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-15- 〜なんか通じてない気がするんだけど〜

 

「我々は南方のヴァレリアを拠点に、帝国南部――ローディア地方へ進軍します」

カイルが地図を示すたびに、未知流はその指の動きを目で追っていた。

それは、この戦いの行く末をなぞる線のようにも見えた。

 帝国領内に深く刻まれた街道の線、国境の山脈、砦の印。それらを繋いで進軍ルートが引かれるたびに、テーブルを囲む男たちの顔に緊張と期待の混じった表情が浮かぶ。

ヴァレリア奪還から間もない今、連邦にはかつてない規模の戦力がある。士気も高い。

帝国の予知は、この場に未知流がいる限り意味をなさない。

好機は今だと、カイルの声には普段の彼にはない熱があった。

「この規模での侵攻は、史上初めてのことになります」

ヴァレリアの将兵が顔を見合わせ、連邦の古参兵が頷く。

「今まで帝国には苦渋を舐めさせられてきたが、今回は稀人様が我らに味方してくれているのだ」

連邦軍の中には、血気盛んなものも少なくない。

「進軍を、開始する」

場を落ち着かせるようにレオニスが短く言う。それで答えは出た。

意気揚々とする会議の中、未知流だけは、収まりの悪さを感じていた。

(私は、いつもただ、そこにいるだけなのに)

いるだけで未来が変わると言われる。それは頭では理解している。でも、実感できない。地球にいた時と同じように考え、同じように動いているだけ。

(それのどこが力なんだろう)

どうしても、未知流にはわからないままでいた。


 *****


 進軍が始まって最初の二日は、順調だった。

カイルの読み通りに戦況は動き、帝国は連邦の動きを全く把握できていないようだった。

「これが稀人の力か」

誰かがつぶやくのが馬車の中まで聞こえてきて、周囲が同意するようにざわめいた。

しかし未知流には、その力の実感がない。

けれど、少なくとも今のところ、カイルの計画は機能しているようだった。


 しかし。状況が変わったのは、三日目の夜明け前、街道の分岐点に差し掛かった時だった。

先頭を行く斥候の馬が、急に止まった。

「な、なんでここに……!」

斥候がそう呟いた次の瞬間、隊列の前方から怒声が上がり、馬車が激しく揺れた。

転がりそうになった未知流は、咄嗟に窓枠を掴む。外では金属のぶつかる音が連鎖し、誰かが叫び、馬が嘶き、それらが一瞬のうちに大きな音となって未知流を襲った。

「待ち伏せです!」

馬車の外、護衛の騎士が緊迫した声で告げる。

(待ち伏せ──!?)

 窓から外を見ようとして、腕を掴まれた。セドリックだった。

「伏せていてください」と、いつもとは違う緊迫感のある声色で言われて、未知流は床に膝をついた。

 その未知流を、セドリックが体全体で庇うように寄り添う。

薄い板一枚の向こうでは、激しい剣戟による、ガキン、ガキンという金属音が鳴り止まない。

この道は安全なはずだった。カイルが選んだルートだった。

帝国の予知は霧に包まれているはずで、察知されるはずはなかったのに──なぜ、帝国がここにいる。


 *****


 その頃、街道の先頭では──

レオニスは既に剣を抜いていた。

分岐点の左右、街道を挟む低木の茂みから、帝国兵が一斉に躍り出てきた。

連邦の先鋒隊より倍以上はいる。

数の不利などレオニスには関係ない。いつも自分より多い敵を相手に戦ってきたのだから。

だが、問題はそこではなかった。

(この位置を、なぜ知っている──)

「左翼、下がれ! 右に固まれ!」

 指示を飛ばしながら、レオニスは前へ出た。

踏み込む音と同時に、一閃。先頭の帝国兵の剣が弾かれる。

同時に、視界の端では既に次の敵の攻撃を捉えている。流れるように、返す刃で追い払う。

その刃はまるで暴風のように、多数の敵を相手にとっては理不尽とも思える力で薙ぎ払う。

しかし、頭の中では別のことを考えていた。

 前日の夜、カイルが選んだのはこの街道だった。

その判断は、主要な人物しか参加していない、限られた場で共有された情報だ。

それが……なぜ、帝国軍がここにいる。

「退け! 迂回路を取れ!」

 レオニスは叫んだ。

勝てない戦だから退くのではない。

なぜ敵がこのルートを察知したのか、それを解明するまでは進軍はできない。

なぜなら、未知流の力はこの作戦の根幹なのだから。


 *****


 隊列の中ほどでは、慌てて馬を止めているカイルの姿があった。

前方の混乱が、耳から入ってくる。金属の音、叫び声、蹄の乱れ。

それを聞きながら、カイルは地図を広げていた。

撤退経路を探るその指が震えているのが、自分でもわかった。

(なぜだ、なぜルートが読まれた……! 作戦は、完璧だったはずなのに……!)

昨夜、この進軍ルートを知っていたのは十二人だ。

その全員の顔が、頭の中に浮かぶ。信頼できる者しかいない。そのはずだ。ではなぜ帝国は──。

「カイル殿!」

伝令が馬を飛ばして来た。「前方、レオニス様が撤退の指示を!」

カイルは顔を上げた。

感情を処理するのは後でいい。今は動くことだ。

「全軍、迂回路へ!  南の旧街道を取れ!  負傷者を置いていかぬよう、守りながら撤退せよ!」

声を上げながら、カイルは地図を凝視した。だが一瞬、馬車の方に視線が行く。

(稀人殿は、無事か?)

 無事を確認したあと、すぐに地図へ目線が戻る。

進軍ルートが読まれた事実が、頭の隅でずっと、異物となって重くのしかかっていた。


 *****


 撤退が完了した頃には、朝の陽が高くなっていた。

連邦軍の野営地に戻ると、未知流は馬車から降りて、そのまましばらく動けなかった。

足が地面についているのに、馬車の揺れがまだ体の中に残っているような感じがする。

深呼吸をしたら、少し楽になった。

「怪我はありませんか!」

アレクシスが駆けてきた。顔が青い。

「私は大丈夫。アレクシスは?」

「自分も。……ほとんど後ろにいたので」

言いながら、彼の目が前方のほうを向く。レオニスがいる方向だ。未知流もつられてそちらを見た。

レオニスは馬から降り、部下に何事かを指示していた。

左腕に布が巻かれているのが見えた。しかし声にも動作にも、それを感じさせるものはない。

「浅い傷です」とセドリックが横に来た。「あの程度で顔色が変わる方ではありません」

「……わかってる」

わかっているのに、視線が外れない。

 少し離れたところで、カイルが副官たちと何かを話していた。

いつもの落ち着いた声ではなく、低く、速い声だった。地図の上を指が走り、止まり、また走る。

連邦の古参兵たちが、ひそひそと話しているのが聞こえた。

「なぜだ、稀人様がいるのに」「帝国の予知は通じないはずでは」「ではなぜルートが読まれた」

突きつけられた難問に対し、誰も答えを持っていないもどかしさが、野営地の中に漂っていた。


 *****


 そして──翌日も、その翌日も、同じことが繰り返された。

帝国軍は毎回、的確だった。カイルが選んだ迂回路を先回りし、兵の編成の弱いところへ過不足なく刃を当ててくる。明らかに、知らないと不可能な態勢で待ち構えている。

(……読まれている。いや、これは本当に「読み」なのか?)

カイルは、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。

稀人の力で予知が乱れているはずだ、という前提が、少しずつ、しかし確実に崩れていく。

そんな感触が隊全体に広がっていった。

 ついに五日目の夕暮れ、連邦軍は帝国とヴァレリアの国境近くにある砦へ退かざるを得ないところまで追い詰められていた。

石造りの古い砦で、戦略的な価値は高くないが、今は守りに徹するための壁が必要だった。

 負傷者が運び込まれ、医療班が動き、報告と指示の声が交錯する中を、未知流は黙って見ていた。

壁に背を預けながら、未知流は目を閉じた。

負傷者が運び込まれる音、指示の声、医療班の足音。

砦の中はこんなにも動いているのに、自分だけがそこから切り離されたように、ただそこにいる。

(この戦では、私は、なんの役にも立ててない)

でも、何をしていいのかわからない。それが、もどかしい。

 ヴァレリア出身らしき兵士たちの声が、聞こえてくる。

「帝国の未来視を封じるなんてよ、そもそも無理だったんじゃないのか?」

「本当にそんな力があったのかも怪しいもんだ」

未知流は、震える手を握りしめながら、誰にも見つからないようにその場から早足で立ち去った。

いや、逃げ出した。

 しかし──、タイミング悪く、出会い頭にセドリックと出くわす。

「未知流様、どうかされましたか」

「いや、なんでもないの。ちょっと外の空気を吸おうと思っただけ」

未知流は、思わず震える手を後ろに回して隠す。まるで悪いことでもしたかのように。

「そうですか? それなら良いのですが」

会話もそこそこに、未知流はセドリックからも逃げるように離れた。

 最初から、力なんてものは存在しなかったのだろうか。

そんな考えが頭をよぎると、喉の奥が締め付けられるように苦しくなる。

息苦しさから解放されようと、未知流は深呼吸を何度も繰り返す。

呼吸は普通にできているのに、吸っても吸っても息が吸い足りない。酸素は足りているはず、なのに。


 *****


 軍略会議は砦の奥の部屋で開かれた。

松明の灯が、テーブルを囲む顔を照らしている。

傷が癒えていない者もいれば、疲れを顔に出さないようにしている者もいた。

連邦側の将、ヴァレリア側の将、カイル、セドリック、レオニス。

そして末席のほうに、未知流も座っていた。

 最初に口を開いたのは、ヴァレリア側の将軍だった。

「申し上げます」

 声は低く、感情を抑えた、静かな声だった。しかし部屋の空気が、その一声で変わった。

ヴァレリアの将兵が持つ、この男への信頼の重さが、そこから伝わってくるようだった。

 茶色い髪を短く刈り込み、顔と手に歴戦の痕を刻んだ男は、テーブルの上に視線を据えたまま言った。

「稀人の力に頼るという今回の戦略は、根本から誤りだったのではないでしょうか」

「ガルディアス殿」セドリックがたしなめるように言う。

ガルディアス、というのが彼の名前のようだ。

意にも介さず彼は続けた。

「申し上げておきたいのは」

声に棘はない。揺らぎもない。

「連邦の皆様を批判しているのではありません。我々もヴァレリア解放に稀人の力が働いたのは知っている。しかし今回の結果がこれです。よくわからない異界の力に、国の命運を預けることが正しいのかどうか。私は今も判断がつかない」

ヴァレリアの将兵の間に、ざわめきが広がった。しかしそれは異論ではなく──共鳴の音だった。

(この人が言っていることを、みんな心のどこかで思っていた)

未知流にはそれが伝わった。ガルディアスの言葉は、場の空気に静かに火をつけた。

周囲の反応を見るに彼は、おそらくヴァレリア王国の大将軍クラスなのだろう。

彼が懐疑的であるという事実は、それだけで重かった。

 連邦側のカイルが、地図の前で口を開きかけ、しかし言葉を探すように沈黙した。

帝国に先読みされ続けた事実に対して、論理的な反証ができずにいる。

それはカイルだけではなく、テーブルを囲む誰もが同じだった。

「力が破られたということなのか」誰かが言った。「稀人の力が、もう──」

そのとき、ガルディアスの視線が、初めて未知流のほうを向いた。

未知流が何者なのか、見定めるような目。

 未知流は、その視線を正面から受け取ることができなかった。

目を落として、手の上で指を組んだ。自分の名前が出るたびに胸の奥に鈍い重さが広がるのは、責められているからではなく──何も言えないからだと、気がついた。

 だって、本当に何も感じないのだ。いるだけで世界が変わると言われても、自分にはその実感がない。この砦に来てからも、馬車の中でずっと、ただいるだけだった。

(でも、力が機能していないんだとしたら、一体私は何をしたら──)


 重い沈黙を破ったのは、老賢者の一声だった。

「ひとつ、言わせてほしい」

ゼノンが、杖を膝の上に置いたまま、緩やかに顔を上げる。

白髪と皺の奥の目は、瞑想していたかのように静かで、しかし室内の誰よりも醒めているように見えた。

誰も口を挟まなかった。いや、挟めなかった。


 老賢者は、静かに言った。

「これは、稀人殿の力が破られたのではない」

 静かだが、そうはっきりと、断言した。


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