第76話 ガゼルの裏切り
「これはもう、攻めなくてもいいんじゃないか?」
翌朝、明るくなってから戦果を見に来たジェルナン殿は、腕組みをして傍らのジーグ伯に話しかけた。
ジーグ伯は自分の目すら疑いたいような気持ちだったらしい。
ジェルナン殿は堀を埋めると言っていたが、火薬の威力が大きすぎて、堀どころではない、城が半分方吹き飛ばされていた。
「こっち側で寝てたやつにとっちゃ、夕べは相当具合が悪かったんじゃないかな」
「あの爆発はなんだったのですか?」
ジーグ伯が恐る恐るたずねた。
「おい、パシー、火薬を節約しろっていったじゃないか」
「しかし、殿様、こんなことをやってみたことがなかったので見当がつきませんで、失敗は許されないと思いまして少々多めになったようでございます」
「次からは半分にしてみろ。今回は多すぎだ。まあ、こんなのは経験だからなあ。適正な火薬の使用量か」
「次は、どこにいたしましょう」
「そうだなあ。ジーグ伯、この辺で適当な城か要塞はありませんか? ふっ飛ばしてもいいようなやつ?」
ジーグ伯は激しく首を振った。
「とんでもございません。夕べの轟音だけで十分でございます。当分、戦は勘弁していただきたいもので」
ジェルナン殿とパシー軍長は顔を見合わせた。
「だって、俺達だって戦をしたくて来たわけじゃないし。リンゲルバルトに呼ばれたようなもんだよなあ?」
「そうでございますとも。殿様なんか、結婚式を棚上げにしてまで、ここへ来てくださったんですよ」
「もう十分でございます。逃げられなかった城の者は、全員投降してきたではございませんか」
「そうだ、おもしろいから、そいつらとマシューを会わせてやろう」
ジェルナン殿は走り出した。いかにも軽いその身のこなしを見ていると、無分別な若者を見ているような気になった。
「殿様、おもしろいからってなんですか。マシューはきっとかんかんになりますよ」
「いいんだ。どうせリンゲルバルトはうまく逃げたんだろうよ。俺もその方がいいんだ。あいつは殺したくないし」
「ダメじゃないですか。それだと何時までたってもマノカイに帰れませんよ」
マシューは案の定かんかんになった。城を守りきれなかった兵たちを口汚くののしり、涙を流して無念がった。
「あんな堅牢な城におさまりかえっていて、どうして守りきれなかった。お前らは腑抜けか。卑怯者。戦いもせず投降したと言うのか。それも一晩でか」
「あの爆発のすさまじさを知らぬからそんなことが言えるのだ。貴公もどうじゃ。リンゲルバルト殿の寝所を敵軍の将にぺらぺらしゃべりおって。裏切り者より始末が悪いわ」
マシューは顔色を変えて怒鳴った。
「リンゲルバルト様の居場所など知らぬわ。ゼノアに不利になるようなことを敵軍の将にしゃべったりするわけがなかろう!」
「戦いもせず云々などと、貴公が戦えるものならやってみるがよい。貴公こそ剣の腕前を散々自慢していたのに、なんだこの体たらくは。自分は右手をなくして、こやつには一太刀も浴びせることが出来なかったのか?」
「そいつは不死身だ。剣が効かん。」
「なにをおかしなことを。ついに脳みそまで毒が回ったか。」
「鎖帷子と、火薬の量を知らないからなあ。」
ジェルナン殿はアンスに言った。
城と砦は、もう廃墟の状態だった。使い物にならない。
「ほかにベースとして使えそうな代物はないか? それから残党どもはどうした。人数情報は、マシューが流したものしかなかったから、実際のリンゲルバルトの軍の規模が全然わからない」
「兵は昨夜の城の爆破に度肝を抜かれたようでございます。かなりの者が死んでいると思いますし、生き残った者も、ちりぢりばらばらになって北の方に逃げていきました。残ったのは、がれきの下に埋もれたり、けがをしたので動けなかった連中です。本体が別に居る可能性はありますが規模は小さいでしょう。もうあまり心配は要らないのではないかと思います」
「そうかな?」
「昨晩の大爆発が心理的に大きかったと思います。こわくて傭兵どもはもう寄り付かないでしょう。爆発の正体がわかるまで、当面リンゲルバルトに協力する者はいないのではないでしょうか」
そのとき、伝令がやってきた。
「申し上げます」
「どうした?」
「ただいま、ガゼル殿がリンゲルバルト殿を捕虜として連れて参上しておられます」
マノカイを裏切って逃亡したはずのガゼル殿が、リンゲルバルトを捕らえただと?
その場にいた全員が意味を理解するまで時間がかかった。そして皆が顔を見合わせた。
ジェルナン殿が眉を寄せた。
ウソのような事態だった。
「とおせ」
ガヤガヤと人声がして、カチャカチャと拍車が床材に触れる音がした。
「触るな!」
ジェルナン殿は、怒り狂った様子のその声を聞いて、驚くと同時に心臓が締め付けられるほどうれしかった。
リンゲルバルトの声だ。
ドアが乱暴に開いて、誰かがリンゲルバルトを背中から突き飛ばしたらしい。腕を縛り上げられたリンゲルバルトは足をもつれさせ、口汚くののししりながらようやく転ばないで済んだ。
「ジェルナン殿」
リンゲルバルトの後ろから、ガゼル殿がにたりと笑いながら姿を現した。そして、彼はジェルナン殿を探して目をキョロキョロさせた。
忘れていた。ガゼル殿はマスクをしたジェルナン殿しか知らないのだ。
一方、リンゲルバルト殿はマスクをした男など知らない。リョウを見つけると、彼は心底驚いて、その顔を穴が開くほどじっと見つめた。
「ガゼル殿、お探しの人物はここにいる」
ジェルナン殿は、まずガゼル殿に声をかけた。
宮廷全員と全く同じに、ガゼル殿も目を丸くした。あのジェルナン殿がこんな顔の持ち主とは、想像もしていなかったのだ。
「ジェルナン殿……ジェルナン殿?」
「そうだ」
ジェルナン殿は少しイライラしながら答えた。
「マスクをした顔しか見たことがなかったもので……失礼した」
と言いながら、ガゼル殿は好奇心を抑えきれないでその顔を見つめ続けた。
「貴公、顔にキズもなければ、やけどの痕もないではないか。なぜ、マスクをしていたのだ」
「話せば長い。わたしはリーア陛下にマスクをするよう言いつけられたのだ。それでずっとマスクをしてきた。それだけのことだ」
「ほう……。陛下は何でまた貴公にそんな珍奇な命令を下したものか。そしてなぜまた今はマスクを取っている?」
「陛下のご命令だ」
ガゼル殿はつくづくジェルナン殿の顔を見ながら、続けた。
「今、貴公は姫様の花婿候補として立候補しているそうだな。まあ、確かにマスクつきでは都合が悪かろう。特にそんな若いきれいな顔をしていたのなら、余計にそうだな」
これまで宮廷で、どんなに口さがない噂を面と向かって言われても、顔色一つ変えなかったジェルナン殿が真っ赤になった。
「ガセル殿、貴公、そのようなことを言いにここまで来たのではなかろう。用件を話せ」
ガゼル殿は、彼の発言が図星であったことを悟った。が、これ以上ジェルナン殿を怒らせても後で面白くないだろうと考えたらしく、リンゲルバルト殿の方に向き直った。
「ジェルナン殿、ご存じないだろうが、この方がリンゲルバルト殿だ。ご紹介申し上げよう、リンゲルバルト殿、こちらが……」
「知っている!」
リンゲルバルト殿が力いっぱい大声で叫んだ。
「リョウ、きさま、お前はなんて、なんということをするのだ、裏切り者!」
「これこれ、捕虜が何を言い出す。静かにせんか。静かにしないと締め上げるぞ。森の中にこそこそ隠れていたくせに」
ガゼル殿はリンゲルバルトの突然の剣幕に驚いたようだったが、あわててたしなめた。
「お前は俺を侮辱するな。傭兵の長に過ぎないくせに。ゼノア軍を見て戦いもせずに城を捨てて逃亡したくせに」
「おいおい、人聞きの悪い。世の中いろいろですよ。卑怯で逃げたわけじゃないことだけは知っておいてほしいものだな」
「どうせ金で寝返ったのだろう」
リンゲルバルトがあざけった。
「なんということを。とりあえず、ジェルナン殿、この人物がお探しの人物でしょう。できるだけ早く報酬の話を始めたいと思っておりますが。それがすめば、この高名な騎士ですが、煮て食うなり焼いて食うなりお好きなように料理していただいて結構ですぞ」
会話を苦虫をかみつぶしたような表情で聞いていたジェルナン殿は答えた。
「それはそれは。ところでガゼル殿は、リンゲルバルト殿がわたしの尊敬する戦友だったことをご存知かな?」
「えッ?」
ガゼル殿は目を丸くした。醜悪で人好きのしない顔の中で、目だけがまるで狆のようだった。
「敵味方に分かれて戦うことは武人の常、致し方ないこと。しかし、それと友情は別の話だ。わざわざここまで連れてきていただいた礼はしよう。しかし、先ほどからのこの高貴な騎士に対する数々の無礼は許せぬ。パシー、こやつを捕らえろ」
「えッ?」
数人がばらばらと走ってきてガゼル殿を拘束した。
「ジェルナン殿、このような型破りなやり口が通用するとお思いか? 傭兵には、傭兵のルールがある。敵軍の将を捕虜として連れてきたのだ。手柄以外の何物でもないはずだ。拘束するなんて、おかしいだろう」
「なあに、心配はご無用。しばらくの間、この城に逗留していただくだけのこと。部下のみなさんも歓待申し上げよう。少々、値段交渉が長引いているだけで、よくある話だ。あなたをどうこうしようとは思っていませんよ。
アンス、とりあえず、ガゼル殿のために部屋を用意してくれ。なるべくがっちりしたいい部屋をな。それと夕食には何がいいか、かならずリクエストをお聞きするようにな」
「かしこまりました」
「ジェルナン、このあいかわらず口だけはうまい男!」
ガセル殿はいろいろ叫びながら、部屋を追い出されていった。
室内には、ジェルナン殿ことリョウとリンゲルバルト殿が残された。




