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東渡りのジグ人 ~ある意味女難の相がある男の物語~ お前は予知の力を持つ悪魔の使い  作者: buchi
第3章  ジェルナン・ライカ殿

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第71話 結婚すれば、命はないものと思え

すっかり満足して、彼は腕の下に眠る姫を見つめた。

 傷つけたり、痕を残したりしないように、細心の注意を払った。なぜなら侍女たちが身の回りの世話をしているに違いないからだ。

 それでも、少しは痛い目に合わせてしまったかもしれなかった。いや、本当を言うと、痛い目に合わせたかった。深く強く痕を残したかった。俺のものだ。刻印を付けるのだ。身にも心にも。

 ただし後で身に沁みて理解したが、それは一方通行ではなかった。

 自分だって、深くて強い痕を心に負っていた。もう取り返しがつかないくらい。姫より深い傷なんじゃないかと自分で思った。

 姫が今後、冷静に自分に接してくれるよう祈っていた。ばれたくない。少なくとも今はまだ。

 自分は初恋の人のはずなので、姫がうっかり自分に微笑みかけたり、怪しい行動を取ったらどうしようとか心配していたのだが、これは、自分の方がだめかもしれない。姫が半径1メートル以内に来たら、つい腰を抱き寄せたり、毎晩、姫の寝室のカギをこねくりまわしたりしそうだった。自制心はどこへ行ったんだ。無残に敗北して跡形もなくなっていたが、明日からは機嫌を直して元に戻ってほしい。

 こんな考えは姫には内緒だ。




 ベッドの下には一枚の紙が落ちていた。

 ふと気になって拾ってみた。

 さっき姫が読んでいた紙だった。さっと目を通して、ジェルナン殿は眉を寄せた。


「ひとつ教えてください」


 彼は小さな声で語りかけた。


「…なにを?」


 姫は物憂げに答えた。


「白馬の騎士って誰のことだったのですか?」


 姫が目を開けた。


「誰のことだと思っていたの?」


 彼はその紙を彼女に渡した。手紙だった。


「字が読めない」


 彼は言った。


 姫は驚いた様子だった。


「うそ。だって、尼僧院にはちゃんと来たじゃありませんか。わたしの手紙を読んで」


 ジェルナン殿は首を振った。


「あの時も人に金を払って読んでもらった」


 姫は怪訝そうだった。


「どうして? 今だって、読んだのでしょう? だから白馬の騎士の話になったのでしょう」


「少しは読める。でもそれだけ。この手紙にはなんて書いてあるの?」


 彼女はジェルナン殿の顔を見た。それから恥ずかしそうに小さい声で読み上げた。


『わたくしは、わたくしの白馬の騎士と尼僧院で再会することができました。いつぞやの晩にお話したとおり、その方と一生添い遂げるつもりでおります。』


 ずいぶんロマンチックな、女の子らしい手紙だった。彼は思わず微笑んだ。


「この手紙は誰あてなのですか?」


「ラセル陛下よ」


 ジェルナン殿はびっくりした。微笑がどこかへ飛んでいった。


 思わずリーア陛下の顔を見た。


「こんな外交文書は見たことがないが」


「これは私信よ。ラセルおじさまへの」


 確かに、姫とラセル陛下は親戚に当たる。従兄妹か何かになるはずだ。だが、ジェルナン殿はめまいがした。


「おじさまって……。いつぞやにお話したって……。ゼノアで噂になっていたリーア姫の白馬の騎士の話を、ラセル陛下は知っていたのですか?」


「ええ。わたくしがお話しましたから」


 そんな妙な話を聞かされたときの、現実主義者のラセル陛下の顔を見たいくらいだった。


「それは何時の話?」


「わたくしが15歳のとき。あなたがゼノアに来た頃よ」


「どのように話されたのですか?」


 ジェルナン殿はかなり心配そうだった。リーア姫の方は恥ずかしそうだった。


「だって、白馬の騎士ってどんな人ってラセル様が聞くのですもの。尼僧院で一緒に遊んだ若い人だと、そう言ったの。その方と結婚しますって言ったの」


「それは……。ラセル陛下は笑っておられたでしょう」


 ジェルナン殿も微笑んだ。


「ええ。早く見つかるといいねって」


「ところで、聞くのもおかしいかもしれないけれど、結局その白馬の騎士って誰のことだったのですか? リップヘン殿もその話は知ってたみたいだったけど」


「あら、誰のことだと思っていたの?」


 今度はジェルナン殿の方が、多少恥ずかしそうだった。


「私のことかなと思ってました」


「そうよ」


 尼僧院で一緒に暮らした話は、他の者は誰も知らない。ふたりだけが知っている思い出だ。リーア姫の夢物語は、聞けば聞くほど自分のことだと思わずにはいられなかった。でも、ずっと思い込みだと信じてきた。


「だって、あなたが来たのですもの。ゼノアで。もう、会えないと思っていたのに」


「えっ?」


「それだから、あの話を始めたのよ。気がついてもらおうと思って」


 ジェルナン殿は驚いた。知らなかった。そういう意味だったのだろうか?


「姫君がゼノアにおいでなのはもちろん知っていましたけど……」


「気がついて欲しいのはそこじゃなくて、あなたが私の白馬の騎士だったって所よ」


 ジェルナン殿は黙って姫の顔を見つめるばかりだった。


「マノカイに嫁ぐ前にもラセル陛下に聞かれたわ。白馬の騎士は見つかったかって。私が嫁ぐので、きっと気持ちの整理がついたかどうか聞きに来たのでしょう。もう婚礼は決まっていて、私もラセル陛下もそれは変更できなかったから聞いてもどうしようもなかったのだけれど。あなたに気持ちだけでも伝えたかったけれど、それすらうまく伝わったのかどうかわからなかった」


 リョウの知らなかったリーア姫の結婚前夜だった。ジェルナン殿は固唾をのんで続きに聞き入った。


「それでなんと答えたの?」


「だって、最初から見つけていたのですもの。そう言ったわ」


「そう言った?」


 ジェルナン殿は引きつった。


「ええ。あなたのことよ、リョウ。ラセル様のおそば仕えのリョウがその人だと」


「リーア様!」


 ジェルナン殿は思わずベッドの上で立ち上がって、天蓋に頭をぶつけてまた座った。人に聞こえるとやばい。


「なんてことを……」


 彼は思わずうめいた。


 ラセル陛下はどう思っただろうか。考えただけでもめまいがした。


「ああ、だけど、ラセル陛下は、私があなたに夢中だったということは知らなかったろうから……」


 ジェルナン殿は思わず口走った。


「いいえ、知っておられたわ」


「えっ……なぜ?」


「リップヘンがラセル陛下に言いつけているのを聞いたわ。リョウのような怪しげな者をお付きに選ぶとは何事だといっていたのを聞いたの。リーア姫様にほれているって、あなたのことよ」


 リップヘン……。鈍いくせに、なぜそんなことだけ気がつくんだ。


「うれしかったわ」


 姫が微笑んだ。


 ジェルナン殿は思い返した。


「それでも、ラセル陛下はわたしをあなたのお付きに選んだ」


「ええ。命に代えてもわたしを守ってくれると」


 知っていたのか。


 それでも、彼を選んだのか……

 リョウがラセル陛下に忠実で、リーア姫を愛していたことを知って、リョウを姫のお付きに出したのか。

 それなら、リーア姫にラセル陛下と結婚するよう説得しろと命じたあのときはどうだったのだろう。まさか裏切るとは思っていなかったかもしれないが、リョウは愛する姫を渡したくないがさりとてラセル陛下に逆らうことも出来ずに死んでいったと考えたろうか。


 彼は、紙をぽとりと落とした。


「ダメです、ジェルナン。それは本当にラセル陛下に送るのですから」


 ジェルナン殿は目をむいた。こんな外交文書は見たこともない。


「ラセル陛下の意を汲むことは出来ません。わたしは陛下を嫌いではなかったけれ

 ど、あなたと結婚するのですから」


 彼は姫を見つめた。


「あなただけは私の正体を知っている」


「あなたと結婚するわ」


「わたしには身分がない」


「どうでもいいわ。最初から神はあなたに身分を与えていた。品のある身のこなし、優雅な手、物怖じしない振る舞い。王族以外の何者でもなかった」


「私はこの国の字が読めない。自分が生まれた国の字なら読めるが」


「そんなことは誰も気にしないわ」


「僧院出身といっているが、教典を知らない」


「僧なんか嫌いだわ」


「わたしは遠い外国からきた、まったくここの世界とは無縁の人間。あなたを愛しているだけ」


「わたしはあなたと結婚します。そして人々にも知らせましょう……マノカイ全土に宣言する。ゼノアにも」


 陛下が顔を見つめた。

 


 そんなつもりで来たわけじゃなかった。俺はあんたが欲しかっただけだ……


 いや、むろん、来なきゃいけないと頭ではわかってた。ただ、ラセル陛下との結婚を決められたくなかった。今、動かなきゃならなかったのは、そのためだ。

 

 結婚して権力を握る……


 マーリーもプレショーンも、尼僧院から一緒に来た連中は全員、それを願っている。

 でも、権力のために来たんじゃない。そうではなくて……


 だが、リーア女王と権力はセットになっていた。今、彼をみつめているその目は、彼の愛情を信じて待っている。イエスの答えを。


 権力目指してきたわけじゃないとか、結婚は考えてなかったとか、いずれ情勢が落ち着いてからとか、一体何を言おうとしてたんだろう。結論は決まっている。 



 長い沈黙の後、ジェルナン殿はゆっくりと答えた。


「もう、逃げも隠れもしない。わたしはあなたと結婚する。私は私の運命を受け止めよう」




 ためらったのは、それが何を意味するかわかっていたからだ。


 この姫君を手に入れたら、国中の勢力、全員を敵に回す。


 エルブフ殿もリップヘンも、そのほか誰につくか立場を決めていなかった貴族たち全員が、彼に牙を向けるだろう。女王の夫の地位は、誰か一人の男が手に入れ得る圧倒的な権力の座だった。


 彼には、有力貴族の味方もいなければ、領地も財産もなかった。


 手にしているのは、自分の力だけ。そのほかには偽の身分と東渡りのジグ人の暗い影。

 それでも、戦い、勝利しなくてはならない。でなければ、おそらく政治的な死か、本当の死が待っているだろう。



 姫君にこの宣言がどれほどの熟慮の末のものなのかわかってもらえたかどうか、ジェルナン殿にはわからなかった。だが、それはどうでもいいことだった。


「あなたのために生きよう。それがどんな道だろうとも。」

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