第75話 スパイと要塞
「北部戦線の責任者のガゼル殿はどうしたのだ」
「逃げましたよ」
マシューがニヤリとして言った。
マシューは、ガゼルからマノカイへ遣わされた使者だった。元はガゼルの下で働いていたと言う。
彼らは北部戦線に着いていた。
この地方の領主ジーグ伯所有の城を中心に、ガゼル殿はゼノア軍と対峙していたはずなのだが、今やその城はゼノア軍に占拠されていた。
「あの方は傭兵のプロですからね。自分の軍を壊滅させるわけには行かない。そんなことをしたら、明日から飯の種がなくなります。彼の軍では対抗できない数の兵が押し寄せてきたんでしょう」
「そうか。ということは数千人単位の軍と言うことかな。」
「おそらくは。 私はちょうどマノカイへの連絡のため、街道を移動中でしたから見ていません。私の横を早馬が走って抜いていきましたから、私が出立してすぐ、ゼノア軍が襲撃してきたのでしょう」
「手前の要塞に陣地をはるか。地図はあるか?」
「要塞としては、不十分な建物ですが、だいじょうぶでしょうか。我々は人数が圧倒的に少ないと思います」
「あるもので勝負しないとな。この話、どちらかが壊滅状態になるまで、勝ち負けがはっきりしないかもしれないな。俺の首を差し出せばすぐに解決する話だが」
マシューは驚いて、ジェルナン殿の顔を見た。傍らで聞いていた兵士達の顔が暗くなった。
「今回ばかりは、本気で首が危ないな。今までは俺の首なんか何の値打ちもなかったんだが」
「花婿だからですか」
マシューがためらいながら聞いた。ジェルナン殿は笑った。
「急ごう」
ナトーの砦を中心にしてマノカイは布陣した。他の2箇所の元マノカイ側の城と砦は、今はリンゲルバルトに占拠されていた。
マノカイとゼノアは、お互いがどこに陣を張っているのかよくわかっていた。
なにしろ平地なので、どこもここも丸見えなのである。
リンゲルバルトの軍は、数的にはかなり優勢だったので攻めたてに来たが、残念ながらマノカイの銃のほうが射程が長いのだった。
数を頼んで襲撃すると、兵を狙い撃ちされて、壊滅することになる。何回かこれをやって、リンゲルバルトも学習したらしい。
一方で、マノカイ軍は砦に閉じこもっていることしかできなかった。数が少ないので、外に出られないのだ。
にらみ合いで数日が過ぎた。
ジェルナン殿の参謀室に呼ばれたマシューも膠着状態にイライラしてきたようであった。
彼がいないと、今回の戦闘の状況や土地の様子は良く分からなかったので、重宝されていた。マシューもそれを良く分かっていて、今はジェルナン殿の部下として仕えていた。
その日もリンゲルバルト殿の軍勢をマノカイ軍は目ざとく発見して、遠くから撃ちこんでかなりの被害を与えていた。ゼノア軍は襲撃を断念して引き上げていった。
「素晴らしい銃じゃないですか。これがあれば必勝でしょう。いつ攻め込むのですか。膠着状態化してますね」
ジェルナン殿はマシューの顔を見た。
「大事な兵力を浪費なんかできない。攻め込むなんてとんでもない」
露骨にマシューは軽蔑した様子を見せた。
「しかし、このままでは、ただただ居続けるだけになります。」
「できるだけ人の被害を少なくしたいのだ。だから、まず川と堀で囲まれた大きい方の城砦を今晩つぶす」
マシューは驚いた様子だった。
「つぶす? メインの城砦のほうを?」
「そうだ。小さいほうの山城はここから距離があるうえ、たとえ勝っても維持できない。兵員が足らないんだ。だから本丸のほうを直接たたく。そしてリンゲルバルトを殺す」
マシューは信じがたいと言った顔をした。
「そんなに簡単につぶしたりできるのですか? あの城は頑丈で堀は深くて侵入が難しいことで有名です」
「簡単さ。手配に時間がかかっただけだ。お前は知らないだろうが、銃で戦うつもりなんか最初からない」
「銃では戦わない…? まさか、弓矢ですか?」
「そんなものに用事はない」
階下では人々がざわざわと動き始めているようだった。
もうそろそろ日も沈もうかという時刻だった。
「私は聞いておりませんが」
「言わなかったからな。準備は工兵どもの仕事で、あんたの仕事じゃないからな」
工兵の長のパシーが参謀室に報告にやってきた。
「準備完了でございます」
ジェルナン殿の目が輝いた。
「そうか」
「こんな準備は初めてで、見当がつきかねるところもございましたが」
ジェルナン殿は手で押しとどめた。
「では、日が暮れてから実行に移そう……」
マシューは、黙っていた。
パシーはにこりと笑って退出した。ドアが閉まり、部屋にはジェルナン殿とマシューの二人だけが残った。
「なぜ、私に黙っていたのです?」
「え? 戦闘準備のことか? 技術的な話だからな。だが、もう完成だ。マノカイの武器の話は知っているだろう。ゼノアにはない最新式だ。勝つ絶対の自信がある」
マシューは黙っていた。ジェルナン殿は手元の地図を熱心に眺めていた。執務室にはほかには誰もいなかった。階下ではざわざわと人々が集まりだし、何か重いものをゴロゴロと動かす音や声高に命令する声が聞こえてきた。
次の瞬間だった。何の音もしなかったのに、ジェルナン殿は背中に衝撃を受けた。
振り返ると、狂気のような顔をしたマシューが短剣を手にして、もう一度振りかぶっていた。白刃が光った。
だが、倒れたのは、ジェルナン殿ではなく、マシューの方だった。
マシューの右手が吹き飛ばされていた。
「なぜ、刀が通らん」
床に倒れ、恨めしそうにジェルナン殿を見上げて、マシューは聞いた。
「鎖帷子だよ」
短銃を手にしたジェルナン殿が物憂そうに答えた。
「どうしても切りつけたいらしいな。俺のせっかくの僧服がだめになったではないか」
マシューはわなわな震え、右手からは血が滴っていた。すでに短銃の音に驚いた人々が、ばらばらと集まってきていた。
「どうしました、ジェルナン様!」
「何の音でございますか? 何かありましたか?」
「あっ! マシュー殿?」
銃声に何人もの衛兵が押し寄せてきた。
「こいつはリンゲルバルトの一味だ」
ジェルナン殿が言った。
「リンゲルバルトも姑息な手を使ったものだ。アンス、左手も縛り上げろ」
「なんでだ。なぜ死なない?」
マシューがわめいた。
「噂どおり、お前は死人だな。何度でも生き返る」
ジェルナン殿はマシューを見た。
「そもそもお前の剣はヘナチョコなんだよ」
マシューは顔を真っ赤にし、唇を食いちぎらんばかりにかみ締め、ジェルナンをにらみつけた。アンスが物柔らかに口を挟んだ。
「ジェルナン様、こんな危ない真似をなさって。この男がスパイだと言うことは3日も前からわかっていたではございませんか。剣を隠し持っていただなんて、危険きわまりありません。拷問にでも掛けて、口を割らせればよかったのです」
「この男は口を割らないだろうよ。割ったところで、我々が知っている情報以外は出さないだろう」
「それならば生かしておいても何の値打ちもないでしょうに」
「少々知りたいことがあったのだよ」
「ジェルナン殿、暗殺者が紛れ込んでいたと、今、聞いたのですが?」
駆け込んできたのは、川と堀の城の元持ち主のジーグ伯だった。
彼は戦闘が発生した時点で、着の身着のまま大急ぎで逃げ、妻の実家の城に潜んでいたところを、ジェルナン殿の軍に無理やり引っ張ってこられたのだった。
「おお、貴公が紹介してくれたマシューだ。こいつがゼノア側のスパイだった」
「ひえええ」
ジーグ伯は仰天した。
「だって、私は、私は存じませぬ。何しろ、城の護衛はガゼル殿に一任してましたし、そのガゼル殿が連絡係に適任だと、この人物を紹介してきたのですから」
「うん、うん、わかっている。おそらくガゼルも一枚かんでいるんだろう」
「ジェルナン、お前はなぜ死なない? なぜだ」
ジェルナン殿はちらりと振り返った。
「うるさいから、どこかの牢へ放り込んで、厳重に閉じ込めておけ。そうだ、マシュー、俺は不死身だ。何度でも生き返れるんだ。時と場所はわからんが」
マシューが連れ去られると、アンスが聞いた。
「でも、よくご無事でしたね」
「無事なわけないだろ。鎖帷子のおかげだ。いつ撃たれるかわからんので、この3日間付けっぱなしだった。重いな、これは」
みると豪華な僧服の背中の部分に大きな切り口があった。
「多分、下はあざになってると思うな。僧服自体がかなり厚いので助けになったとは思うが」
「それで3日間僧服を着ていたのですね。でも、どうして、マシューを殺さなかったのですか?」
ジェルナン殿はにやりと笑った。
「しかたなかろう。スパイはこいつだけじゃないかもしれないだろう? 泳がせておいて、こいつと接触した連中を調べていたのさ。マシューは逃がしてやろう。そしてあいつが砦の弱点を俺にバラしたと言いふらしてやろう。いい土産だ。ゼノアまで無事にたどりつけても、そのあとどうなるか見ものだな」
「砦の弱点? どこですか? それは?」
「そんなものないさ。砦は見たまんまだ。計画通り攻撃する」
「黒いですね。ジェルナン様」
「俺の結婚式を飛ばしたお礼だ」
ジェルナン殿は暗闇の中、しずしずと移動していく工兵の列を目を凝らして確認しようとした。作戦は始まっていた。人数もわからない工兵たちができるだけ物音をたてないように大きな荷物を運んでいた。
「殺したくないな」
リンゲルバルトのことに違いなかった。
だが、彼は今、ゼノア軍を壊滅させて手を引かせるか、自分が死体になるかしか、マノカイの王城に戻ることが出来ないのだった。
「計画通りだ」
彼らは夜中にせっせと他人様の城に矢を居かけ、どういう仕掛けかわからないが、堀の内側に馬鹿でかい荷物を搬入すると導火線に火をつけた。
この時だけ光が出た。
かなりの速さで火は線を伝っていき、城のもとのオーナーのジーグ伯が仰天したことには、この地方全体が震撼するような大音響とともに、ものすごい爆発が起きた。
轟音は雷のようで、火柱が高く上がった。堀は崩れた石や土に完全に埋もれてしまった。




