-12- 〜運命、変わっちゃったみたいなんだけど〜
城門が開いても、歓声は上がらなかった。
扉の隙間から、顔が覗く。一つ、また一つと。
視線が集まってくるのに、誰一人声を出さない。
子供は母親の陰に隠れ、老人は壁に背を預けたまま宙を見つめている。
帝国の守備隊がすでに撤退した通りは、がらんとしていて、廃墟のように静かだった。
(大歓迎を想像していたわけではなかったけど。でも、この静けさは……)
未知流は馬車の窓から、その光景を目に納めた。
ヴァレリアの民たちは、連邦軍を見ていた。
見てはいるのだが、歓喜という感情が、その顔のどこにも見当たらなかった。
「帝国の予言では、戦など起きないはずでした」
通りの端に立っていた中年の男が、ぽつりと言う。
レオニスのほうへ向けられた言葉でもなく、ただ、事実を確認するように呟く。
「なぜ急に戦になったのか」
「帝国の予言が、外れた」
「あの馬車に……稀人がいる」
「予言を壊す者だ」
声は低く、ひそやかで、連鎖するように広がっていく。
視線が、馬車の窓にいる未知流へと向く。
信仰と恐れが入り混じった、奇妙な眼差しだった。
この世界での未知流の美しさですら、住民には異形の存在と映っている。
未知流には、この視線をどう受け止めていいのか分からなかった。
未来を変えたのは自分だ。
目を逸らすのも無責任な気がして、でも真正面から受け止めるのもしんどくて──
未知流の視線は中に泳いだ。
レオニスが馬を降り、無言のまま周囲を見渡す。その目が、街の全体を素早く探っていた。
「終戦処理を始める。各自、持ち場につけ」
声は穏やかだったが、それだけで隊列が動き出す。未知流も馬車を降りた。
「稀人様」
セドリックが隣に来た。
「終戦処理の間、私がおそばにおります」
「はい。……ちょっと気になったんだけど、寝込んでいる人が多くないですか?」
通りを歩きながら、未知流は言った。
見渡すと、開いた窓の内側に、床に伏せる人の影が見える。
通りでも、老人の一人が、石段の端に腰をおろして、動かない。
目は開いているが、どこも見ていなかった。
セドリックがわずかに眉を曇らせた。
「……確かに」
「ゼノン様」
少し後方を歩いていたゼノンを、未知流は振り返った。
老賢者は足を止めて、街を見渡している。その目が閉じた。両手を、ゆっくりと前で組む。
長い沈黙のあと、ゼノンはゆっくりと口を開いた。
「……この街は」
ゼノンは緩やかに目を開け、未知流を見た。
「死の運命に、溢れている」
不吉な予言に、誰も、すぐには口を開けなかった。
*****
見回りを続けるうち、街の外縁に差し掛かった時だった。
鼻に、何かが引っかかった。思わず、袖で鼻と口を塞がずにはいられない。
腐敗した、鼻を刺激する嫌な臭いだ。雨水でも汚泥でもない。
動物? 人? とにかく生きているものではないものが発する、死の臭いだ。
(死の運命って、もしかしてこれと何か関係が──)
未知流は足を止めた。
「ちょっと待って」
臭いのする方向へ、二、三歩歩いた。
道の端を走る側溝──街の外側へ水を流すための、石造りの水路だ。
覗き込むと、水面は黒く濁っていて、臭いは耐えきれないほどに強くなっていく。
沈殿する黒い泥のようなもの。だが泥ではない。毛皮が大量に浮いている。
(──動物の死骸だ)
死骸が積み重なり、腐って澱になっている。
黒ずんだ水が、そこからちろちろと流れ出していた。
流れというよりは、にじみ出している、という方が近い。
水路は詰まりかけていて、悪臭のする溢れた水が地上にまで広がっていた。
「……これ」
未知流は、傍らにいた住民に聞いた。
「この水路、飲み水と繋がっていませんか」
住民はきょとんとした顔をした。
「ええ、上流の水源で合流しておりますが」
「こんな状態で放置したら、病気が広がりませんか」
住民は首をかしげた。「病気……ですか? 水と病気が、なにか関係あるのですか?」
(この世界では、予知はするけど、原因を突き止めるという発想がない……?)
頭の中で、線が繋がっていく。
病人が多い。側溝が汚染されている。水源が同じ。
ゼノンが言った「死の運命」の正体が、じわじわと形を取り始めた。
「セドリックさん」
「はい」
「街に戻ります。急いで」
*****
街に戻ると、路地の角に、ぐったりした子供を抱えた親がいた。
目が虚ろで、唇は乾いている。
「この子は、いつからこんな感じでしたか」
「もう、五日ほどになります」
親の顔に、悲しみより先にあるのは──諦めだった。
「帝国の予言で……この街のかなりの人間が、病で死ぬと出ておりました」
声は穏やかだった。静かすぎるほどに。
予言が出たなら、もうどうしようもない。
ただ決まったことを待っている。そういう世界なのだ。
未知流は子供の傍らにしゃがんだ。
触れると、熱い。高熱だ。唇が乾いている。着物の端に、嘔吐と下痢の跡が残っていた。
(脱水だ)
地球でのOL時代、猛暑の時に企画した製品の記憶が、引き出しの奥から飛び出してくる。
企画職として自分が担当した、思い入れのあるプロジェクト。
「経口補水液というと、どうしても薬局にある医薬品というイメージで、手に取りにくいのが難点です。しかし今の猛暑では経口補水液は特別なものではありません。もっと日常に溶け込むデザインの常備品にしたい。そういうコンセプトを提案します」
──当時の記憶が、昨日のように蘇ってくる。
デザインの提案から始まり、工場見学にも行って、成分の比率も頭に叩き込んだ。
塩、砂糖、水。比率さえ合えば作れる。
「ちょっと待っていてください」
未知流は立ち上がった。
(絶対に、助ける)
怒りとも悲しみともつかない何かが、胸の底で静かに燃え広がっていった。
*****
「塩、砂糖、清潔な水。それぞれ、できるだけ大量に集めてください。水は一回沸かしてから冷まして」
未知流は、周囲の騎士たちに指示を出した。
「水はわかりますが……塩と砂糖?」
セドリックが、不思議そうに聞き返す。
「こういう時、水だけでは体に吸収されない。けれど塩と糖があれば、腸が水を吸収するんです」
この世界の人間からしたら、未知流の言うことはよくわからないまじないのようなものだ。
困惑が広がる中で、誰かがレオニスを見た。
レオニスが、短く言う。
「やれ」
それだけで、全員が動いた。
比率を指示する。清潔な容器を探させる。
同時に、数名を側溝の清浄化へ向かわせる。
マスクになるものを探させ、手の洗い方を、身振り手振りで教える。
死骸を取り除くこと、流れを作ること、水源側への汚染を遮断すること──手順を、次々と伝えていく。
騎士たちは、(これはなんだ?)という顔で簡易マスクをつまみあげ、戸惑いながらも指示通りに動いた。
てんてこ舞いになりながら未知流が動き回っていると、ゼノンが、そばにやってきた。
「水が……原因じゃと?」
「そうです。側溝が汚染されていて、飲み水の水源と繋がっています。汚れた水を飲み続ければ、こうなります」
ゼノンは、しばらく黙っていた。皺の深い顔の、表情が止まっている。
未知流は砂糖の溶け具合を確かめながら、続けた。
「地球では、ずっと昔に分かったことなんです。でも、ここでは誰も知らなかっただけで」
「ただ、知らなかっただけ……か」
ゼノンが、その言葉を繰り返す。何度も、噛みしめるように。
*****
できあがった経口補水液を手に、未知流は最も重症な子供のところへ走った。
「これを、これを子供に飲ませてあげてください」
息を切らして未知流が言う。未知流の必死さとは裏腹に、親は黙って受け取った。
躊躇いも、拒みもない。でも、喜びもしない。
その顔を見た瞬間、未知流の胸に小さな棘が刺さった。
毒かもしれないと疑う警戒心ではない。藁にも縋る必死さでもない。
ただ、もう何も変わらないと思っている人間の、無色な諦めの顔だったから。
(どうせ死ぬから、という顔なんだ。これは)
未知流は、それ以上その顔を見ていられなかった。
*****
側溝の清浄化を終えた騎士たちが、黒ずんだ水と格闘しながら汗を流している。
経口補水液が、街の中に少しずつ配られ始めていた。
未知流が石段に腰をおろして一息ついたところに、ゼノンが来た。
「人の命という運命が、覆るとお思いか」
「わからないけど……、みんなで、覆そうと頑張っています」
「神は一度決まったことを覆さない」
老賢者の目は、否定ではなかった。
長年の信念が、初めて揺れている。そんな目だった。
「そう。神は、サイコロを振らないのじゃ」
未知流は少しだけ間を置いた。
それから、まっすぐゼノンを見た。
「そうかもしれない。でも──」
「私の世界の神様は、サイコロを振る」
ゼノンは何も言わなかった。けれど──
老いて白くなってきた目。その目が、かすかに揺れた。
*****
翌朝、最初に経口補水液を飲ませた子供が──目を開けた。
熱は下がり、唇には、かすかな艶が戻っている。
諦めに支配されていた親が、子供の手を両手で包み、握りしめ、声を殺して泣いた。
昨日の、能面のような諦めの顔は、どこかへ消え失せていた。
側溝の清浄化が進むにつれ、新たな発症が止まっていった。
経口補水液を飲ませ続けるうちに、臥せっていた人々が、一人、また一人と起き上がってくる。
「街から、死の気配が……消えた」
ゼノンが、変わっていく街の様子をつぶさに観察していた。
*****
街が、動き出した。
回復した住民が外に出てくる。顔に、表情が戻ってくる。
昨日まで動けなかった子供が通りを走り、大人がそれを笑顔で見送った。
広場の片隅で、子供を抱いた親が、ぽつりと言った。
「死ぬって決まってたのに……この子は、生きてる。こんなことがあるなんて」
その言葉が、隣に、また隣に伝わっていく。
「未来が──変わった」
「流行り病が消えてしまった。運命は、変えられるのか」
「突然戦になった時は動揺したけど、未来が変わるってのも、悪いことばかりじゃないな」
誰が言い出したのかは、わからない。でも、広場に焚き火が灯り始めた。
誰かが食べ物を運んでくる。どこかで音楽が鳴り始めた。
恐れが、少しずつ違う色に変わっていく。
昨夜は歓声一つ上げなかった街が、今夜は別の声で満ちていた。
解放と回復の祭りが、誰に号令されるでもなく、始まっていた。
ずっと住民に囲まれていた未知流は、少し疲れて静かな路地に場所を移し、喜ぶ住民たちを見ていた。
その隣にそっと、ゼノンが来た。
「……私は長い年月、未来視を研究してきました」
静かな声だった。
「未来は決まっていると──信じて疑わなかった」
「ゼノン様」
「どうやら私は」
老賢者は、広場の人々を見ながら言った。
「未来を見ていたのではなく──ただ、諦めていただけだったようですな」
それだけ言って、ゼノンは深く頭を下げた。
未知流は、返す言葉を持たなかった。
この老人が今日ここで何かを手放したことだけは、わかったから。
*****
賑やかな広場から少し離れた路地、ゼノンが去った後も未知流はまだ一人でいた。
最初は祭りの中にしばらくいた。
声をかけてくれる人に答えた。笑顔を返した。
子供が経口補水液を嬉しそうに飲む様子を見て、本当に、よかったと思った。
でも。
ふと口にした食べ物の甘さが──
(これ、あんこに似てる。和菓子なんかありそうにない、全然違う世界なのに。なんか、面白い)
少し笑った。そこで、糸が切れた。
(つぶあんホイップどらやき、食べたいな。仕事で疲れたときに、よく食べてた)
あの頃は、毎日締め切りと数字に追われていた。
工場の担当者と何度も電話して、パッケージのデザインで揉めて、上司に企画書を突き返されて。
それでも、完成した製品を初めて手にした時、本当に嬉しかった。
すべてが無我夢中だった──その時間が、今ここで、誰かの命を繋いだ。
(経口補水液の比率、ちゃんと覚えててよかった。地球のみんな……どうしてるかな)
考えないようにしていた。ずっと。
考える間もなかった、というほうが正確かもしれない。
でも今、祭りの音が遠くに聞こえる中で──ふいに、記憶が溢れてきた。
家族の顔。友人たち。職場の同僚。自分の部屋。街の風景。
頬に、何かが落ちた。
(──泣いてる)
触れてみると、確かに濡れていた。
誰かに見られたかもしれない。でも、止める間もなかった。
「なぜ、泣いている」
声がして振り返ると、レオニスが、そこにいた。
「──故郷のことを、思い出していました」
未知流は素直に言った。繕う余裕すらなかったから。
レオニスは何も言わず、でも、そのまま立ち去りもしなかった。
しばらくの沈黙の後、静かに言った。
「……君は、たいした人だ。我々を救い、この街の住民も救った」
「違います。みなさんが動いてくれたから」
「この世界の人間は、君が言わなければ動けなかっただろう。成したのは、君だ」
また、沈黙が広がった。
祭りの音が、遠くで続いている。未知流は、じっと俯いて、考え込んでいた。
「──あなたも、そうですね」
「なにが?」
「故郷を、失っている。私と、おんなじだ」
レオニスは何も言わなかった。ただ、その目が、わずかに揺れる。
夜の色をした双眸が、この瞬間だけ、何か柔らかい光を帯びているように見える。
沈黙の中で──レオニスは一歩近づいた。
少し困ったように立ち止まり、それからゆっくりと腕を伸ばす。
未知流の肩が、レオニスの温もりに包まれた。
「故郷を失うのは、辛いことだ」
穏やかな低い声。ただそこにある、寄り添うような穏やかさだった。
「今日くらいは、思う存分泣いてもいい」
レオニスの、その言葉がきっかけで──、胸の奥で、堰が切れた。
この世界に来て初めて、未知流は声を上げて泣いた。
家族の顔が浮かんだ。自分の部屋の天井が浮かんだ。
コンビニのつぶあんホイップどらやきの甘さが──舌の記憶に浮かんだ。
同じ痛みを知っている人間が、ここにいる。
レオニスの腕の中で、抑えることを知らず、迷子の子どものように泣くことしか出来なかった。
彼の温もりが、ただただありがたかった。
広場の祭りの音は、まるで終わりを知らないかのように、遠くで続いていた。




