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18/20

-18- 〜未来、なんかいじられてたみたいなんだけど〜


 ローディアの街は、静かすぎた。


 住民は確かにそこにいた。

しかし、敵軍に占領された民だというのに、誰も逃げない。誰も声を上げない。

まるで畑に並べられたカカシのように。


「予言では、戦争など起きるはずがなく、ましてや帝国が負けるはずもなかった。突然予言を失って、何をしていいのかわからないのじゃよ。少しずつ、我々が"予言"というていで指示をしていかねばならぬ」

馬車に同乗しているゼノンが、珍しく困った表情を表に出して未知流にぼやいた。


 帝国の民にとって、予言がなくなったというのはどんな重みを持つのだろう。

それを未知流が思案していると、やがて大きな建物の前で馬車が止まった。


「図書館はこの先です」

カイルが馬を停めて言った。


 *****


 帝国の図書館は、未知流が想像していたものより遥かに大きかった。

「ローディアの街には図書館があるという話は、我が国の密偵から聞いていましたが、これは──。思っていたより数段巨大ですね」

カイルの表情には、驚きだけでなく、知的好奇心が少し漏れ出していた。

知り合って長いわけではないが、こんな表情を見せるのは珍しい。

知と情報を信奉する軍師らしい一面とも思えた。


「でも、文字が読めない私が同行しても、お役に立てるか……」

「いやいや、未知流殿には、我々の知らない異世界の知識がある。そう、かつて疫病を退治した時のようにな。それに、帝国の未来視がなぜ強力なのかを調べるには、それを打ち破る力を持っている未知流殿の視点も重要じゃろうて」

と、ゼノンが言う。今回の図書館探索には、主にこの三人で取り組むことになっている。

(こうやってチームを組むと、なんだか、地球で仕事してたときみたいな感じ)

見えない稀人の力を期待されるよりは、こうやって動くほうがやりやすいかもしれない。


 天井まで続く棚が幾列にも並び、踊り場つきの梯子が棚の端から端まで走っている。

においが地球の図書館に近い。古い紙と、冷えた空気と、長い時間の沈殿。

そして、時の止まったような静けさ。

(こういうものは、世界が変わっても似たような感じなんだな)

そんなことに、ちょっと未知流はおかしみを感じる。


 カイルが最初に向かったのは、歴史書と記録文書の区画だった。

ゼノンは少し遅れて入ってきて、棚の配列を一度だけ見渡してから、別の方向へ歩き始めた。

二人がそれぞれの目当てへ散っていくのを見てから、未知流はとりあえず近くの棚に背をもたせかけた。


 文字は読めない。だから、ゼノンとカイルが見つけ出した本を、未知流は甲斐甲斐しく中央の広い読書室まで運搬係を買って出た。この量だと本は結構重い。女性に持たせるなんて、とカイルは申し訳なさそうにしているし、老人であるゼノンは助かると何度も礼を言うので、こちらが恐縮してしまった。


 *****


 最初になにかに気がついたのは、カイルだった。

読書室のテーブルにいくつかの帳面を並べ、数字を声に出しながら照合していたカイルが、ある一点で止まった。そして──長い沈黙。


「……未知流殿」

「はい」

「少し、聞いていただけますか」

 広げられた帳面は、年代順に並んでいた。カイルの指が、一番古いものの上に置かれる。

「これは出生記録です。五百年前から現在まで、男女の比率を追っています」

声は淡々としていたが、その淡々さの内側に何かが張り詰めているのを、未知流は聞き取った。

「五百年前で、ほぼ同数。それが、二百年前で男が六割強。百年前で七割──そして」

指が止まった。

「現在に近い記録では、八割を超えています」


 八割。いくら世界が違うからといっても、その数字は明らかに異常に思えた。

八割が男。最初の夜、連邦の街道で見た群衆の光景が思い浮かぶ。男ばかりの沿道。

セドリックが「戦乱が多いから」と言っていた、あの淡々とした声。

でも今、目の前の帳面が示しているのは、そんな言葉で説明できるような緩やかな変化ではない。

何かの力で、一方向に押し曲げられてきたとしか思えない数字だった。


「普通は男性が多かったら、女性の方がパートナーを見つけやすくなって、子孫を残すのに有利に働く。だから、どこかで女性が多くなる番が来てもおかしくないのに……。私の世界なら、学者さんは多分そう解釈すると思います」

「私も同感です……。正直、驚きました」

「と、いうと?」

「もっと感覚的な方かと思っていたのですが──理でも世界を見ている」

カイルは、わずかに目を細める。

(驚いたって、この数字じゃなくて私のことなんだ)

それから、未知流を覗き込むように、ほんの少しだけ身を傾ける。長い銀髪が、さらりと揺れた。

「……ますます、興味が尽きませんね」

その声音は静かなのに、その視線からはなぜか逃げ場がないように感じる。


 一拍置いて、彼は何事もなかったかのように視線を外した。

「──しかし、今はこの男女比について考えるとしましょう」

この謎について再び思索にふけるカイルと、普段と違うカイルの様子に考え込む未知流。

別々の事で頭を悩ませる二人を遮るように、ゼノンの声がした。


「カイル殿、未知流殿」

老賢者は棚の端にいた。手に書物を持ち、しかしそちらには視線を向けず、廊下の突き当たりにある扉を見ていた。鍵がかかっている。

「重要なものかもしれん。あちらへ行ってみよう」


 *****


 扉の向こうは、図書館の他の区画とは明らかに異なっていた。

棚はなく、室内の中央に台座が一つ置かれている。

その上に乗っているそれは──歯車と水晶が合わさったような、あるいは羅針盤を立体にしたような、地球のどんなものにも似ていない形をしていた。


 金属製の外枠の中に幾層もの輪が組み合わさって、その中心に、薄く濁った光を秘めた結晶体がある。

大きさは両手で抱えられる程度。しかし部屋全体に、何か静かな圧のようなものが満ちていた。

音がないという、音。

未知流が感じたのは、そんな矛盾する言葉だった。でも、そうとしか言い表せないものを感じる。


 ゼノンは台座に近づき、手を触れずに目を閉じた。

ピキッ、という嫌な音がした。

空気そのものが一点で歪んだような、乾いた高い音だった。続いてもう一度、ピキッ、と。

それは、何かが壊れそうな、不吉な音だった。


 カイルが、苦しそうな顔でこめかみに手を当てる。痛みをこらえているのだと、すぐにわかった。

ゼノンが目を見開く。普段の穏やかさは消え去り、未知流が今まで見てきた中で一番巌しい顔をしている。

「触れてはいけない」と老賢者は断言した。

「これは、我々が扱っていい類のものではない」


「賢者殿。これはいったい何ですか」

カイルが、額を押さえたまま、しかし声だけはいつも通りに質問する。

ゼノンは答える前に、室内全体を見渡し、それから未知流を見た。

「未知流殿は、何か感じましたか」

「音は聞こえました。でも頭の痛みとかは──何もないです」

ゼノンは何かを確認するように一度だけ目を閉じ、頷いた。

「やはり、そうか。いったん外へ出よう」


 *****


 廊下に戻ると、カイルがゆっくりと壁に背をもたせかけた。

元々色白の顔から血の気が引いたままで、顔色はまだ完全には戻っていない。

ゼノンが扉を閉め、三人はしばらく無言でいた。

「一度中央の読書室へ戻って、ゆっくり腰を掛けて話しましょう。わしも齢じゃし、カイル殿も先程のあれは辛かろう」


 ゼノンの提案で三人がテーブルに着くと、ゼノンがカイルに言った。

「先程のものを、もう一度、読んでもらえますかの」

カイルが図書館から持ち出していた帳面を開いた。日付の古い記録と新しい記録の、境目だ。


「三百年前の春。山岳部にて大規模な地滑りの予兆を観測。西麓の集落に避難の命を発し、被害を最小限に抑えた」

「次を」

「二百八十年前。大河の増水の可能性を予知。低地の民を高台へ移動させ、翌朝の増水を無事乗り越えた」

「次」

「二百六十年前──」カイルの声が、一度止まった。「大地震の流れを変更。被害なし」


 変更。


 未知流は、その一語に引っかかった。それまでの記録にはなかった言葉だった。

避難させた、移動させた、乗り越えた──人が動いていた記録が、「変更した」という一語に置き換わっている。その置き換えの中に、何かが忽然と消えていた。


「次は」とゼノンが促した。

「大洪水の流れを変更。被害なし。──また変更。──変更。変更、変更、……」

カイルがページをめくる手が、どこかで止まった。

それ以上読む必要がなくなったのだと、未知流にもわかった。


 その場に、沈黙が広がる。この異常さを、どう処理していいのかわからないような戸惑いと共に。


 *****


 「この世界の未来というのは」とゼノンが言った。壁に沿って、ゆっくりと歩き始めながら。

「本来、ひとつの大きな川のようなものじゃ。我々が未来を視るというのは、高台に登って、その少し先の風景を見るに過ぎない」

未知流とカイルも、自然とゼノンの後について歩き始めた。

「しかし帝国の魔導具は、先を見ない。本来の流れを捻じ曲げてしまう。それが、あの魔導具のやっていることじゃ」


「最初は民を守るために」とカイルが考えを整理するように言った。

壁に沿って歩きながら、地図を広げているのに似た目をしながら語る。

「避難させるより、そもそも災害の流れを変えてしまった方が確実だと思ったのでしょう」


「しかしせき止められた水は行き場を失い、溢れ出そうとする。その溢れ出した水が壊した世界のひび割れ、そこから来るものこそ──稀人じゃ」


 三人の足が、廊下の突き当たりで自然に止まった。

未知流は壁の石を見ていた。冷たく、古い石だった。


 「そして戦争に勝つために、帝国は戦闘員の多い未来へと川の流れを変えてきた」

とゼノンは続けた。

「帝国だけでなく、帝国の支配下にあるものたちの子孫もまた、男が多く産まれる方向へ、何百年もかけて川の流れを変え続けた。最初は、誰も悪意など持っていなかった。それでも積み重なった結果が、あの数字じゃ」


「悪循環、という言葉が地球にはあります」と未知流は言った。

二人が顔を向ける。

「ある出来事が、さらに悪い結果を呼んで、それがまた次の原因になる。そうやって、同じ流れの中で悪い方向に進み続けることです」

少しだけ間を置いて、続けた。

「堰を作るたびに歪みが生まれて、その歪みを抑えるために、また堰を作る。……そんな感じです」

 カイルが静かに言った。

「我々の世界は、川は一方へ流れるものだと信じている」

そして、わずかに目を伏せる。

「だが実際には、同じところを回り続けていたとは……皮肉なものです」

「何百年も、気づかぬままにの」

ゼノンの声は低く、重かった。


「ゼノン様」不安になった未知流が尋ねる。

「連邦の天気予報に使っている未来視は──」

「あれは流れを読むだけじゃよ」とゼノンはすぐに答えた。

「川を変えず、少し流れの先を見るだけじゃ」

それを横で聞いていたカイルがほっとした表情に見えたのは、多分未知流の気のせいではなかった。


 *****


「未知流殿」

ゼノンが言った。

「あの部屋に、もう一度入ってもらえますかな」

カイルが「危険では」と言うと、ゼノンは「確かめねばならぬことがある」と答えた。

穏やかだが、決して譲らない声だった。

三人で、扉の前に戻る。何の変哲もない扉が、今は禍々しく見えてしょうがなかった。


 扉を開けると、ゼノンが未知流に、台座の前に立つよう促す。

未知流がそこに立つと、部屋を満たしていた圧のようなものが、少し薄まるような気配がした。

 ゼノンが魔導具を、慎重に起動する。

(爆弾を解体する映画のヒーローみたいだ)

そんなことを思いながら、未知流はゼノンの手元を見ていた。

 起動した瞬間、何かが壊れるような、破滅的な予感を感じさせる、ピキッ、という音が走る。

耐えきれずにカイルが額を押さえた。ゼノン自身も、眉をわずかにひそめた。


「未知流殿、何か感じましたか」

「音はしました。それだけです」

「手を触れてみてください」

「ゼノン様、未知流様が危険では」とカイルがもう一度止めようとする。

「大丈夫じゃ」

未知流は、台座の上の魔導具を見た。

幾層もの輪が緩やかに動いている。中心の結晶が、濁った光を揺らしている。


(ゼノン様が、大丈夫と言うなら……)

おそるおそる伸ばした指先が、外枠の金属に触れる。


 音が、消えた。

すう、と引くように。ピキッ、という空気の軋みが、跡形もなくなった。

カイルの驚くような声がして、押さえていた額から、手が離れた。


 ──魔導具は動いていた。回転も止まっていない。光も消えていない。

しかし、何も起きなかった。

今まで発していた圧のようなものが──不吉な空気が──。すべて、霧散していた。


 川の流れを変えようとする力が、未知流に触れた瞬間に、行き場を失っている。

自分がこの世界の流れの外にいるということを、この無音の感触が、静かに、しかし確かに告げていた。


 手を離すと、あのピキッという嫌な音が途端に蘇る。

「未知流殿はこの世界の人間ではないから、運命を変えようとする魔導具の力は、あなたには届かないのじゃ」

ゼノンの声が、遠くから聞こえるようだった。


 ******


「引き続き研究を進めましょうぞ」

図書館から出たゼノンとカイルは、今日得た知見を確認し合っていた。

「未知流殿に頼む部分が多くなりそうじゃ」

とゼノンが、未知流の目を見つめながら言った。

「無理を言うことになるが」

「大丈夫です」

「嫌なら、儂は無理強いはせん」

「大丈夫です」と未知流は、自分に確認するようにもう一度言った。

 図書館に来てからというもの、ゼノンが未知流を見る目がさらに変わった気がする。

まるで、大自然の絶景に圧倒された地理学者のように。新星を発見した天文学者のように。

世界の神秘に触れるような目で未知流を見つめながら、老賢者は独り言のように静かに言った。


「儂は長い年月、流れを読むことがこの世界で最も崇高な力だと思っていたのじゃ。しかし今日──流れの外にいることの方が、もしかするとずっと大きな力なのかもしれない、と気づいたわい」

カイルが顔を上げて、ゼノンを見た。

「私も、そう思います」


 二人が共有しているのは、安易な共感ではない。

探究に身を捧げてきた者同士にしかわからない、深い部分での真理だった。


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