-24- ~もっと強くなっちゃったみたい~
今日のレオニスを覆っていた、鈍い膜のような空気が、剥がれ落ちた。
目の前の帝国重装兵が剣を構えた。その右肩が、ほんのわずかに前に出る。
次の瞬間には剣が来る──レオニスはすでに知っていた。
知っていたから、体がすでに一歩動いていた。
剣が来た時には、もうそこにレオニスはいなかった。
空を切った重装兵の体が泳ぐ。そのわずかな隙をレオニスの刃が的確に捉え、重装兵は倒れた。
次の帝国兵が動こうと思った、その瞬間に、レオニスはすでに踏み込んでいる。
動こうと思ったその時、帝国兵はもう倒れていた。何が起こったのか気付く間もなかっただろう。
息を継ぐ間もなく矢が来た。以前なら体で受けていた。
今は、ほんの半歩だけの最小限の動きで、矢が鎧の面を掠めるようにした。
傷にならない角度で受け流し、しかし歩みを止めない。その流れのまま、次の帝国兵の懐に入っていく。
「なんだ、あれ……」
連邦の兵士が、誰かに向かって言っていた。
「今日はなんだか動きが悪いと思ってたけど……」
「今はまた、別の人みたいだ。いつもより、さらに動きのキレが……」
セドリックには、見えていた。
以前のレオニスは、無敵だった。傷を受けても構わなかったから、迷わず踏み込めた。
しかしそれは言い換えれば、消耗を計算しない戦い方でもあった。
今のレオニスは、消耗しない。
無駄な傷を負わず、しかし一手も無駄にせず、敵が動く前に答えを出し続けている。
相手は自分が何をされたのかわからないまま倒れている。
それは以前より、静かで──だからこそ、深く恐ろしい強さだった。
先の先。今のレオニスは、まさにその領域に達している。
(自分の傷を気にしなかった頃は、目の前の敵だけを見ていればよかった。今は、自分が傷を負わないために、戦場全体を見なければならない。その必要が、この人の目を、さらに遠くまで届かせている)
セドリックは、その理解が腑に落ちた瞬間、胸の奥が熱くなるような感覚を覚えた。
レオニスの剣が走るたびに、帝国の陣形に穴が開いていく。
一人崩れ、その穴に連邦の兵士が入り込み、また一人崩れる。以前の暴風のような戦い方とは違う。
川が低いところへ流れ込むように、静かに、しかし止まらずに、その流れは岩のような重装帝国軍の内側へ穴を穿っていった。
*****
アレクシスの側で、連邦の兵士が一人、戦っていた。
重装兵の攻撃を受けそこね、一瞬だけ体勢を崩す。敵の重装兵が、とどめを刺さんと剣を振りかぶった。
その一瞬を、アレクシスは逃さなかった。
限界まで踏ん張り続けた足が、最後の一歩だけ前へ出る。
攻撃に気を取られた重装兵の隙を突き、首を斬り上げ、逆にとどめを刺した。
「ありがとう、助かった」
「ああ」
肩で息をしながら、アレクシスは前を向いた。
アレクシスは周囲を見回す。戦場全体が、ゆっくりと動いていた。
それは比喩ではなかった。
自分でも説明のつかない感覚の中で、すべての動きが一手先まで読めていた。
右の帝国兵が剣を振り上げる、その肩の動きを見た瞬間に、どこへ来るかがわかっていた。
味方の誰かが崩れそうになる、その重心の揺れを見た瞬間に、自分がどこへ動けばいいかがわかっていた。
考えているのではなく、体が、先に動いていた。
崩れかけた連邦の左翼の兵士が、一人倒れた。
アレクシスには何をすべきか、すべて見えていた。
後ろから入り込んで、追撃の刃を受け止め、弾いて、蹴り込んだ。
「立てますか」
「は、はい……」
「前、塞ぎます。後ろに下がらないでください」
倒れかけた兵士を起こしながら、アレクシスはすでに次を見ていた。
右翼の端で、連邦の古参兵が帝国の重装兵に押し込まれている。
あと少しで完全に崩れる、という確信があった。
(加勢しなくては)
アレクシスは走った。
重装兵の背後から入り込み、鎧の継ぎ目──背中の、腕の付け根の、わずかな隙間──を狙って柄の部分で強く打つ。金属が鳴り、重装兵がのけぞる。その一瞬で、古参兵が立て直した。
「前線を押し上げて!」
言い終わる前に、古参兵が踏み込んでいた。
自分一人で敵を倒しに行くのではない。
崩れそうなところを支え、生まれた隙に味方を入れ、戦場の流れを少しずつ、レオニスの進む方へと変えていく。それがまだ非力な今日の自分にできる最善だと、アレクシスにはわかっていた。
(レオニス様が前に進むなら、俺たちは後ろを守る)
進むのがずいぶん楽になった。なぜだろうと、レオニスがちらっと後ろを振り返る。
そこには、奮闘しているアレクシスの姿があった。
普段のあどけない顔ではない、立派な戦士の顔をしていた。
(……逞しくなったな)
味方に支えられ、レオニスが帝国軍の中心を割る。城壁に向かって、まっすぐ。
レオニスも、セドリックも、アレクシスも。
この苦しい戦いのなかで、この戦の前よりさらに成長していた。
*****
連邦の攻勢に耐えかねるように、ついに、城門が開かれた。
帝国の守備隊が統制を失い始めたのは、レオニスが城壁の最初の突破口を開いた時からだった。
予知の通用しない戦場で、内側から崩れていく。
それはヴァレリアでも、ローディアでも、見てきた光景。
しかしここは、レオニスにとっては違う意味を持つ。
城門をくぐった時、レオニスの足が一瞬だけ止まった。
(この道、この庭……。たしかに、昔見たことがある風景だ)
感傷に浸る暇もなく、レオニスはすぐに歩き出した。
帝国の残存部隊を一掃し、城内の制圧を終えたのは、それからほどなくしてのことだった。
「レオニス様、万歳!」
連邦軍の誰かが叫んだ。
それが火付けとなって、連邦軍の歓声が広がった。
疲労と安堵と興奮が混ざり合ったような声が、城壁に跳ね返って、何重にも重なる。
レオニスは馬を止めて、じっくりとその声を聞いていた。
いつもと表情は変わらない。
しかし未知流には、その静かな横顔の中に、今までとは違う強さを見出した気がした。
歓声の中で、レオニスという名前を聞いた城内の人々がざわめき始めた。
最初は、城の古い使用人らしき老人だった。
「……レオニス?」
老人は、何かを探すように目を細めた。
それから、歓声に包まれる金髪の男を見て、声を失って口を開け、震える手でレオニスを指差す。
隣の者が、確かめるように聞き返した。
「ひょっとして……レオニス様か?」
「そうだよ……。レオニス様だ!」
その名前が、城内に広がっていく。
「まさか」「王子様が」「生きておいでだったのか」「レオニス様が、ご帰還なされた……」
ざわめきが、波のように広がっていった。
老人が膝をついた。それを見た別の者が、同じように膝をつく。城の内側から、一人、また一人と。
レオニスは、そのざわめきを黙って聞いていた。
夜の色をした双眸が、今この瞬間だけ──何か遠いものを見ているように、静かに、城内の景色を見渡している。そして、ある一点で止まった。
子供の頃、よく登っては怒られていた庭の大樹。
あの樹は、もうなかった。切り株だけが残っている。
まるで、自分がここにいなかった時間だけが、そこから切り取られているみたいだった。
レオニスは、しばらくそこから目を離さなかった。
雪の中からわずかに見える巣穴から、ウサギがぴょこんと顔を出した。
それは、長い冬の終わりを告げる合図だった。




