-10- 〜ちょっと歌っただけなんだけど〜
次の日。未知流は、レオニスが忘れていったスカーフを洗い場で洗っていた。
「そんなこと、稀人様にさせられません!」
侍女たちは血相を変えて止めようとしたが、素材は明らかに高級なものだったし、自分の手で慎重に洗いたい。
それが、レオニスへの礼儀でもあると思ったから。
「♪~」
洗濯の時は、自然と鼻歌が出る。
未知流は気付いていないが、家事をしているときの、地球時代からの癖だった。
(よしっ)
もみ洗いし、生地を傷めないように水気を切り、乾すために物干し台を探そうと振り返った時。
なぜか、既に顔なじみとなった第一騎士団の面々が未知流を凝視したまま突っ立っていた。
精鋭部隊の彼ららしからぬ、魂を抜かれたような顔で。
「……あの、なにか?」
セドリックが、ハッとしたように詫びる。
「申し訳ありませんでした。あまりに歌声が美しかったもので」
隣では、アレクシスがぽーっとした表情で立ち尽くしている。その隣にはレオニス。
相変わらず表情は読みにくい人だけど、喜怒哀楽のどれかと言われたらおそらく「楽」に相当する表情ではないだろうか。
なんで彼らがこんなに感動しているのかわからない。
「私、そんなに歌上手くありませんよ?」
「そんなことないです稀人様! こんな美しい歌、初めて聴きました! それに、歌声も!」
アレクシスが熱狂的に語る。
「このような澄んだ高い音域の歌い手は、この世界にはいません」と、セドリックも言う。
そう言えば、この世界の女性は中性的な外見だし、声も男の子のような感じがする。
「これがかの世界の女性の声なのですね。もっと聴いていたくなる響きです。それに、この聴きなれない旋律も非常に興味があります」
カイルまで、研究対象を見つけたような熱心な眼差しを向けてくる。
絶賛の嵐で居心地が悪くなった未知流に、レオニスがぼそっと声をかけた。
「……そのスカーフ、君が洗ってくれたのか」
「え、ええ」
「捨ててくれて良かったのに」
「とんでもないです、こんな見るからに高価そうなものを。……昨日は、ありがとうございました」
アレクシスが、興味津々という様子で口を挟む。
「えー!? スカーフってなんですか? 昨日の夜、あの後何かあったんですか?」
レオニスは、「大したことではない」と短く言うと、珍しく咎めるような目でアレクシスを見た。
「す、すみません! レオニス様!」
「まあまあ」とセドリックが取りなす。
「それより、私は稀人様の歌をもっと聴いてみたいんですが」
「あ! 僕もそう思ってました!」アレクシスが勢いよく頷く。
こんな期待される中で歌うのはちょっとプレッシャーだ。でも。
(まあ、そこまで頼まれるなら……)
未知流は小さく息を吸うと、もう一度だけ、さっきと同じ旋律をなぞった。
違うのは、さっきより強く、さっきより長く、人のために歌ったこと。
水音と混じりながら、旋律がやわらかく広がっていく。
──気付けば、未知流の周りにはさらに人が増えていた。
歌い終わると、興奮覚めやらぬといった感じのアレクシスが駆け寄ってきた。
「す、すごいです……! なんか、その……心の中があったかくなる感じで……!」
語彙が追いついていない。
(私と同じで、感想レポートとか向いてないタイプだ、アレクシス……)
でも、その分正直な感想だというのはわかった。
「……これは、興味深いです」
カイルが、静かに口を開く。
「音の高さや構造だけでは説明がつかない。……感情そのものを、直接伝達しているようだ」
(こっちはこっちで、なんか分析が始まった……)
そんな中、
「……美しいな」
ぽつり、とレオニスが言った。
騎士団だけではない。集まってきた城の使用人たちもみな自然と、優しい顔になっている。
洗濯日和の陽だまりの中、ここだけ、ゆったりとした時が流れていた。
*****
クロノス帝国の宮殿に、報告が届いたのは夜半過ぎだった。
廊下を走る足音。謁見の間の扉が開く。跪いた男が、短く、要点だけを告げた。
密偵は撤退した。潜入は失敗。
「しかし──、稀人の所在は確認できました。間違いなく、リベルタス城内に」
皇帝はしばらく沈黙していた。それから、口の端がかすかに動いた。
「なるほど」
「未来視が及ばぬ範囲でも、直接の接触は可能であることが分かりました」
「ああ」
皇帝は立ち上がり、窓に向かって歩いた。夜の空を見ながら、確認するように一言、二言。
「予知が通じなくとも、刃は通じる」
声は静かだった。
「それが分かれば、十分だ」
将校は深く頭を垂れた。宮殿の廊下が、また静かになる。
クロノスの空の月は、黒い雲に覆われていた。




