9話「消えた献金」
大神官の私室。
先ほどまでの大神殿とは違い、部屋の中は静まり返っていた。
壁一面の本棚。
小さな机。
二脚の椅子。
そして、湯気を立てる二つの茶器。
ハートが茶を注ぐ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ジョーカーが受け取った。
「それで?」
ハートが向かいに座る。
「今日は神を怒らせに来たのですか?」
「まさか」
ジョーカーは茶を飲む。
「私は神様とは仲良くしたいんですよ」
「意外ですね」
「死んだ後、地獄に落とされたくありませんので」
「手遅れかもしれませんね」
「…………」
「何です?」
「先生も随分言うようになりましたね」
「誰の影響でしょう」
「まったく心当たりがありません」
「そういうことにしておきましょう」
ハートは涼しい顔で茶を飲む。
ジョーカーはしばらくその顔を見ていた。
「……昔はもう少し優しかった気がします」
「昔のあなたは、もう少し可愛げがありましたから」
「それは記憶違いでしょう」
「いいえ」
ハートは微笑んだ。
「よく覚えていますよ、ニア」
ジョーカーの笑顔が、一瞬だけ止まった。
「その名前で呼ぶのはやめてください」
「なぜ?」
「昔を思い出します」
「良いことでは?」
「内容によりますね」
◇
ジョーカーは一枚の紙を机に置いた。
「北部の神殿について調べました」
ハートの視線が落ちる。
「最近、献金が随分増えているそうですね」
「ええ」
「昨年の倍近い」
「そのようです」
「不作で民が苦しんでいる地域なのに?」
「…………」
「面白いですね」
ジョーカーが笑う。
「食べる金はないのに、神様へ渡す金は増えている」
「何が言いたいのです?」
「誰かが、恐怖を売っている」
ハートの目がわずかに変わる。
「不幸が起きる」
「…………」
「国が滅びる」
「…………」
「死後、救われない」
ジョーカーは指を一本ずつ立てた。
「怖がらせてから、『救われたければ金を払え』」
そして笑う。
「よくできた商売です」
「信仰を商売と呼びますか」
「いいえ」
ジョーカーの笑顔が消えた。
「信仰を商売にしている人間を、商人と呼んでいるだけです」
「相変わらずですね」
「何がです?」
「人が一番怒る言い方を選ぶ」
「分かりやすいでしょう?」
「友人は増えましたか?」
「減りました」
「でしょうね」
「先生の教育が悪かったのでしょう」
「責任転嫁まで教えた覚えはありません」
「では才能ですね」
「もっと悪い」
ジョーカーが笑う。
ハートも小さく笑った。
◇
「もう一つ」
ジョーカーが別の紙を置く。
「北部では、こんな説教もされているそうですね」
ハートが目を落とす。
そこには――
この国は弱くなった。
戦を恐れる王に国は守れない。
神は強き者に王冠を与える。
そして。
――この国には、強き王が必要である。
「ご存じでした?」
「ええ」
「止めないのですか?」
「なぜ?」
ジョーカーの眉がわずかに動く。
「神官にも思想はあります」
「その思想が、王を倒す方向へ向かっていても?」
「では、王に都合の悪い言葉をすべて禁じますか?」
「…………」
「王を批判する者を捕らえ、反対する者を黙らせる」
ハートは静かに尋ねる。
「それをあなたは、良い国と呼びますか?」
「呼びませんね」
「でしょう?」
「ですが、放っておけば国そのものが壊れるかもしれない」
「ならば行動を罰しなさい」
「言葉ではなく?」
「ええ」
ハートは茶器を置いた。
「人の口を塞ぐことは簡単です」
「…………」
「ですが――」
ジョーカーを見る。
「口を塞いでも、心まで変わるわけではありません」
ジョーカーは少し黙った。
「……昔から変わりませんね」
「私が?」
「正論で人を殴るところです」
「殴っていません」
「痛いので同じです」




