第33話 リーア姫は戦うつもり
リョウはリーア姫に目を向けた。姫は、黒い服を着て、飾りはきらきらと光を放つような金髪だけだった。間違いなくリーア姫だった。なんという美しさ。リョウは思わず嬉しさと懐かしさで、ほかの事を全部忘れそうになった。
「お話を伺いましょう。」
冷たく、きっぱりとした物言いにリョウは衝撃を受けた。
自分にとって姫君は特別だったが、姫君にとって自分は特別でもなんでもなかった。
今になってみれば、この奇妙でまったく勝算のない会見に、喜び勇んでやってきた自分がなんだったのか、よくわからない。
昔、この同じ尼僧院にいたときは、この世のどこからも隔絶され、たった二人だけで身を寄せ合うように暮らしていた。
だが、その頃、姫はまだ子どもだった。
彼女が今、リョウのことをどう思っているのかわからない。宮廷では、姫君は彼など見つめることすら許されぬ高貴の人だった。
リョウは話の切り出しに困って黙ってしまった。姫君はしばらく黙っていたが、冷たい口調で切り出した。
「あの者達の後を付けさせると、村の長の所に宿泊している兵隊の中に入っていったとのこと。おそらくラセル殿の手のリンゲルバルト殿の隊だろうということです。」
アルビスたちのことだった。考えればわかることだ。誰でもそれくらいは思いつくし、実行するだろう。
「……はい。」
長い沈黙に耐え切れなくなってリョウは正直に答えた。
「リョウ、1年前、あなたがラセル殿を守って死んだことは聞きました。忠義の騎士と評判になっていました。」
「リーア様……」
「あなたはラセルの陣営から来たのですね?」
「……はい。」
考えてみると、リョウは成り行きでリーア姫の所へ、ゼノア行きの説得に来たわけだ。リョウ自身がそれを望んでいるわけではなかった。それからゼノアに行くことがリーア姫の得になるのかどうかも、リョウにはわからなかった。もっと言うと、マノカイとゼノアにとって何がベストなのか、それもリョウにはわからなかった。何しろ、リョウはこの二国の歴史も文化も知らなかったから、判断のしようがないのだ。
「ラセル陛下から、あなた様を説得してゼノアにおいでくださるようお願いして来いといわれました。」
リーア姫は唇をゆがめた。
「それだけ?」
「はい。わたくしの役目は。」
「では、お帰りなさい。」
これは予想された答えだった。リーア姫の意思ははっきりしていた。
「では、姫様、ラセル陛下に伝えますので、この先どうしたいのかおっしゃってくださいませ。」
「ほおっておいて欲しいだけです。私がここで静かに暮らす権利が欲しいのです。」
「リップヘン殿とラセル陛下が、姫様とのご結婚を希望しておられます。」
「わたくしは誰とも結婚しません。」
リョウは姫君の顔を見た。なぜそんなに結婚を忌み嫌うのだろう。
「誰ともご結婚なさらないおつもりですか?」
「結婚することが問題なのではない。」
意外な返事にリョウは少し驚いた。
「なにが問題なのでございましょう?」
「リップヘンもラセルおじも、公妃も自分の意志で戦っている。」
リョウは目を見張った。
「……姫様、あなたさまも戦うおつもりなのですか?」
「皆が私を誤解している。私が結婚すると思っている。」
リョウはリーア姫の顔を見た。彼女は青白い顔色で目だけが星のようだった。
「では、リップヘン殿と戦うのですか?」
「私には、領地がある。リップヘンと張り合えるくらいの。」
「ラセル殿とも?」
「誰とでも。」
リョウは姫の顔を見た。ただの意地っ張りなのか、何らかの覚悟はあるのか。
姫は沈んだ顔をしていた。何の高揚感もなかった。
「勇敢な姫君だ。」
この姫君には何もないのだ。味方になるものは誰ひとり。特に肝心の武力がないのだ。リョウは何を言ったらいいのかわからなかった。
「ラセルおじの手の者にこれ以上いう言葉はない。」
リョウは黙ってリーア姫を見つめた。もう会えないだろう。明日にはリンゲルバルトが押し込んでくる。
「では、では、もう一曲だけ……」
リョウは頼み込んだ。姫君はなんとも言わず黙っていた。リョウは一瞬迷ったが、昔ここで何回も歌って、幼いころの姫君が大好きだった懐かしい歌を歌った。
リーア姫は止めろとは言わなかった。止めろと言われても止めるつもりはない。だが、いずれ歌は終わってしまう。そうしたら、ここを、リーア姫のそばを離れなくてはならなくなる。
「ラセル殿の下にお戻りなさい。」
歌が終わると、リーア姫はそういった。これ以上、部屋にとどまる方法がなかった。リョウは出来るだけゆっくりと丁重にお辞儀をして部屋を出て行った。
ドアの外には、尼僧たちが黙って待っていた。
「帰れとのご命令だ。」
リョウは彼女達に伝えた。
もう夕方だった。
気の毒がってか尼僧院の下女が、途中で食べなさいと食べ物を入れた袋をくれた。歌が姫君様の気に入らなかったと思われたのだろう。
リョウは尼僧院を出た。
失敗だ。
だが、失敗してよかった。
リーア姫は、彼に説得されて安易な人生を選ぶ気はまったくなかった。
あくまで戦う気なのだ。
現在の所、彼女が勝つ見込みはまったくなく、いずれ誰かとむりやり結婚させられてしまうことは火を見るより明らかだったが、それでも自由を求めて使えもしない剣を握るリーア姫は彼の心に新しい燃料を加えた。
それに引きかえ、生きる術を求めて媚を売り、あの女性を口先三寸で売り飛ばしにかかった自分の姿が惨めに思えた。
ラセルになんと言おうか。もっとも彼は僧院を破壊してでも、姫を連れ去るつもりだから、リョウが失敗してもたいして気にしないだろう。尼僧院を壊されたら、姫は当然ラセルには好印象を持たないだろうから、結婚の承諾が遅れるかもしれないが、どうせ結婚させられてしまうのだろう。
リョウはふと立ち止まった。
以前、ラセルに言ったことがあった。
リョウの見た夢は外れたことがない……。
彼が夢見の中で見た、あの男は誰だったのだろう。
「ラセル陛下ではなかった。」
ラセル陛下よりもっとずっと若く、リップヘンより細身だったような気がする。心の奥に何か不安な、落ち着かないものをリョウは感じた。
リョウはリンゲルバルトの元に戻る前に少し考えたくなった。
ラセルの国でリョウのいる場所を作るのは、時間も掛かれば面倒な作業だった。なにしろ、ラセルは今や王様だった。リョウの知らない、えらそうな貴族どもがウヨウヨしている。血統や領地などが取り柄の連中がラセルの周りを取り囲み権謀術策の宮廷を形作っている。媚びへつらい他人の弱みを握り、計算して生きていくことも、リョウには出来ないわけではなかったが、好きではなかった。
いったい、戻るのがよいことなのか、それともこのままどこかへ行ってしまうか。
でも、行き先もないのだった。
今晩泊まる場所も、食べるものさえ見つけられない。ラセルの陣営のほかでは彼は生きられなかった。
リョウは通りすがりの村で、小さな居酒屋を見つけた。これまで居酒屋など入ったこともなかったが、今日は商人の格好だから入っても大丈夫かもしれない。
リンゲルバルトの元に戻るのが嫌だった。
戻れば、リーア姫をあの尼僧院から引きずり出す作戦に加わらなくてはいけないのだ。
無防備な尼僧院なんか、歴戦のリンゲルバルト軍の手にかかれば、赤子の手をひねるようなものだろう。
時間を置きたくて、彼はドアを押し開け居酒屋へ入ってみた。




