に関係しているとは、思いもしない。

ただ、予報が外れた曇り空の下で、この世界の空気を少しだけ胸に吸い込んだ。

 帰り道、噴水の前をもう一度通る。朝に比べて、人が増えていた。

子供が噴水の縁で走って、親らしき男性に引っ張られて笑っている。

老人が二人、ベンチで何か話している。屋台の売り子が、隣の店の男と冗談を言い合っている。

(こういう日常を、守れたら)

それは、きれいごとじゃなかった。

アレクシスの両親が、起きてもいない未来のせいで殺された。

レオニスの国が、何もしていないのに滅ぼされた。

同じことが、この土地で繰り返されてはいけない。

未知流は、リベルタスの道を、踏みしめるように歩いた。


 *****


 クロノス帝国の宮殿は、常に静かだった。

 喧騒とは無縁の場所だ。廊下を歩く者は誰も、必要以上の音を立てない。皇帝の御前では特に。

「申し上げます」

 跪いた将校の声が、広い謁見の間に低く響いた。

「連邦に関する未来視を行いましたが、本日も不鮮明でございます。稀人がリベルタスの城内にいる限り、周辺の予知が霧に包まれたように──」

「わかっている」

 皇帝の声は静かだった。玉座の奥から、表情は見えない。

「稀人が来るたびに、そうなる。五百年前もそうだった。百年前もそうだった。そして今回も」

 将校は頭を上げなかった。

「稀人は、我らの世界を乱す者」

 皇帝は立ち上がった。足音が、石の床に吸い込まれるように静かに響く。

「予言は民を守るためにある。秩序を保つためにある。それを理解できない稀人に、この世界を乱す資格はない」

 窓の外に、曇った空が広がっている。

「稀人の力が及ぶものすべては、未来視ができなくなる。ならば、答えは一つ」

 皇帝の目が、細まった。

「稀人を、この世界から消す。どんなことをしてでも、だ」

 将校は深く頭を垂れた。

 廊下の向こうで、誰かが足音を殺して遠ざかっていく。宮殿はまた、静かになった。

 曇り空の向こうで、雨の気配だけが、どこかへ消えていた。


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