第70話 これが白馬の騎士のやることか!(やることだろうな……)
ジェルナン殿は、先にそれとなくプレショーンに陛下の予定を聞いておいた。
その夜は、夜会もサロンも何も開かれない予定だった。
宮殿内のどこに何があるか、彼はよく知っていた。彼は堂々と廊下を移動し、階段を上り、それからこそこそと目的地に着くと、周りに誰もいないことを確認してから、こっそりと鍵を取り出した。彼は細めに部屋のドアを開け、中に誰もいないことを確かめた。
部屋は静かで人の気配はなかった。侍女が点けて行ったらしいローソクがほんのり光を放っていた。
彼はするりと中に忍び込み、部屋の片隅の小暗いところに身を潜めた。
自分の心臓の音さえ響き渡りそうな気がした。
そこは陛下の寝室だった。
プレショーンはずっと前に、彼にこの部屋の鍵を渡してくれていた。
「なにかありました場合、第一の忠臣のジェルナン様には、真っ先に駆け付けていただかねばなりません。」
忠臣が行き過ぎて、鍵の出番になったわけだが、プレショーンの場合、下心があって彼に鍵を渡したのではないかと疑われた。
今晩、ここへ来たのは、来なければならなかったからだ。
マーリー殿は言った。「もっと行動を!」
マーリー殿は何も知らずにそう言ったのだが、ジェルナン殿はぎくりとした。
心の中を見透かされたような言葉だったからだ。
彼はリーア女王をよく知っていた。
おそらくもっと陽気な生まれつきだったのだろうけれど、両親を早くに亡くし、高い王位継承権ゆえに親族から冷遇されて生きてきたので、慎重な性格だった。冷静で賢明な人柄だった。
王侯としては、ほぼ満点に近い人物だった。
が、しかし、ジェルナン殿は、この前、ようやく気が付いたのである。
リーア姫は、ある一つの点については、全くの天然だった……
彼は、何年も前のリーア姫の最初の結婚式を思い出した。
花婿の王は、椅子に座ったきり、立ち上がることも難しそうだった。
あれでは何もできていないに決まってる。そのあとは尼僧院だった。男なんか誰も入ってこれない。
尼僧院を出た後は、大丈夫、知っている。みんなが寄ってたかって、相互監視していた。ライバルが多すぎだから、手を出せない。それに、政治に必死な陛下に向かって、そんな話題は誰も出さなかったに違いない。
そのせいかどうか、せっかくドキドキしながら、あふれんばかりに思いのたけを伝えたというのに、その先が1センチもなかった。
ジェルナン殿に手をとらえられて、上気してうつむいているさまは本当に愛らしかったが、それだけですっかり心がいっぱいになっていた。自分としては、その先も考えていただきたい。
あれほど、政治や経済や、貴族たちの人間関係には炯眼なのに、なんでなんだ。
この分野において、ほわっと天然なのは、ジェルナン殿の趣味としては特に苦情はなかったが、今のこの状況下では危険だった。無防備すぎる。
リーア女王の気持ちを疑っているわけじゃない。
だが、もっと強いきずなが欲しいと思った。
ふだんだったら、彼は、こんなこと考え付きもしなかったろう。もっと時間をかけて待ったに違いなかった。
だが、今は待てない。
たぶん、なんにも知らない姫にはわからないだろうし、理解できるはずがなかったが、頭でだけ愛すのとは訳が違う。その力が必要だった。ほかの男に先を越されるわけにはいかない。
だから、今、ここに潜んでいる。本能が理性を理詰めで説得するのに成功した稀有な事例だ。たいていは本能が理性を踏みつけにして暴走して、理性が後始末に奔走するのだが、今回ばかりは理性からOKが出た。公認の強姦魔だ。もう、何にだってなってやる。
マーリー殿から解説されるまでもなかった。ジェルナン殿には良く分かっていた。もう時間がない。
そう、それにリーア姫だって、もう少女じゃない。
もしかしたら、ちょっとくらい泣かせるかもしれないけど、申し訳なくなんか、全然ないわ。
ラセル陛下は立派な国王だって? 奴は腐った不潔な中年男だ。リーア姫を望んでいるだと? 吐き気がする。さわるな。姫に触るんじゃない。
突然、彼が入ってきたのとは別のドアが大きく開かれ、何人かの女達が入ってきた。
ジェルナン殿は心底震え上がった。みつかったら、ただではすまない。侍女たちは女主人と静かな低い声でしゃべっていたが、すぐに出て行った。
誰もいなくなった部屋の天蓋付きの豪華なベッドの中で、陛下は熱心に何かの紙を読んでいた。
何を読んでいるのだろう。
あまり時間はなかった。
彼は物陰からひそやかに立ち上がり、気配を殺してリーア姫に近づいた。
衣擦れの音に姫は目を上げ、ようやく彼に気がついた。さすがに驚いて、なにか叫ぼうとしたところを、ジェルナン殿はすばやく止めた。彼女の白い顔の中で、目だけが星のように見えた。
「ゼノア王との結婚、あきらめてもらいます」
ひざまずいて彼女の手を取り、ジェルナン殿は宣言した。
来なければならないだなんて、大嘘だった。まったく逆で、理由の方を後から付けただけだったかもしれなかった。
とらえられた手は、今日は放してもらえなかった。彼の手の力と熱さに彼女は息をのんだ。




