第82話 守られていたのは自分
宮廷中は大騒ぎになった。
朝が早すぎたので、まだ寝ている者、まだ伺候していない者が多かったが、大勢の軍隊に、町の人々同様彼らも次々と集まりだした。
「ジェルナン殿だ」
馬上のまま、顔がよく見えるよう頭に何もかぶらず、ジェルナン殿は中庭に立っていた。
「どこにもケガなんかしていないではないか」
「なぜ、こんなときにここへ来たのだ。戦場はどうなっているのだ。まさか放棄して逃げてきたのではあるまいな?」
「勝ったそうだ。敗戦はデマだったそうだ」
「なんだとぉ?」
「勝った?」
「なんと言うことだ。本当かそれは? では、誰が何のためにあんな噂を撒いたのだ」
「勝った! 勝った!」
「リンゲルバルト殿は戦死したそうだ」
「あの方が? ゼノア第一の将軍と言われた方が?」
マーリー殿が駆けつけてきた。
「ジェルナン殿!」
彼は叫んだ。
「無事か? 無事だったんだな? なんだってあんな酷いうわさが流れたんだ!」
ジェルナン殿は中庭でウマを降りた。すでに数名の者が駆けつけていた。
「陛下にお目通りを」
「おお、もちろんだ」
「リンゲルバルトは戦死した。ゼノア軍は撃退し、城と砦はすべて取り返した。」
「すごい! 大勝利じゃないか! なんで敗戦などといううわさが流れたのだ」
「デマを流す誰かがいるんだ。私の通信を横取りした。使者を殺したか、使者がもともとゼノアのスパイだったか、いずれかだ」
「なんだと?」
「だが、とりあえず陛下に謁見したい。そしてマーリー殿、宮廷中に伝えてくれ。ゼノア軍を打ち負かし、北部の地を取り返した。リンゲルバルト殿は死んだ。マノカイは勝利したと」
陛下はどうしているのだろう。
いろいろな噂は、実は本当のことだった。リップヘンの流した噂を信じた人々はどれくらい居るのか?
宮殿の廊下を通っていく途中で、彼は何人もの人々に会った。
「ジェルナン殿!」
出会った人々は、非常に驚いた。
「北部戦線で勝利したので、陛下にご報告に参った」
「なんですと? 勝った?!」
ジェルナン殿は力強くうなずいた。
「ゼノア軍は全滅、リンゲルバルト殿は戦死した。砦と城は接収した。今ではマノカイの旗が翻っている」
「なんと! それは! マノカイの勝利とは!」
みんな、みるみる笑顔になっていく。
彼の元気な様子をみて驚く人びとに、ジェルナン殿は、同じ話を繰り返し繰り返し話し続けた。プレショーンが陛下の部屋へ案内する途中を、わざと長くして、できるだけたくさんの人に彼の元気な姿を見せようとたくらんだのではないかと思ったくらいだ。
「ジェルナン!」
陛下は、光り輝くなにかまとわり着くような服を着ていた。
彼女は立ち尽くし、次の瞬間、彼の元に走ってきた。
彼を見つめ、届かないので少し背伸びして、自分からキスした。そのあと、泣き出した。
ジェルナン殿はびっくりした。なんと、陛下が成長している。キスしてくれた……
彼の顔を見て、安心して泣き出す姫を抱きしめながら、彼は不安が怒りに変わるのを覚えた。
前途多難かもしれないが、もはやどんなウソだろうとごり押しして真実にしてみせる。この人のために。この方を守り通してみせる。自分にはそれが出来る。
「誰かが悪意で、私は瀕死の重傷で、戦いは惨敗したと言う噂を流したのです」
「いったい誰が? 何のために?」
「あなたとの結婚を阻止するために。あなたが動じないことを知っているので、わたしを亡き者にしようと暗殺者を放ち、それがうまくいかなかったので、マノカイへ送った私の使者の情報を止めて、こんな噂を流したのです。バッソンピエール殿が連絡をくれなければ、私はもう1、2週間北部戦線にいたかもわからない。その頃には手遅れになっていたかもわからない」
ジェルナン殿は陛下の顔を見た。
「あなたを失ったかもわからない」
「そんなことはありません。私はずっとあなたを待つわ」
「死んでしまったら、待っていても仕方がない」
「死んでいないわ」
リーア陛下は安心したが、その分、ふつふつと怒りがたぎってきたようだった。
「どんなに心配したことか。しかもあなたに対する誹謗中傷」
「それは……(事実なような……)」
「反対派が誰だったか、今は、私自身がよく知っています。わたしの所に、婚約破棄を勧めに来た連中。全員、覚えていますわ」
ジェルナン殿はびっくりした。めったに感情的にはならない彼女が、冷静に怒り始めている。王侯の怒りは恐ろしい。
やつらは墓穴を掘ったな。
だが、なぜ、こんなすぐばれるようなうそをついたのか。
おそらく、ゼノア軍があそこまでひどい敗北を喫するとは予想していなかったのだろう。
なにしろ、未だに国内に不安定因子を抱えるマノカイに対し、ゼノアは万全だったし、リンゲルバルト殿は高名な名将軍だった。負けるはずがない。少なくともジェルナン殿が戻ってくるまでには、相当の時間がかかり、その間に何とか姫君を懐柔できると踏んだのだろう。
「いますぐ、全員を集めて、戦勝報告をするように」
「はい、陛下」
「あなたの軍は、中庭にとどめたままにしなさい。威嚇のために。裏切り者は処分します」
「はい、陛下」
王宮に棲む敵対勢力たちには、誤算がもうひとつあった。
彼が死に、大敗を喫し、裏切りのうわさが流れても、姫が確証が取れるまで決して信じようとしなかったことだ。
この姫君をかんたんに懐柔できると思うだなんて。
彼女は、誰一人味方のいない、ひっそりと暗い尼僧院に暮らしながら、ひとりで計画を練り、時が来ると剣を取って男どもを率いて戦い続けてきたのだ。
今回の噂にも、冷静にじっと耐え、状況を見守り早計を避けた。
守られていたのは自分。
陛下の前で頭を下げたまま彼は辞去し、顔を見られなくて良かったと思った。目にきっとゴミでも入ったのだ。
彼も誤算していた。リーア陛下の揺るがない決意と、それから彼女が安心できるのはどうやら彼の前だけらしいという事実をだ。




