-5- 〜未来が見えないって、そんなに怖い?〜
目が覚めたとき、一瞬だけ、いつもの天井だと思った。
でも違う。石造りの天井、石造りの壁。
昨日だれかが置いていってくれた、この世界の服。シンプルなワンピース。
(……夢じゃなかった)
当たり前のことを確認して、未知流はゆっくり上体を起こした。
できることなら、夢であってほしかった。
窓の外は白んでいる。朝の空気だけは、地球と同じだった。
ふたつの月は、もうどこにも見えなかった。
疲れのせいか、それとも体が正直すぎるせいか──昨夜は考える間もなく眠れた。
帰れるかどうかも、これからどうなるかも、全部明日の自分に丸投げして。
(その分、明日の自分、つまり今の私が、全部引き受けないといけないわけだけど)
伸びをして、立ち上がる。足の裏はまだ少し痛い。でも昨夜よりはずっとましだった。
支度を整えてしばらくすると、セドリックが迎えに来た。
細身のせいもあって馬に乗っているときは気付かなかったが、この人、かなりの長身だ。
この世界の男性は全般的に背が高いが、その中でもさらに頭一つは高い。
優しげな顔に緑の髪からは、背の高い樹木のような癒しを感じる。
でも、雰囲気は明らかに只者ではない。
(そう言えば、第一騎士団は精鋭部隊って言ってたっけ。その副官ってことは、当然相当強いんだよね、この人)
「おはようございます、未知流様。お体の具合はいかがですか」
「おかげさまで。……その『様』、なんとかなりませんか」
セドリックに話しかけると、自然と見上げるようになってしまう。
「なりません」
(交渉の余地、ゼロだ)
廊下を歩きながら、未知流はこっそり城の内側を観察した。
昨夜は疲れ果てていて、何も目に入らなかったけれど、改めて見ると、その徹底した簡素さが際立つ。
飾り気が何もない。地球の城といえば、ガイドブックで見たような肖像画や紋章の旗がずらりと並んでいるものだと思っていたが、ここの廊下には何もない。石と、光と、必要なものだけ。
(これがリベルタスの美意識なのかな)
大広間の扉を開けた瞬間、また視線が集中した。
崇拝とか憧憬とか、そういう言葉でしか形容できない目が、十数人分、一斉にこちらに向く。
中には立ち上がりかけた人まで混じっている。
(これ、地球だとアイドルを見る目と一緒だよね。なんか、熱視線というか)
この眼差しだけは、いつまで経っても慣れる日が来るとは思えない。
テーブルの上座にレオニスが座っていた。
未知流が入ってきても、他の者たちのように表情は変えない。
ただ静かに視線を向けて、短くうなずいた。それが少しありがたい。
セドリックに促されて、レオニスの隣の席に座る。
隣という距離が少し近い気もしたけれど、この人が私の護衛責任者なんだろうな、とうっすらと思った。
「では、始めましょう」
セドリックが立ち上がり、静かに口を開く。
セドリックが語る内容は、道中で聞いた話と重なる部分も多かった。
稀人。この世界の外から迷い込んだ者。この世界の法則が通用しない、例外的な存在。
クロノス帝国が持つ未来視の力。それによって支配される周辺国。
勝てない戦をしない帝国と、かろうじて均衡を保つリベルタス。その均衡が、いつか崩れること。
未知流はできるだけ真剣に聞こうとしたのだが──。
(この部屋、おじさんからお年寄りに至るまで、本当に美形しかいない。一人残らず。なんなんだろうこの世界)
全てが珍しくて、ついつい余計なところに意識が行ってしまう。
向かいに座った壮年の男性は、白髪交じりの眉が凛々しく、ベテラン俳優のような精悍さだ。その隣の若い男性は彫刻みたいな横顔で、その隣は──。
「──稀人であるあなたが関わると、予知の筋道が変わる。昨夜がその証拠です」
セドリックの声で、意識が戻ってきた。
「昨夜の橋の件ですね」
「そうです。レオニス様は『渡る』と判断されていた。帝国の予知もそれを示していた。しかしあなたが『渡らない』と言った。その選択が、未来そのものを変えた」
「……なんとなく、危ない気がしただけなんですけど」
「その『なんとなく』が、この世界では奇跡に近いことなのです」
セドリックが言うと、場がわずかにざわめいた。
(奇跡って……そんな大げさなこと?)
未知流には、それが奇跡だとどうしても思えなかった。
ただ危ないと思ったから止めた。それだけのことだ。
でも、この世界の人たちにとっては、それは世界のルールを破るに等しいような恐ろしいことなのだろうか。
橋を渡ると決まっていたら、橋が落ちていても、修復を始めてまで予知通りに渡ろうとする。
──そういう世界で、ずっと生きてきた人たちなのだろう。
「続けてもよろしいですか」
向かいの、穏やかな表情だが目付きの鋭い男性が口を開いた。
シルバー系統の髪色。
肩くらいまでの長さとこの世界特有の美形が相まって、ちょっと女性的にも見える。
リベルタス政府の重鎮らしく、会議の前にセドリックが「軍師のカイル様」と名前だけ教えてくれていた人物だ。
「実は、帝国が予知を使えば使うほど──歪みが強くなっている可能性があります」
カイルの言葉に、場の空気がわずかに張り詰めた。
「最初の稀人は五百年前。次が百年前。そして今、未知流様が現れた」
そこで一度言葉を切る。
「……間隔が、明らかに短くなっています」
沈黙が広がった。
(なんか、すごい不吉な話してない?)
未知流は思わず口をつぐむ。
「仮説にすぎませんが、このまま行けば──異常が当たり前になる日が来るかもしれません」
カイルは小さく息を吐いた。
「話が逸れました」
すぐに表情を整え、視線を戻す。
「いずれにせよ、稀人であるあなたの存在が、帝国の予知を無効化する。それは我々にとって、これ以上ない力です。ただし──」
カイルは一瞬だけ言葉を切った。
「その力は、未知流様ご本人の負担と引き換えです。それでも私は、あなたの力をお借りしたい」
その言葉を合図にするように、場の空気が変わった。
「是非、連邦に力をお貸しください」
声が重なるように広がり、未知流から見ると「いかにも立場のありそうな人たち」が次々と頭を下げる。正直、困る。
「──待っていただきたい」
その流れを、低い声が断ち切った。
席の端のほうでじっとしていた、年配の、頬骨の張った男性。
名前はまだ知らない。老人はまっすぐ未知流を見ていた。
「……ひとつ、申し上げてよいですか」
場が少し静まった。
「稀人が行動されるたびに、帝国の予知が乱れる。これは確かです。しかし」
老人は言葉を続けた。
「我々のほうでも未来視の研究は、細々と続けているのです。弱いながらも、我々にも未来はうっすらと視ることができる。しかし、稀人がいる限り、未来を視ることを捨てることになる」
誰も、否定しなかった。
「災害を予知するなど、未来視にも良いところはある。要は使い方なのではないかという意見もございます」
未来が見えないということへの恐れ。未知流は初めて、それを肌で感じた気がした。
「ゼノン様」カイルが静かに言った。「それは承知の上での議論です」
「承知の上であることと、軽視してよいことは、別ではありませんか」
「……」
ゼノンという名前の老人は、未知流をじっと見つめた。
「この方からは、何も見えない。──ただ、霧が広がるのみ」




