-7- 〜まだ子ども扱い、らしい〜
翌朝目が覚めると、ずっしりと体が重い。
昨夜の会議の余韻が疲れとなってまだ体に残っていた。
ベッドから出るのに踏ん切りが必要で、与えられた部屋の天井を、しばらくぼんやりと眺めていた。
石造りの城内は薄暗い。陽射しが恋しくて中庭に出ると、稽古の音がしていた。
剣と剣が打ち合う音に混じって、「いたた」とか「あっ」とか、妙に間の抜けた声が聞こえてくる。
音のするほうへ歩いていくと、若い騎士が一人、丸太を相手に素振りをしていた。
正確には、素振りというより、打ち込んでは体勢を崩し、立て直してはまた崩し、を繰り返している。
未知流に気がついた瞬間、彼はぴたりと止まった。
「──あ」
「こんにちは」
「こ、こんにちは──いや、ご機嫌麗し……」
語尾が空中に溶けて、ぜんまいが切れたブリキのおもちゃのように動きが止まった。
未知流が首をかしげていると、彼は大きく咳払いをして、仕切り直すように背筋を伸ばした。
「失礼いたしました。自分、アレクシスと申します。第一騎士団所属で──えっと」
とにかく何回も詰まる。そして、ときおり未知流の顔を見ては、なぜか固まる。
「……稀人様に、ご挨拶を申し上げたく、思っておりまして」
彼がなんとか言い終わるのを待って、未知流も挨拶をした。
「ありがとうございます。未知流です。よろしくお願いします」
「はい!」と彼は言った。
それから、なぜかもう一度「はい」と言った。
未知流は少し笑った。
アレクシスは、笑われたことに気づいて、耳まで赤くなった。
目が大きいせいで、感情がそのまま顔に出る。
まるで感情の蓋がないまま育ったみたいだ。
同じ金髪だから、ちょっとレオニスの弟っぽいような雰囲気もある。
ただ、威厳のあるレオニスに対し、アレクシスはまだ子供っぽさが残っているし、可愛い系の顔でもある。
背も、この世界の男性にしてはあまり高くないから、余計に少年っぽい。
「稽古中でしたか?」
「あ、はい。いえ、邪魔ではなく──自分のほうこそ、お邪魔でしたら──」
「全然」と未知流は言って、近くの石段に腰をおろした。「続けてください」
アレクシスはまた固まった。
稽古をしようとはするのだが、引き寄せられるように未知流の顔のあたりをちらちらと見ている。
「……どうかしましたか?」未知流が尋ねる。
「いや、すごくきれいで、こんな可愛い子見たことないなって思って」
「ありがとうございます」
可愛い"子"というのが少し引っかかったが、未知流はとりあえず礼を言った。
「あっ、すみません! 稀人様に失礼な口利いて……。でも、こんな若い女の子がいきなり戦乱に巻き込まれて、さぞかし大変だろうなって、ちょっと共感してしまって……」
私の見立てでは、この華麗な王子様のような可愛いアレクシスのほうが、確実に年下だと思うんだけど。そう思ったので、未知流は聞いてみた。
「ねえ、この世界って、春・夏・秋・冬があって、収穫は年に一回? それで一年?」
「そうですね」おそらく、地球とさほど変わらないようだ。
「その基準でアレクシスは、産まれて何年目──つまり何歳?」
「ごたごたしていてわからない時期があるんですけど、たぶん22歳か、23歳だと思います」
「私は、29歳。今年で、もう30歳だよ」
アレクシスの大きな瞳が、まん丸に見開かれてますます大きくなる。
「えええーっ! どう見ても、僕より下の女の子にしか……」
表情が、くるくる変わって面白い。
楽しくて未知流がひとしきり眺めていると、突然アレクシスが我に返った。
「な、なんと失礼なことを! 申し訳ありませんでした!」
「いや、若く見えるってのは女性にとって褒め言葉じゃない? 大丈夫だから」
といっても、さすがにそこまで若く見られるのは、それはそれでどうなのだろうと思うけど。
「あの……、稀人様の世界の女性は、みんなこんなに若くて可愛いかたばかりなんですか?」
「私がどう見えるかはまあ置いとくとして、あっちではごくごく普通な感じだと思うよ? 私」
「えええ……。すごい世界だ……」目がキラキラしている。
(私からしたら、見たこともないような美形男子ばかりの君たちの世界のほうが、よっぽど凄いと思うんだけどね)
未知流が怒っていないとわかると、アレクシスは、ほっとしたような、それでもまだ恥ずかしそうな顔で、木剣を持ち直した。
「……続けます」
「どうぞ」
素振りが再開された。さっきよりさらに、動きが固い。
木剣を振るうアレクシスを眺めながら、未知流はふと思った。
「ねえ、私もちょっとやってみてもいい?」
ぴたり、と動きが止まる。
「えっ……あ、はい! もちろんです!」
顔が一気に明るくなった。さっきまでの真剣な表情が嘘みたいに。
うーん、わかりやすい。
「危ないので、こっちに……あ、いや、やっぱりこっちの方が」
なぜか右に行ったり左に行ったり、落ち着きがない。
「と、とりあえず持ってみてください!」
差し出された木剣は思ったより重かった。未知流がぐらりと手元を揺らすと、
「あっ、危ない!」
慌てて後ろから手が添えられる。
「こうです、こう……支えないと危ないので……!」
背中に、ぴたりと体温が触れる。
(近い、近いって)
腕の中に囲い込まれるような体勢に、未知流は思わず固まった。
しかし当の本人はそれどころではないらしい。
「このまま振り上げて、ここからこう下ろして……あ、違う、もう少しこう……」
真剣そのものだ。
(さすが騎士、頼りなく見えても、実際に体を動かすとキリっとしてきた)
「力、入れすぎです! もっとこう、軽く!」
ぐっと手を握られる。逃げ場がない。
「はい! 今のいいです!」
ぱっと顔を覗き込まれる。距離が近い。
「初めてにしてはすごく上手いです!」
「いや、今のほぼアレクシスが動かしてたよね?」
「そ、そんなことないです! ちゃんと未知流様が──あっ」
言いながら、自分の手がまだ未知流の手に重なっていることに気づいたらしい。
ぴたりと固まる。
それから、みるみるうちに顔が赤くなっていく。
「す、すみませんっ!!」
ばっと飛び退いた。
(反応がいちいち大きいなこの子……)
「で、でも本当に上手かったです! さすが稀人様というか……なんというか……」
(私、何もしてないよね?)
そう思いながらも、未知流は微笑んだ。
「……ありがとうね」
その一言で、アレクシスはぱっと顔を上げた。
「はい!」
ぶんぶん振っているしっぽが見えそうなくらい嬉しそうに、笑った。
疲れたので近くの石段に座りながら二人で雑談をしていると、不意に、アレクシスが真剣な顔になった。
「稀人様は──昨日の会議で、未来なんてわからないからこそ頑張れる、とおっしゃったんですよね」
「セドリックさんから聞いたんですか?」
「はい。城中に広まってます」
(広まってるんだ。迂闊なこと言えないな、これ……)
「この世界の人にはこういう考えって、びっくりしますか?」
「びっくりっていうか」
とアレクシスは少し考えてから言った。
「なんか、すごく、羨ましかったです」
「羨ましい?」
「自分は──」
彼は木剣の柄を握り直した。
「自分の両親は、帝国の未来視に、殺されたので」
(未来視に、殺された……?)
そう言えば、さっき言っていた「年齢がわからなくなるほどごたごたしていた」というのはその事と関係があるのだろうか。未知流は、何も言えなかった。
困っている未知流を見て、アレクシスは、絞り出すように言った。
「お前らは将来反乱を起こすって。そう予言されたからです」
「……起きてもいないことで?」
「はい」
アレクシスは、淡々とした口調で言った。
怒りでも悲しみでもない、ただ、事実として整理し終えたような声だった。
「自分は当時まだ子供で、商団に紛れて、なんとか連邦まで逃げてきたんです。そこでレオニス様に拾ってもらって」
「拾ってもらって、というのは?」
「剣、教えてもらったり、飯、食わせてもらったり」
アレクシスは少し笑った。
「おかげでなんとか生きてこれました」
語る内容の重さが、じわじわと伝わってくる。
子供が一人で国境を越えてきた。
それだけで、未知流は言葉を失った。なのに彼は、その話を重く語らない。
「だから」とアレクシスは続けた。
「稀人様の言葉──未来がわからないから頑張れる、って。自分にはそういう発想がなかったので。なんか、そうか……そうなんだな、って」
「それは──あなたの両親のことを思うと、軽々しくは言えないですけど」
「いえ」とアレクシスはきっぱり言った。
「稀人様の言葉のほうが正しいと思います。自分は」
断言したことに未知流は少し驚いて、アレクシスの横顔を見た。
「どうしてそう思ったの?」
「根拠は、レオニス様です」
「……?」
「もう少し話してもいいですか」
未知流は頷いた。
アレクシスが語る話は、未知流にとって驚くべきものだった。
帝国がはじめてリベルタスに攻め込んできた時、帝国の予知は「勝てる」と出ていた。
実際、勝った。リベルタスは領土の一部を手放した。
「じゃあ帝国の予知は正しかった」
「正しかったんですが」とアレクシスは言った。
「想定より、ずっと苦労した。命を顧みず戦うレオニス様は、まるで鬼神のようだったと聞いています。楽に取れるはずだった土地で、帝国は思わぬ損害を出した」
「勝ったけど、思っていたのとは違ってたのね」
「そうです。それで帝国は、レオニス様を別枠で計算するようになった。次にリベルタスに攻め込む時のリスクを、毎回はじき直すようになって──」
アレクシスは続けた。
「レオニス様は、命を惜しまない。どんなに劣勢でも、諦めない。レオニス様が強くなるたびに、帝国のリスクが上がっていった。ある日、帝国はリベルタスへの侵攻を棚上げして、他の国に矛先を向けた。もっと割のいい相手が他にいる、という判断だと思います」
アレクシスは、自分の事のように誇らしげに語る。
「それ以来、レオニス様は護国の獅子と呼ばれるようになったんです。みんな、レオニス様の事を尊敬してます。もちろん、僕だって」
「でも」と未知流は言った。「それはあくまで一時的なことなんだよね?」
「はい」とアレクシスは静かに言った。
「帝国の予知が覆ったわけじゃない。どんなに強くなっても、レオニス様一人では、予知そのものは変えられない。リベルタスが真の脅威とみなされて、どんな代償を払ってでも滅ぼすべきと帝国が決意したなら──」
そこで彼は、少し言葉を切った。
「だから稀人様が必要なんだと、自分は思っています」
未知流は、その言葉を黙って聞いていた。
(レオニスは、一人で戦況を覆すほどの力を、どうやって身につけたんだろう。 どうしてそこまで)
疑問が口をついて出た。
「アレクシス。レオニスってなんでそこまで戦うんですか? 死んでも構わない、その決意の源って、何?」
アレクシスは少し黙った。
夕日が石段に長く伸びて、その光が未知流の横顔を照らした。
アレクシスが、ちらりとこちらを見た。
また少し固まっていたが、今度は自分で気づいて首を振った。
「……自分には、全部は教えてもらえてないんですが」
彼は遠くを見るような目になった。
「レオニス様は──王子様だったんです。昔」
「王子?」
「アルカディア王国の。でも帝国に滅ぼされたそうです」
未知流の手が、膝の上で止まった。
「それも──未来視のせいで?」
「はい」
アレクシスは静かに答えた。
「将来、帝国に敵対するだろうという予言で、ある日突然滅ぼされたそうです。何もしていないのに」
強い夕風が、中庭を荒々しく吹き抜けた。
*****
その夜、未知流はレオニスを探した。
セドリックに場所を聞くと、城壁の上にいる、と教えてくれた。
少し怪訝そうな顔をされたが、急いでいる風に見えたのか、それ以上は聞かれなかった。
城壁に上がると、レオニスは遠くを見ていた。
連邦の夜景が、石畳の街並みに沿って灯台のように続いている。
そして空にはふたつの月が、仲良く並んでいる。
「少し、聞いていいですか」
振り向きもせず、レオニスは短く言った。
「なんだ」
「アルカディアのことです」
一拍の間があった。
レオニスは、ゆっくりと未知流のほうを向いた。
「誰に聞いたのだ。アレクシスあたりか」
「はい。将来帝国に敵対するだろうという予言で、国が滅ぼされたと。──本当のことですか」
レオニスは、少しの間だけ未知流を見ていた。
それから、静かに頷いた。
未知流の中で、何かが固まった。
「何もしていないのに」
「ああ」
「起きてもいない未来のことで」
「そうだ」
声が出た。自分でも思っていなかったほど、はっきりした声が。
「そんなの、おかしい!」
レオニスは何も言わなかった。
「何もしていない国が滅ぼされる。将来反乱を起こすかもしれないという理由で、子供から親が奪われる。──そんなことが、まかり通っていいわけがない」
レオニスは、まだ何も言わない。ただ、その目が未知流を見ていた。
「私が戦います」
未知流は、レオニスをまっすぐに見た。
「正直に言います。戦争なんて怖いです。でも──」
「守ってもらうとか、力を貸すとか、そういうことじゃなくて」
風が、城壁の上を吹き抜ける。未知流は、深く息を吸った。
「私が、やりたいから戦います。この世界のために。あなたのためにも」
レオニスの目が、わずかに揺れる。
夜の色をした双眸が、今この瞬間だけ、何か違うものを映しているように見えた。
それが何なのか、未知流にはまだわからないけれど。
「……そうか」
ただ一言、レオニスは短く言う。
「ありがとう」
その言葉に、何事にも動じないこの人の感情が、初めて見えた気がした。
(この人は、ずっとひとりで戦ってきたんだ)
それを想うと、なぜだか未知流の心にさざ波が立って、止まらなかった。
──そんな未知流の心を余所に、月明かりはただ静かに、城壁の上の見つめ合う二人を照らしていた。
次の章から1日1回、夜20時に投稿します。最後まで完成済みです。
未知流とレオニスの恋愛を軸に、帝国と戦いながらこの世界の違和感や謎を解いていく話になると思います。良ければ完結までお付き合いください。




