第81話 ジェルナン殿の帰還
だが、2時間も寝ていられなかった。ジェルナン軍目指して出立していたマーリー殿の使いが、来たのだった。
「まさか、ご無事でおられるとは!」
よく知るマーリー殿の従者のゲッツハインだった。彼はジェルナン殿に会って感激しているようだった。
「こんなに早くここまで来ておられるとは思いもよりませんでした。おケガは大丈夫でございますか? 行軍されて障りはなかったですか?」
使いは息を切らせていた。
「わたしは元気だ。今の状況はどうなのだ」
「え? はい。あまりかんばしくはありません。思ったより多くの貴族達がリップヘン殿側に着きました。なにしろ、肝心のジェルナン殿が瀕死と聞いては、誰しも動揺せずにはいられません。大方は状況がはっきりしないので様子見をされていますが。
現在のところ、リップヘン殿本人ではなく、リップヘン殿の側についた有力貴族たちが、次々と陛下に進言をしている状況です」
「進言?」
「とりあえずご婚約をいったん白紙に戻されてはどうかと」
「なぜ、婚約破棄をわざわざ勧めるのだ。わたしが死んだら、婚約破棄をする必要はないだろう。生きていても、身動きできない状態なら同じことだ」
「万一、ジェルナン様がお元気でも、結婚できないようにするために、先に婚約解消を進めたいのでしょう。なにせ、殿がリンゲルバルト殿に敗退されたので……」
「大敗のうわさだな?」
「はい。戦いに勝敗はつき物です。前回、勝たれたからと言って、今回もお勝ちになるとは限りません。宮廷の者どもにはそれがわからないのでございます」
ゲッツハインに慰められて、ジェルナン殿は憤慨した。
「それはうわさだ。リンゲルバルトは死んだ。彼の軍は壊滅状態、全員、ゼノアに逃げ帰った。それとあのあたりの砦は全部、今はわたしの支配下にある。誰かが、わたしがいないほうが都合のいい誰かが、その噂を流したのだ。」
「えっ?」
ゲッツハインは、顔を上げた。突然、その顔に喜色があふれた。
「勝ったのでございますか? 戦いは目も当てられない惨敗を喫したとの報がキャンベル殿からもたらされたのでございます。またジェルナン殿ご本人もスパイに身を狙われて瀕死の重傷と伝わってきております。そんなご様子はまったくありませんで、ビックリいたしました」
「目も当てられない惨敗とは、今のゼノア軍のことだろうな。なぜ、我が方の連絡を待って確認しない?」
「はばかりながら、ジェルナン殿からの連絡は全く着いておりませんのです。情報が途絶えているので、宮廷はそれはそれは不安になり、リップヘン殿が力を得ているのでございます」
「ケガなんかしていないし、2回ほどウマを走らせたが……」
「どうなっておりますのでしょう。陛下はジェルナン殿がおケガをされていると言う報に大変心を痛められているご様子、宮廷の誰もが、ジェルナン殿のご結婚の可能性がなくなったのではないかと考え始めております」
「心配だ。陛下にお目にかかれるだろうか?」
「それはもう。お元気な姿を見て、さぞお喜びになられることと思います。
しかし、そうだったのですか。勝っておられた。ゼノア軍は壊滅、しかもリンゲルバルト殿は戦死。殿の大勝ではございませんか。
いったい、この数日、私どもがどれだけ苦しんだかと思うと……」
「わたしについて、ケガ以外にも別な噂も流れているそうだが?」
ゲッツハインは顔をしかめた。
「はい。リップヘン殿とキャンベル殿が、あなた様はジェルナン・ライカ殿ではない、東渡りのジグ人で流れ者の楽師のリョウだ、どこのウマの骨ともわからない偽者だと言っておいでです」
「まったく……」
「自分達はジェルナン殿がそう名乗るのを聞いたとおっしゃるのです」
「当たり前だ。その時はそう名乗っていたのだから。ジェルナン・ライカとは言えんわ、あのなりでは」
「宮廷のほとんどの者は疑心暗鬼になっています。そこへ公妃様が……」
また、あの女か……。ジェルナン殿は頭が痛くなった。
「間違いなく楽師のリョウだ、ご自分の愛人だったこともあると妙な経歴を暴露されまして」
「公妃様にお目にかかったのは、前のマノカイ王の葬儀のときだけだ」
「リップヘン殿がこの発言に激怒されまして」
「なんで? わたしを貶めることさえ出来れば、リップヘンは歓迎だろう?」
「愛人だらけの母上のご行状がご不満らしくて、つまらない発言をするなと内輪もめをされています。まあ、内輪と言いにくいくらい仲が悪いですが」
ジェルナン殿はあきれて黙った。
「明日朝、正門から入城しよう」
翌日、早朝からジェルナン殿は百数騎を従えて、威風堂々正門前に集まった。
夕べのうちにマノカイの自分の兵舎に使いをやって、軍備を整えさせた元気な兵士を参加させたのである。
夜明け前、完全武装した百数人の騎士を城の正門前に集合させた時点で、すでに城外の町家衆は大騒ぎであった。
「誰だ? ついにゼノア軍が攻めて来たのか? マノカイが負けたので、陛下とのご結婚を迫って?」
ようよう明け始めた空の下、起きだしてきた人々は、大勢の重装備の軍に目を丸くした。
「違う! あの旗印を見ろ。マノカイだ」
「ジェルナン殿だ。ジェルナン殿の旗印だ」
ウマのいななきが混ざり、町の騒ぎが一層大きくなった。
「ジェルナン殿だ、ジェルナン殿だ!」
誰かが叫び、多くの人々が家から飛び出してきた。
「大怪我をされて、大敗を喫したと言うが?」
「それはデマだ」
凛とした声でジェルナン殿の兵が伝えた。
「誰かの撒いたウソだ。我々は勝利した。ゼノア軍は壊滅、敗走した。敵軍の将、リンゲルバルト殿は戦死した。砦と城はすべて取り戻した」
「え?」
「マノカイは、勝ったのか?」
「勝った」
「あの噂はウソだったのか? 負けて、ジェルナン殿が瀕死の重傷だと言う噂は」
「誰が信じるのだ、そんな噂を」
ジェルナン殿が頭の防具を脱いだ。朝日を受けて防具がキラリと光った。顔と頭がむき出しになり、誰でもその顔が見えるようになった。
「わたしは元気だ。どこにもケガなどしていない。北部の平定は完了した。ゼノア軍は壊滅、ゼノアの将、リンゲルバルト殿は戦死した。我らがマノカイは勝利したのだ」
この話は、ジェルナン殿の軍のそばにいなくて聞き取れなかった者たちの耳にも、人伝えに次から次へと伝わっていき、瞬く間に町中に伝えられた。
「勝った!勝った!マノカイの勝利だ」
「ゼノアは壊滅、大将は死んだそうだ」
「ジェルナン殿万歳!」
「なになに?ジェルナン殿は瀕死の重傷ではないのか?」
「何を言っている。ほら、あそこに!」
ジェルナン殿は、剣を抜いて、頭上で振りかざした。
朝日を受けて、白刃が輝き、彼が剣を振るたび、歓呼の声が響いた。
人々はジェルナンの名を叫び、戦いの勝者をたたえた。
「行こう。ゲッツハイン。ここの用事は済んだ。次は王宮だ」
門番はすでに噂を聞いており、ジェルナン殿の顔も確認していた。
「ジェルナン様! ジェルナン様! よくぞご無事でお帰りで。マノカイは勝ちましたか」
門は大きく開き、百数騎十は粛々と城内へ歩みを進めた。




