-14- 〜この人だけ、違う気がする〜
国王様からのダンスの誘い。名誉なはずなのに──
これが、地獄のはじまりだった。
音楽が始まった瞬間、背筋が凍る。
(この世界のダンス、ちゃんと覚えてない!)
一応パーティの前に、セドリックにざっくりと教えてはもらった。
「団長はこういう場では必ず踊りますから」と、彼は穏やかに言っていた。
でも、付け焼き刃では限界がある。
(次は右で、その次が左下に右足を……)
ステップの順番を頭の中で思い出そうとするが、緊張のせいか、右と左がぐるぐる入れ替わる。
今なら、お箸を持つ手すら間違えそうだ。
「ご心配なく」と国王が言った。「私がリードします」
「よ、よろしくお願いします……!」
音楽が優雅に流れる中、未知流は必死だった。
転ばないように。裾を踏まないように。
国王の動きを目で追いながら、脚の位置を確認しながら、手の力加減を調整しながら──。
(私、舞踏会どころかダンスパーティーすら来たことないのに……!)
ついに、足の位置が大きく入れ替わるパートで裾を踏んだ。
つんのめった未知流を、国王がさりげなく支える。
広間の周囲では、誰も踊っていなかった。全員が中央を見ていた。
そんな中で未知流は──思いっ切り、国王の足を、踏んだ。
(全員に見られてると思ったら、緊張して……余計踏む!)
なんとか最後まで崩れずに踊り切ったのは、国王のリードの上手さのおかげだと未知流は痛感した。
(国王様、足踏んでごめんなさい……。そしてありがとう……)
*****
(喉、からからだ……)
ダンスが終わると同時に、未知流は飲み物のある卓へ直行する。
グラスを掴み、匂いを嗅ぎ、お酒じゃないことを確認してからぐいっと飲みほして、息をついた。
(なんの飲み物かわからないけど、おいしい……生きかえった……)
「お疲れ様でした」とセドリックが来た。「転びませんでしたよ」
「国王様の足踏んじゃったけどね。わかってた?」
「存じておりません」
(この人、いつも柔和な感じで滅多に顔色変わらないんだよね。嘘をつくのが上手いタイプだ、多分)
休憩してほっとしたのも束の間だった。
「稀人様」
振り返ると、壮年の男性が立っていた。ヴァレリアの王族らしい装束を身に付けている。
「少しよろしいですか。ご一緒に一曲」
「あ、はい──」
「稀人様」
また別の声。今度は連邦の有力者らしき男が来た。
「お体は休まりましたか。もしよろしければ──」
「稀人殿」
「一曲だけ──」
「ぜひ私と──」
五分もしないうちに、未知流はぐるりと取り囲まれていた。
(なんで!)
内心で叫びながら、未知流は微笑みを保った。
まずい。誰か一人を選べば角が立つ。かといって全員断るのも角が立つ。
例えば王族を蔑ろにして先に連邦の大臣と踊ったら問題だとか、稀人という立場で、政治的にやっちゃいけないことはいくらでもありそうだ。
しかしそこは異世界の人間、そのやっちゃいけないことがわからない。
「稀人様は、ご存知でしょうか」
ヴァレリアの、若い貴族らしき男が言った。
「私の家は、街道沿いに農地を持っています。稀人様のような──類稀なるお方を妻に迎えることができれば、我が家門にとってこれ以上の──」
(求婚の話になってる!?)
「私の家はかの国との交易を担っていまして」別の男が割り込む。「その経済的な利をもって──」
「稀人様が連邦の盾となられるなら、我々との縁を結ぶことは政治的にも──」
次々に来る話が、すべて同じ構造を持っていた。
稀人であること、美しいこと。家門に取り込めれば、家が繁栄するだろうという期待。
(あ、これ──私のことを、政治のコマとして見ている人ばかりだ)
そう思った瞬間、心が固まっていくのを感じた。怒りではなく、ただ、冷えていく。
*****
広間の端、壁際に立っていた会場警備の騎士が、隣の予知庁祭司の袖を引いた。
「なあ、見てみろよ。稀人様が次に誰と踊るか──祭司殿、ちょっと覗いてみてくれないか」
「おいおい」と呼ばれた祭司が苦笑しながらも、目を閉じた。
連邦の未来視担当として場に立っている男だ。本気で知りたかったわけではない。
ただ、手持ち無沙汰だったので、つい見てしまう。
少しの間があった。
「……」
「どうだ」
「霧だ」と祭司は言った。「何も見えない。いつも通り」
「そうか」騎士は苦笑した。「稀人様が絡むと、やっぱり何も──」
「何をしておるのじゃ」
低い声がして、二人は縮み上がった。
ゼノンが、杖を持ったまま立っていた。怒っているような顔ではない。ただ、見ていた。
その目が、二人ではなく、踊る未知流のほうへ向いている。
「す、すみません、ゼノン様。つい──」
「ふむ」
ゼノンは二人を咎めなかった。ただ、独り言のように、ぽつりと言う。
「あの方は……我々が図り知れるようなお方じゃないのじゃよ」
叱っているのではなかった。
霧の中に何も見えないことを、繰り返し自分の中に刻んでいるような穏やかな声。
二人はなんとなく頭を下げた。ゼノンは、まだ踊る未知流を見ていた。
どんな思いで未知流を眺めているのか、祭司と騎士には窺い知れない。
その隣に、いつの間にかカイルがやってきて、未知流を見つめる輪に加わる。
興味深そうに未知流を見つめるカイルを見て、ゼノンはまるで同志を見つけたような表情になった。
「軍師どの、稀人というのは、本当に面白い存在じゃの」
「ええ、その通りですね──ゼノン様。ただ、私の感じる面白さと、ゼノン様の感じる面白さでは、また違うと思いますが」
「と、いうと?」
「軍師たるもの、知識と未来視があればこの世はどんな事でも見通せると思っていました。しかし私は、あの方が何をするか予想がつかない」
そこでカイルは、少し遠い目をした。
(だから、気づけば目で彼女の事を追っている。なぜか釘付けになる)
「そこが、興味深い。もっと知りたいと、そう思うのです」
「なるほどのう」
微笑する老賢者。その笑みは、少し何かの含みが感じられた。
*****
未知流は、大勢の有力者に囲まれて困り果てていた。
「お断りします」と言えたら楽なのだが、この世界で、何がタブーなのか、自分にはわからない。
「困っているな」
声がして、振り返った。
レオニスだった。
未知流を囲んでいた男たちの間を、何かを押しのけるわけでもなく、ただ歩いて来た。
それだけで、男たちの輪が自然に割れる。
「彼女は連邦の客人だ」
声は静かで、穏やかですらあった。でも、有無を言わせない力がある。
「政治の道具にするつもりは、こちらにもない。君たちにも持たせるつもりはない」
誰も反論しなかった──いや、できなかった。
連邦の獅子と呼ばれる男が、静かに告げる。ただそれだけで、話は終わった。
男たちが散っていくと、未知流はようやく、深呼吸した。
「ありがとうございます」
「礼はいい」とレオニスは言った。それから、未知流に向き直り、手を差し出す。
「もう一曲だけ、付き合ってもらえるか」
彼らを追い払ってくれたレオニスからの、まさかのダンスの誘い。
未知流は一瞬固まり──そして頷いた。
「……いいですよ。でも、私、あまりうまくないですよ」
「知っている」
(知ってたの?)
「さっき、国王陛下と踊るのを見ていた」
(全部見てたんだ……)
「格好悪いところ見られて、恥ずかしいな……」
「転ばなかったので、十分だ」
「踏みましたよ? よりによって、国王様の足を」
「大したことではない」
(いや、国王様の足だよ!? 大したことなくない!?)
レオニスが平然と言うので、未知流はおかしくなって少し笑ってしまった。
*****
音楽が変わった。先程よりゆったりとした、長い曲だった。
レオニスの手が、未知流の手を取る。もう一方の手が腰に触れると、心臓が跳ねそうになる。
国王様も美形だったけど、そういうドキドキは、全然感じなかったのに。
(レオニスって、どんなダンスをするのかな)
踊り始めると、国王様との違いが、すぐにわかった。
国王様のリードは丁寧で、きっちりとフォローしてくれるものだった。
でもレオニスのリードは──もっと先を行っている。
手のひらの向きが変わる、それだけで足がどこへ出ればいいか分かる。
腰にある手の重心がわずかにずれる、それだけで体が自然に回る向きを知る。
(リードが上手って、こういうことを言うのかな)
不思議なほど、体が動いた。考えなくていい。
どこへ行けばいいか、いつ向きを変えればいいか、すべてレオニスの手が先に答えを示してくれる。
未知流はいつの間にか、ステップを数えるのをやめていた。
気がつけば、無心でダンスを楽しんでいた。
国王様と踊った時は緊張でろくに聞こえなかった音楽が、さっきより綺麗に聞こえてくる。
「……うまいですね、ダンス」と未知流は言った。
「こういう場では、必要なことだ」とレオニスは答えた。
(そう言えば元王子様だし、小さい頃から習ったりしてたのかな?)
「好きなんですか?」と未知流は尋ねてみた。
「好きか嫌いかで言えば──そうでもない」
彼らしい、そっけない答えが帰って来る。
「じゃあ、なんで誘ったんですか?」
「君が困っていたから」
それだけ言って、レオニスは前を向いたまま、また黙った。
簡潔極まりない言葉なのに、鼓動が少し速くなった。
(この人は、こういう時にこういうことを当たり前のように言う)
最初の夜、裸足のままの未知流を抱き上げて運んだ時のことを思い出す。
石畳は冷たいから、と。今夜も同じだ。君が困っていたから。
(こういうタイプが、一番困る)
しばらく踊った後、未知流はリラックスして少し大きめに息を吸った。
(私の知ってるダンスだと、こういう時は──)
考えより先に、体が自然に動く。次のステップで、未知流はくるりと一回転した。
ドレスの裾が、扇のように広がる。
「──おお」
場の空気が変わったのが分かった。
「これは……」セドリックの声がどこかから聞こえた。
「ダンスの歴史も変えましたね。団長も驚いているでしょう」
レオニスが、わずかに目を細めた。
「今のは?」
「地球式です」
「……そうか」
また短い返事。でも、かすかに温かいものが混じっている。
笑顔ではないのに、笑っているように聞こえた。未知流も、知らないうちに笑っていた。
広間に音楽が流れている。レオニスの手が、相変わらず静かに、でも確かに、未知流を導いている。
緊張は、とうの昔にどこかへ消えていた。
*****
少し離れた柱の影で、アレクシスがぼやいた。
「なんであんなに自然にダンスできるんですか、レオニス様って。普段武骨すぎるのに……」
「あれがリベルタス一の騎士団長です」セドリックが隣で穏やかに答えた。
「戦場で死なない人間が、ダンスの一つもできないわけがない」
「どういう理屈か全然わかりませんよ、それ。俺も、ダンスくらい練習しようかなぁ」
「それより」とセドリックは言った。「気付きましたか、アレクシス。今夜のレオニス様の顔を」
アレクシスは改めて中央の二人を見た。
レオニスの横顔。音楽の中で、未知流を導いているその顔。
いつもの──何があっても揺れない、鋼のような表情が、今夜は違った。
見慣れている二人だからわかる。いつもより、柔らな顔。
「……あ」
「気付きましたか」
アレクシスは口をつぐんだ。
それから、ちょっと表情を伺うようにセドリックの顔を下から覗き込んで、尋ねた。
「……セドリックさん」
「はい」
「あの祭司の人、霧で何も見えないって言ってましたけど」
「そうですね」
「未来視に頼らなくても、答えは出てますよね」
「……出ていますね」
「ゼノン様には聞こえないようにしておきましょう」
「賢明です」
二人は揃って、柱の影から広間を見守った。
しばらくして、アレクシスがぽつりと言った。
「いいんですか、セドリックさん」
「何がです」
「レオニス様、あんな顔してますよ」
セドリックは広間の中央を見たままだった。
未知流を導いて踊るレオニス。
その横顔は、先ほどアレクシスが言った通り、ほんの少しだけ柔らかい。
「セドリックさん、レオニス様のこと好きですよね」
「ええ。好きですよ」
あっさりした答えだった。
アレクシスは目を瞬いた。
「……そんな簡単に認めるんですか」
「事実ですから」
「稀人様に取られちゃいますよ?」
セドリックは少し考えてから言った。
「私のレオニスに対する『好き』は、そういうものではありません」
「じゃあどういうのなんです?」
セドリックは一瞬だけ目を伏せた。
「……あの方が望むなら」
そしてまた広間を見る。
「隣に立つのが私でなくても、それでいいのです」
アレクシスは一瞬黙り、そして呆れたように笑った。
「それ、一番重いやつですよ」
そして、しみじみと言う。
「団長って、罪な人ですねえ」
*****
クロノス帝国の宮殿に、その男が戻ってきたのは深夜だった。
ヴァレリアから逃げのびた未来視司祭、カサンドルは、謁見の間に跪いたまま額を床につけていた。
「申し上げます」
「聞こう」
皇帝の声は穏やかだ。それが逆に、恐ろしかった。
「ヴァレリアは……陥落しました。連邦軍と稀人の力が合わさり、我々の予知は完全に機能しませんでした。渓谷での包囲も、城の防衛も──すべて、予知の外で裏をかかれました」
長い沈黙があった。
「連邦の獅子は死んだか」
「いえ……。たしかに、死ぬはずだったのですが」
また、沈黙。
「稀人がいる限り」とカサンドルは続けた。「我々の予知は届きません。すべて、根本から崩されます。あれは──未来視の敵というだけではない。我々の世界の、秩序の敵です」
皇帝はゆっくりと玉座から立ち上がり、歩を進める。
そして、低く、断固たる声で告げた。
「未来視が効かぬのは、敵も同じ……ならば、予想のつかぬ手段で攻めればよい」
部下が一瞬息を呑む。「と、おっしゃいますと……」
「すでに、動かせる駒がある」
皇帝の目が、わずかに光る。
「外から崩せないのなら、内から崩せば良い」
そう言って、皇帝は不敵に笑った。




