第61話 マスクを取ったら結構な騒ぎになった
マーリー殿もジャボット殿も、バッソンピエール殿も首を伸ばしてキョロキョロ彼を探した。
「おかしいな。席は決まっていると言うのに。こないな?」
パーティは何の支障もなく始められ、ジェルナン殿の欠席は目立ったが、陛下もそれには触れないのでそのまま進んでいった。
「もしかしてあいつ逃げたんじゃ。マスクはずすの嫌がってたし」
「そんなわけなかろう。マスクはイヤだが陛下の命令で仕方なくつけているだけだとまで言ってたんだぞ?」
どんどん時間はたっていき、食事は終わり、余興の時間となった。今晩は特別で誰か楽師を呼んであるという噂だった。
「まさかヴィットリオとか言う、陛下のサロンにはべっている色男の素人芸を聞かされるんじゃあるまいな」
機嫌の悪いバッソンピエール殿が文句を言った。彼はジェルナン殿が姿を見せないので、機嫌が悪かった。エルブフ殿とはいわばライバルの関係にあるのだが、そのエルブフ殿の甥がサロンに出入りしていて、陛下の婿君候補のリストに載っているのが気に入らないので、自然ジェルナン殿を応援しているのである。
「似たようなものでございますよ。サロンに時々来られている方の歌でございます」
プレショーンがにこりと笑いながら訳知り顔でバッソンピエール殿に申し上げた。
「こら、小鬼。それでは悪趣味がすぎよう。素人芸を聞かされるのはイヤだぞ。」
「あ、まいりました」
それは、流行の最先端の衣装に身を包んだ若い楽師だった。傍らにリュートを抱えている。
陛下が大喜びしているのが見えた。
「なんだ、あいつ。陛下は知っているようだな。宮廷の人間なのか?」
「見たことのない顔だな」
「サロンに出入りしてるって? 知らないな?」
若いきれいな顔立ちの青年が、陛下の居る席に向って丁重に礼をした。リップヘンが自分の席から立ち上がってしまったのが見えた。なにか叫んでいる。
「リップヘン殿、どうしたんだ?」
ジャボット殿が不思議そうに言った。
「なに、いつもの発作さ。陛下が楽師を応援したのが気に入らないんだろう」
バッソンピエール殿があざけるようにつぶやいた。
若い楽師は、くるりとリップヘンの方に向き直り、芝居がかって大仰に、全身でお静かに、と言ったそぶりを見せた。
観衆は大笑いだった。なにしろ、相手がリップヘン殿だったからだ。高い身分と自前の軍隊を背景に、常に傍若無人に振舞うリップヘンを、貴族でもない若造がたしなめたのだ。
楽師は面白そうに笑うと(リップヘンは余計怒ったようだったが、とりあえず黙った)、観衆の皆様方に腰を低くして礼をし、最後に女王陛下に向って、片ひざを突いて深くお辞儀をするとリュートを弾き始めた。
「なかなか面白い小童じゃな。リップヘンを黙らせよったわ」
バッソンピエール殿は機嫌を直して楽師を注視した。マーリー殿も、末席のユーベック殿も面白そうな余興だと楽しんでいた。他の貴族も貴婦人も、なかなか面白いと若い楽師を見物していた。
楽師のリュートはきわめて巧みだった。
繊細で美しい響きを人々は大いに楽しんだ。だが、彼はリュート弾きではなかった。突然歌い始めたのだ。
観衆はびっくりした。だが、その声に魅了された。
深く響き渡る低音と、伸びのある、すばらしい声量の高音、巧みなコントロールで感情を織り成す見事な歌声だった。
こんな声は聞いたことがなかった。声は会場中に響き渡った。
歌っている間中、人々は歌い手を見ていた。彼は整った顔立ちのすらりとした若者で、その声のすばらしさと美しい顔を見ていると、別の夢の世界に運ばれていくような錯覚を覚えた。
歌い終わったとき、観衆はシンとしていた。
歌手が礼をし、引き下がろうとすると、オオオと言うような声が上がり、アンコールが沸き上がった。
老いた者も、若い者も夢中になって手をたたき、叫んだ。陛下がうれしそうににっこり微笑んでいるのが目に入った。
若者はニコリと微笑むと、茶目っ気たっぷりにシーと言うような身振りをして、いかにも陛下のためにもう一曲と言ったそぶりをして、今度は高音が主のリズム感あふれる曲をリュートの伴奏を効かせて歌いだした。
陽気な曲で、聴衆は途中から一緒に拍手したりで、場は大いに盛り上がった。
曲が終わると、嵐のような拍手が湧き上がった。楽師は、アンコールは丁重に断り、お辞儀をして退出しようとした。人々は惜しみなく拍手を送った。次はダンスの予定だった。
「おお、踊り出したくなるような曲だった。なかなかよい選曲だな」
「1曲目の歌もよかった。あんな声は聞いたことがない。どこから来た楽師だろう。もっと聞きたいものじゃ。次もまた余興に呼んでもらいたいの」
「そういえば、名前を言わなかったな」
「陛下が大喜びしていたな。板についた身振りだ。見ていて楽しい。芸達者な若者だ」
「見栄えのよい若者じゃ。あの声と顔では女性に大人気になるな」
しかし、楽師は退出しなかった。
彼は、出口ではなくパーティに招かれた貴族たちの席へ向って歩き出した。
そのままあっけにとられた人々の間を、楽師のくせに堂々と分け入り、特に身分の高い者たち用のテーブルにどんどん近づき、空席になっていたジェルナン殿の椅子にあっさり座ろうとした。
プレショーンが待ち構えていた。彼は丁重に椅子を引き、楽師殿を着席させた。
臨席のバッソンピエール殿とジャボット殿が、まじまじと若い楽師の顔を見つめた。
「久しぶりに歌ったので、少し緊張しました」
楽師は明るい調子で、少しはにかみながらバッソンピエール殿に話しかけた。
バッソンピエール殿やジャボット殿だけでない。周り中の視線が痛いくらい楽師に集中していた。
「まさか……。まさかジェルナン殿?」
見つめられすぎて、すこし顔を赤らめながら楽師のジェルナン殿は答えた。
「驚かせてしまいましたか? 陛下がマスクを取れとおっしゃるので、余興をかねて……」
「ジェルナン殿、ジェルナン殿だったのか!?」
ついに回り中が立ち上がり、ジェルナン殿の顔を見に来た。
ジェルナン殿といえば、政治の重鎮であり、同時に軍事を掌握する人物だった。口ぶりは穏やかで人柄は重厚、きわめて冷静、冷徹と言ってもよいような判断を下す人物だった。
それがこんな顔をしていていいものなのか。目つきは鋭いが、彼らが想像していた顔とは全く異なり、若くてとにかく意外であった。
「ジェルナン殿なの?」
「あの人がジェルナン様だったの?」
「ジェルナン様って、あんな顔だったの? 意外すぎる」
「若い。ジェルナン殿って、リップヘン殿と同じ位の年だと思っていたわ。全然違うじゃない」




