-17- 〜よくわかんないけど、流れ変わったっぽい〜
偽の情報をそれぞれの方面に流し終えた翌日の朝、再進軍の準備が整えられた。
しかし、ヴァレリアの将兵の動きは重い。
装備を整え、隊列を組み、指示には従っている。ただ、心の底から動いている感じがしない。軍略会議でのガルディアスの言葉が全軍に浸透していた。
ヴァレリアの兵たちにとって、あの男が懐疑的であるということは、自分たちも懐疑的であることを意味している。ガルディアスが動かない限り、本当の意味では動かない。
中庭でその空気を感じながら、未知流は荷物の整理をしていた。
──そこへ、ガルディアスが現れた。
特に急ぐ様子でもなく、かといってためらう様子でもなく、ヴァレリアの将兵が集まっている方向へ歩いていく。整列した兵たちの前に立ち、一度だけ場を見渡してから、短く言った。
「私は今後、稀人に従う。そして、一生それを違えない事を、ここに宣言する」
ざわめきが広がった。
あの懐疑派の最先鋒が──という驚きが、場に伝わっていくのが目に見えるようだった。
「なぜです、ガルディアス様」
理由を問う声が上がる。ガルディアスはそれに対して、多くを語らなかった。
「帝国と連邦、どちらに大義があるのか、考えたまでだ」
それだけだった。しかしそれで、十分だった。
この男が言うなら──という信頼が、ヴァレリアの将兵の間に静かに広がる。
説明よりも、この男が稀人に従うと宣言した、その事実が何よりも雄弁だった。
ヴァレリアの兵たちの覇気が、目に見えて変わる。
未知流はその光景を、少し離れたところから見ていた。
ガルディアスが向き直る直前、その視線が一瞬だけ未知流のほうを向いた。
それは何も意味しない、ただの一瞥だったかもしれない。
ただ未知流には、その視線は、昨日のものとは別の色を含んでいるように見えてならなかった。
(私の思い過ごしかもしれない。でも多分、あの人のなかで何か変わるきっかけがあったんだ。それは、私との会話かもしれないし、違うかもしれない)
でも、私とのやり取りで協力してくれるつもりになったなら、それは嬉しいことだ。
そんなことを思いながら──未知流は荷物を肩に掛けて立ち上がった。
*****
今度は、ルートが読まれる気配がなかった。
進軍が始まってから、帝国軍の動きは噛み合わなかった。手玉に取られていたのが、まるで嘘みたいに。
待ち伏せがない。弱点を突いた攻め方がない。
まるで答えを失ったまま戦っているかのような、散発的でその場しのぎの応手ばかりだった。
レオニスの牽制が効いたのだと、みな思っていた。
内通者は、正体がバレるのを恐れ、情報を送ることができなくなったと判断したのだろうと。
なぜ情報が送られなくなったのか、真実を知るものは、この軍には一人しかいない。
そう、ガルディアス本人だけだった。
*****
レオニスは最前線にいた。
指揮官が後方に留まるのが普通の戦い方だとすれば、この男はそれに従わない。
先頭で剣を振るいながら、同時に全体を見ていた。
崩れかけた右翼に手勢を回し、帝国の増援が来る方角を読んで先回りし、撤退の動きの中に次の攻め口を見つける。その判断の速さは、未来視とは違う種類の先読みだった。
「右に寄れ! 左から来るぞ!」
声が飛ぶ。その一秒後に、左側から帝国の騎馬が突っ込んでくる。
騎士たちが咄嗟に対応できるのは、レオニスが叫んだその瞬間にはすでに体が動いているからだ。
強力な予知を持つ帝国と戦ううちに、予知に頼れない場での戦い方を磨かざるを得なかった。
レオニスという歴戦の将軍を生み出したのは、皮肉にも帝国と言っても良いのかもしれない。
「見ていてください」
砦の上から戦況を見ていた未知流の隣に、セドリックが来ていた。
奇しくもヴァレリア奪還の渓谷の時と同じ言葉だった。今日はアレクシスもそこにいる。
「レオニス様の動き方、稀人様はわかりますか」とアレクシスが言った。
未知流は目を細めて戦場を見る。
「……未来視じゃないよね」
「ええ。あれはただの──経験と直感と、あとはおそらく」
セドリックが少し間を置いてから続けた。
「戦ってきた年数だと思います。国を失ってからずっと、帝国の予知に対抗してきた年月の結果です」
未知流は黙って、レオニスの動きを目で追い続けた。
矢が来る。盾で受ける。受けきれなかったものは鎧が受け、それでも止まらず前へ進む。
傷を負っても、痛みを表情に出すことなく、次の判断をする。
その一連の動作が、どこまでも滑らかだった。
(この人は、自分の力で、ここにいる)
予知に頼らず、稀人の力に頼らず、ただ自分の積み上げてきたものだけで戦っている。
未知流は、その背中を見ながら、胸の奥が少しだけ熱くなるような感覚を覚えた。
それが果たして何の感情なのか、わからない。
ただ──この人が無事に帰ってくることを、今日もまた願っていた。
*****
帝国軍の指揮官は、戦場の中ほどで馬を止めていた。
おかしい。
おかしい、という言葉しか、頭に浮かばない。
内通者の情報は、いつまで経っても届かない。どこを攻めても、連邦軍が的確に対処してくる。
増援を送れば封じられ、包囲を試みれば逆手に取られる。
こちらが次の手を考えるより、あの金色の髪の男が一手先を動いている。憎たらしいほどに。
そして、あの忌々しい稀人のせいで、予知も全く機能していない。
「指揮官どの!」副官の声が緊迫していた。「右翼が──右翼が崩されています!」
指揮官が振り返った。
右翼の隊列が、音を立てて崩れていくのが見えた。
防衛線が割れ、帝国兵が散り、その間隙に連邦の旗が入り込んでくる。
「左翼を回せ! 左翼を──」
「左翼もです!」別の声が重なった。
「左翼も崩れました! 稀人がいる限り予知が届かず、我々は──」
「こ、こんなはずでは……」
指揮官は言葉を失った。
内部情報なく、未来視も効かないこの戦場では自分たちは盲目も同然だ。
それに気がついた瞬間、帝国軍全員が、足の下の地面が消えてしまったような恐怖を感じた。
どこへ手を伸ばせばいいかわからない。次に何が来るかわからない。
先の見えない、戦場が──未来が──恐ろしくてたまらない。
この感覚を、帝国の兵士はだれも知らなかった。知る必要がなかったのだ、ずっと。
「指揮官どの、我々は……、ど、どうすれば」
「……撤退だ」
かすれた声が、自分の口から出た。
「撤退?! しかし予知が──」
「予知はない!」
指揮官は叫んだ。そんなことを叫んだのは生まれて初めてだ。
「予知が効かないんだ、今は! こんな状況で、連邦の獅子に勝てるわけがないだろう!」
そこに──。
「追撃だ! 追撃せよ!」と、先陣を切るレオニスの雄叫びが戦場にこだまする。
「ひいっ!」
指揮官は、兵士を置いて一目散に離脱すべく戦場から背を向けた。
予知に従い動いてきた軍隊は、状況判断などしたことがない。
ましてや、自分の判断で動けるはずもない。そんなこと、したこともないのだから。
指揮官が逃亡した帝国軍は恐慌状態に陥り、そして我先にと敗走していった。
*****
砦の上で、アレクシスが声を上げた。
「あ、帝国軍が退いてます! 退いてますよ!」
「静かに」とセドリックが言ったが、声のどこかに笑いが混じっていた。
帝国軍の隊列が、崩れながら後退していく。整然とした撤退ではない。
こうなってはレオニスにとっては赤子の手をひねるようなものだ。
レオニスが最後の要所を断ち切ったと同時に、指揮官らしき男が戦場から逃走し、そこから総崩れまでは一瞬だった。
──帝国が長く支配してきた版図の一角が、連邦の手に落ちた。
*****
砦の上から、未知流はその光景を見ていた。
遠くに広がる帝国の旗が、一枚、また一枚と、連邦の色に塗り替えられていく。
風が吹くたびに、新しい旗がなびく。静かに、しかし確実に、地図が変わっていく。
自分が何かをしたという感覚は、今回もやはりない。ただそこにいた。
ただ地球人として考え、動き、話した。廊下でガルディアスと話した時も、馬車の中でただ見ていた時も、何かを成し遂げたという実感はまったくない。
未知流が動く。その事だけでこの世界が変わるのだと言われても、まだ実感はできない。
ただ──今日より昨日のほうが、帝国は強大だった。その帝国を、連邦は、着々と切り崩している。
それだけは、確かだった。
アレクシスが「やった!」と砦の上でガッツポーズをして、セドリックが苦笑しながらそれを眺めていた。その様子を横目に見ながら、未知流は遠くのレオニスの姿を目で探す。
軍旗の下に、金色の髪と逞しい体が見えた。
(無事だった)
それがわかった瞬間に、ようやく肩の力が抜けた。
何か大きなものが動き始めたのだという予感が、連邦軍全体に広がっていく。
それが何なのかを言葉にするには、まだ時間がかかりそうだったけれど。
今まで一方的に世界を支配してきた帝国の旗が、ひとつ、また一つと連邦の色に変わっていく光景は──本格的な崩壊の始まりを、静かに、しかし確かに告げているように思われた。




