-6- 〜それって、本当にやっていいこと?〜
「──ただ、霧が広がるのみ」
老賢者は、未知流を見据えた。
「これは、切り札にも、破滅への道ともなりうる」
何かを問いかけるような目で見られて、未知流は居心地の悪さを感じずにはいられなかった。
「私は稀人を否定しているのではありません。ただ、我々が何を手放すことになるか、それだけは直視しておきたい」
広間に、またしても沈黙が満ちた。
──沈黙を破ったのは、レオニスだった。
「それでも構わん」
周囲の視線が、一斉にレオニスに向く。
「すべての国は、帝国に滅ぼされようとしている。進んでも断崖が待っているだけの道を、愚直に進むのが本当に我らの道なのか?」
レオニスの言葉に、いかにも武人といった出で立ちの中年の男が追従した。
「そうだ! 稀人様の力は、帝国と戦うためのものだ!」
しかしレオニスは、軽く彼を制した。
「ただの力として使うのでは、我々も帝国と同じになる。彼女の意思は、どうなのだ」
レオニスは、まっすぐ未知流を見つめた。
「君は、どう思う」
視線が、一斉に集まる。
(ちょっと待って……。これ、すごい大事なことじゃない? 私が決めて大丈夫なの?)
一瞬、呼吸が止まった。
「私は──」
少しためらった後、未知流は思い切って素直な気持ちを出した。
「明日敵が攻めてきて、みんな死んでしまうって決められているとして、みなさんはそれに従って諦めるんですか?」
漏れ聞こえるざわめきと戸惑い。
「未来なんてわからない。だからこそ、頑張れるってこともあるんじゃないですか? 少なくとも、私の世界では、そうです」
会議の参加者は、レオニス以外、全員戸惑っていた。それにつられるように、未知流も当惑する。
(なんか、この世界で言ってはいけないことを言ってしまった気がする……)
未知流が少し後悔しかけた、その時。
ぱん、ぱん、と拍手が鳴る。それは、意外にも賢者ゼノンの発したものだった。
「よくぞおっしゃった」ゼノンの口元が、わずかにほころんだ。
続けてレオニスが、そしてカイルとセドリックも、笑顔で拍手する。
「我々は稀人様を擁立して、帝国と戦う。そう決めたから帝国を出し抜いて稀人様を保護したのではないか」
「そうだ、その通りだ」
沈黙していた出席者が、決心を固めたように意気揚々となる。
(……決まった、ってことか)
会談が終わって廊下に出ると、急に疲れが来た。
気を張っていたのだと、出てから気づく。
セドリックが隣を歩いてくれているが、未知流はしばらくうまく口が開かなかった。
(私がいるだけで、帝国の予知が乱れる。 でも、私が動くたびに、この人たちも見通しができなくなる)
「セドリックさん」
「はい」
「ゼノン様が言っていたこと、本当のことですよね」
セドリックは少し間を置いてから答えた。
「……本当のことです」
「そうですよね」
「ただ」と彼は続けた。「ゼノン様が恐れているのは、未知流様ではなく、『予知のない世界』そのものです。この世界で生まれ育った者にとって、未来が見えないということは──」
「とても、怖いことなんですよね」
「はい。でも、ゼノン様は、皆の決意と未知流様の決意を確認したかった。私にはそう見えましたが」
未知流はしばらく黙って歩いた。
地球では、明日のことなんて誰も知らない。
明後日も、来年も、ぜんぶ霧の中だ。
それが当たり前だったから、怖いとも思わなかった。
でも、この世界の人たちはずっと、見えている地図の上を歩いてきた。
その地図を、私が消していく。
(──それって本当に、私がやっていいことなのかな)
答えは出なかった。廊下の石畳を、ぼんやりと数えながら歩いた。
*****
レオニスが呼んでいると侍女に告げられ、彼の待つ執務室の扉を開けると、地図に向かっているレオニスの姿が目に入った。
卓上に広げられたそれには、細かい書き込みが無数にある。
ひと目で、何度も使い込まれたものだとわかった。インクが幾重にも重なり、消した跡もある。
「来たか」
レオニスは地図から視線を上げ、椅子を示した。
未知流が座ると、彼も向かいに腰をおろす。
しばらく、間があった。
レオニスが言葉を選んでいるのか、あるいは単に口数が少ないだけなのか、未知流にはまだ判断がつかない。どちらかと言えば後者な気はしている。
「会議で、色々と聞いたと思う」
「はい」
「あなたへの要求は、身勝手で、重いものだ。すまないと──思っている」
未知流は少し驚いて、レオニスの顔を見た。
「帝国は今、あなたを最大の脅威と見なしている。あなたが連邦にいると知れれば、本格的に動いてくる。巻き込まれることになる」
「……わかってます」
「わかった上で、聞く」
レオニスは、まっすぐ未知流を見た。
「あなたがそこにいるだけで、帝国の未来視が乱れる。戦略が狂う。予知に頼り切った軍は、予知がなければ烏合の衆だ。あなたが力を貸してくれるなら、それだけでいい。それだけで、この戦の形が変わる」
「それだけで、って」
「命がけで守る。それは約束する。我々に……力を貸してほしい」
おそらくこの国の運命がかかっているだろうに、強制も誘導もしない。
ただ誠実に、承知してくれるならやるべきことを全力でやる、そう言っている。
未知流は少しの間、膝の上で手を組んだ。
(守られる、か)
この世界に来てから、ずっと誰かに守られている。
でも、守られながら、自分は何ができるのだろうと、ずっと思っていた。
いるだけで未来が変わる、と言われても、それが本当のことなのか、今の自分には確かめる術がない。
「……少し、考えさせてもらっていいですか」
「もちろんだ」
レオニスは頷いた。急かすつもりは一切ない、というようにゆったりと構えている。
「あなたの意思が、一番重要だ」
それだけ言って、レオニスは再び地図に視線を落とした。話は終わり、ということらしい。
未知流は立ち上がり、執務室を出た。
廊下に出た瞬間、ずっと気を張っていた体から、ふっと力が抜けた。
(命がけで守る、か)
その言葉が、思ったより深いところに刺さっていた。
抜こうとしても、うまく抜けないほどに。
そして気づいていた。このまま何も選ばなければ、それもまた“選択”なのだと。




