第64話 過去の黒歴史をどうごまかすか相談してみた
夜だった。部屋は暗くて、ローソクが灯っているきりだった。
ジェルナン殿が密かにプレショーンの狭い宮中の控室に来ていた。
「ところで、プレショーン、お前は女王陛下の忠実な家来だ」
「誠にもってそのとおりでございます」
「そして、わたしもそうだ」
「はい」
「あの尼僧院以来、秘密の一部を分かち合ってきた間柄だ」
「はい」
そこにはほかには誰もいなかった。国家の重臣ジェルナン殿が、深夜、陛下の信任が厚いとはいえ、単なる従僕の一人にすぎないプレショーンの部屋までわざわざ来て、なんの話をすると言うのだろう。
プレショーンは次の言葉を待っていた。
陛下との結婚についての話が聞けるものとプレショーンは期待していたに違いない。しかし、長い沈黙の後、出てきた言葉は全く違ったものだった。
「わたしは、昔、公妃様の愛人だったことがあって……」
プレショーンが理解できないと言ったように聞き返した。
「はい?」
「わたしは、公妃様の愛人だった」
プレショーンはジェルナン殿の目を覗き込んだ。ジェルナン殿は少なくとも表面上は全く平静だった。
「なぜ?」
「なぜって……。それを公妃様が望んだからだ」
「公妃様に言い寄られたのですか? 公妃様をお好きだったのですか?」
いつになく、厳しくプレショーンは質問した。
「いいや?」
意外なことを聞かれたと言ったようにジェルナン殿は答えた。
「わたしが愛していたのはリーア姫様だけだ。おかしなものだとそのときも思った。別の女を愛しながら、どうしてほかの女を抱いているのかと」
あまりの言い草にプレショーンが黙った。
「公妃様を好きなのかといわれれば、別に好きでも嫌いでもなかったけれど、わたしは当時全く身分がなかったので、公妃様の思うがままだった」
「大体なんでそこらのもっと安い女に手をつけないんです。それなら誰も何も言わないのに。よりによって公妃様の愛人だなんて、宮廷中の嫌われ者になりますよ」
「違うよ。公妃様がそこらの安い男に手をつけたのだ。当時も宮廷中の嫌われ者だったよ。せめて人に知られない秘密の関係だったらよかったのに、公妃様は見せびらかして歩くんだもの。ああいうヒモ的な生活はつらいな。初めてやったけれど、それはそれは冷たいあしらいだったよ」
「当時? いつの話ですか? 宮廷がまだ無事だった内乱前の話ですよね? 5年前くらいですか?」
「いや、リップヘンがまだ子供だったから、15年位前の話だ」
プレショーンの眉が寄って、しかめつらになった。
「あなたはまだ27くらいでしょう? 12歳か13歳くらいの頃に愛人をやっていたとでも言うのですか?」
ジェルナン殿はプレショーンの顔を見た。
「プレショーン、10年位前の頃の宮廷を知っているか? 公妃様はどこに居た?」
「わたしはずっとマノカイの城でお仕えしていましたが、公妃様の愛人にあなたなんか居なかったですよ。それだったら、今、ここに居る貴族たちのほとんどが、あなたの顔を知っているはずです。誰もあなたの顔を知らないじゃないですか。わたしだって、尼僧院でお目にかかるまであなたを知らなかった」
「そうか。お前は何年前からマノカイの城で働いている?」
「ざっと20年以上だと思います。わたしが城に来たときはまだヴェヴェイ殿下はご存命でしたし、姫様は生まれていなかったと思います」
「でも、わたしの顔は知らないんだね?」
「存じません。でも、わたしはヴェヴェイ殿下の城館で働いていましたから、公妃様のことはよく知りません。お住まいが離れていますから」
「公妃様の愛人でやたらに歌のうまい男が居たことは?」
プレショーンは額にしわを寄せた。知らないと言った風だった。
「グザビエ公の愛人とスキャンダルを起こした公妃の若いペットのことは?」
「グザビエ公の愛人に言い寄って追放になった若い男がいたというのは聞いたことがありますが」
「ウルスラという女だよ。向こうから言い寄ってきたのだ。わたしはだまされたんだ。リップヘンが母の愛人を殺した話は?」
「あ、それはよく知っております。大変な騒ぎになりました。たとえ、母の愛人がいかに憎いとは言え、宮殿内で人を殺めるとは何事と、相当なお咎めがあり、それが原因でリップヘン殿はマノカイの宮廷に居づらくなって、傭兵の隊長としてゼノアにたどり着いてあちらで仕えることとなったのでございます」
リップヘンには恨まれる運命らしい。
「それがわたしだ」
「え?」
プレショーンは驚いた様子だった。
「お言葉ですが、その事件はずっと前に起こったこと。もう15年も前の話でございます。それに公妃様の愛人は間違いなく死にました」
「死体は見つからなかったはずだ」
「そこまでは存じません。ですが、年齢が合いません。おかしなことをおっしゃっておられる」
「いや、いいんだ。確かに年齢が合わない。それでいこう。わたしは公妃を知らない。会ったこともない。ああ、一度だけ会ったことがある。マノカイ王の葬儀の際、ゼノアの代表の一員として会っている。これはどうだ。ジェルナン・ライカの経歴として、つじつまは合っているかね?」
「合っていません。ジェルナン様はその頃僧院におられましたから」
「じゃあ、止めておこう。思い出さないでいてくれるといいな。あの時もハデに銃をぶっ放してしまったから覚えているかもしれないな」
プレショーンは黙って、違う目でジェルナン殿を見つめ始めていた。
「ジェルナン様……」
「なんだ。おかしなことばかり言う、おかしな経歴の男だと言うのか?」
「ジェルナン様は、わたしの考えていた人物と全然違うお方でした。あなたさまは、年は若いのに、若くない。考え方が全然違う。老人よりも冷たくて、まるで感情など全然ないみたいな」
ジェルナン殿は実際に若くなかった。だが、それは説明しても、絶対に受け入れられない事実だった。プレショーンは続けた。
「尼僧院にお呼びした時は、ただ、立派な貴族で姫君に忠誠心のある方であればそれで良いと思っていました。実際にあなたに会ってみて思ったのは、度胸のある方だということでした。あの時は……」
プレショーンは言いよどんだ。ジェルナン殿は、プレショーンを見つめた。
「その後、私はあなたを見ていましたが、わたしは、ジェルナン様は姫君のことを好きでないのだと思っていました」
これにはジェルナンの方が驚いた。
「わたしは忠実な家臣だ。違うかね? 好きだとか嫌いだとか言うことはない」
「それです、それ。いつだって、そんな答えしか返ってこない。姫様があなたをことのほか気に入ってらっしゃることは、宮廷の誰もが気づいていました。だのに肝心のあなたが、この絶好のチャンスにまったくのってこない」
ジェルナン殿は黙って話を聞いていた。
「王配殿下になれる、この国を支配するチャンスなのに。姫様を好きなような様子もない。そりゃあ、戴冠式の時は、姫様と踊ってましたし、皆さんに促されてサロンに出入りもしている。だが、それだけです」
「うん」
プレショーンがなにか彼の返答を待っているようだったのでジェルナン殿は言った。
「だのに、いまあなたは姫様を愛しているとまで言った。そうなんですか?」
ジェルナン殿はすぐには答えられなかった。
こんなに複雑になってしまった感情をどう説明したものか。
今の話は致命的だった。彼は本当に東渡りのジグ人なのだ。なのに、プレショーンはリーア陛下との結婚を勧めてくる。
東渡りのジグ人なんて、非現実な話は受け入れがたいのだ。
だから、きっとジェルナン殿が、言いにくいことがあるのでゴマ化した話をしていると考えているのだろう。
貴族でありさえすればよかったとプレショーンは言っていたが、彼は貴族なんかじゃない、底辺の出身だ。もしかすると、人間ですらないのかもしれないのだ。
そう考えると自分自身ぞっとした。ジェルナン殿自身だって、自分の正体が一体何なのか、良くわかっていないのだ。人に説明のしようがない。
こんな嘘の状態が、これまでばれずにやってこれたこと自体が、不思議なくらいだった。
彼がどんなに姫君を愛していようが、また、姫君がどんなに彼を愛していようが、結婚という公式の形になれば彼の身辺は探りまわされることになる。もし、ひた隠しに隠している身分の詐称がばれたら、彼はともかく姫君はどうなるのだろうか。
それを思うと、彼は、姫君を好きだとさえ、今まで、言えなかったのだ。
長い沈黙の後、ジェルナン殿はついに言った。
「そうだ」




