6話 「消えた若者」
王国軍本部。
朝早くから、兵士たちの掛け声が響いていた。
「踏み込みが甘い!」
木剣が弾き飛ばされる。
「次!」
「はい!」
王国軍総司令官――【大将軍】スペード。
王国最強の男と呼ばれる彼は、自ら兵士たちの訓練に立ち会っていた。
「重心が高い!」
次の兵士も倒される。
「敵は待ってくれんぞ! 立て!」
「はい!」
その様子を。
訓練場の端で、寝転びながら眺めている男がいた。
「…………」
スペードの眉間に皺が寄る。
「ジョーカー」
「はい?」
「なぜ寝ている」
「立っていると疲れますので」
「ここは訓練場だぞ」
「存じております」
「なら立て」
「私は兵士ではありませんが」
「…………」
スペードのこめかみに青筋が浮かんだ。
「貴様を見ていると腹が立つ」
「奇遇ですね」
ジョーカーは寝転んだまま微笑んだ。
「私も怒っているあなたを見ると楽しくなります」
「帰れ」
「陛下にあなたと北部へ行けと言われまして」
「……最悪だ」
「珍しく意見が合いましたね」
その時だった。
「総司令官!」
一人の兵士が駆け込んできた。
「何だ」
「食糧庫の件ですが……」
兵士は言いにくそうに視線を落とした。
「犯人が分かりました」
「連れてこい」
◇
連れてこられたのは、まだ若い兵士だった。
顔は青ざめている。
スペードが尋ねる。
「名は」
「ロイドです」
「食糧庫からパンを三つ持ち出した。間違いないな?」
「……はい」
「許可は?」
「ありません」
「理由は」
若い兵士は唇を噛んだ。
「城壁の外に……子供がいたんです」
「子供?」
「三人です。腹を空かせて今にも死にそうでした」
兵士は必死に訴えた。
「何日もまともに食べていないと言っていました。だから俺は――」
「分かった」
スペードが遮った。
「三日間の謹慎。給与からパン三つ分を差し引く」
「…………!」
若い兵士が顔を上げる。
「お待ちください!」
周囲の兵士たちからも戸惑いの声が上がった。
「総司令官、しかし――」
「軍の備蓄を無断で持ち出した」
スペードは淡々と言った。
「理由が何であれ、規則違反だ」
「ですが、子供を助けるためです!」
「ならば上官に報告し、許可を取れ」
「そんな時間は――」
「規則は規則だ」
静まり返った。
訓練場の端から、声がした。
「いやあ」
ジョーカーだった。
「立派ですねえ」
スペードが睨む。
「何が言いたい」
「別に?」
ジョーカーは笑う。
「飢えた子供にパンを渡せば罪」
ゆっくり起き上がる。
「許可を取って捨てれば罪ではない」
「…………」
「便利なものですね」
ジョーカーは微笑んだ。
「規則というのは」
「規則がなければ軍は成り立たん」
「でしょうね」
「情で規則を曲げれば、次の者も同じことをする」
「なるほど」
「そして誰も規則を守らなくなる」
「素晴らしい」
ジョーカーは拍手した。
「では、北部へ行きましょうか」
「……っ貴様が仕切るな!」
◇
二人は北部へ向かった。
目的は、先日判明した若者たちの失踪。
種。
農具。
馬。
そして若い男たち。
それらが北部から少しずつ消えている。
王国軍による正式な徴兵ではない。
ならば――
誰が、何のために集めているのか。
「遅い」
山道を歩きながら、スペードが言った。
「何がです?」
「歩くのがだ」
「大将軍殿が速すぎるのでは?」
「この程度で息を切らすな」
「人間には文明というものがあります」
「何が言いたい」
「馬に乗りましょう」
「足腰を鍛えろ」
「移動にまで修行を求める。軍人というのは不便ですね」
スペードが振り返る。
「だから貴様は弱いのだ」
「…………」
「剣も振らん。身体も鍛えん。暇さえあれば王宮でくだらん冗談ばかり」
ジョーカーは笑っている。
「陛下がお前をそばに置く理由が、俺には理解できん」
「私もです」
「……何?」
「どうしてでしょうね?」
スペードは舌打ちして歩き出した。
「せめて自分の身くらい自分で守れるようになれ」
「その時はお願いします」
「断る」
「近衛騎士団長より冷たい」
「クラブと一緒にするな」
◇
北部の村へ着いた。
村長によれば、この半年で二十人近い若者が村を出たという。
「誰に誘われた?」
スペードが尋ねる。
「分かりません」
「名前は」
「名乗らなかったそうです」
「行き先は」
「それも……」
スペードの顔が険しくなる。
その隣でジョーカーが尋ねた。
「皆さん、嫌がっていました?」
「え?」
「いなくなった若者たちです」
「いや……むしろ逆です」
村長は答えた。
「自分から行った者がほとんどです」
「なぜ?」
「金です」
提示された報酬は、農村の若者が一年働いても手にできないほどだった。
さらに家族にも毎月金が支払われるという。
「それだけか?」
スペードが聞く。
「……もう一つ」
「何だ」
「国のためだと」
ジョーカーの目が細くなる。
「何と言われたんです?」
「この国は弱くなっている」
村長は思い出すように話す。
「戦を避けてばかりでは、いつか他国に食われる」
「…………」
「だから――」
村長は言った。
「この国を、本当に強くしたい者を集めている、と」
◇
村を出てしばらくしたところで、スペードが立ち止まった。
「気に食わん」
「私が?」
「今は違う」
「今は?」
「黙れ」
スペードは拳を握った。
「国を守りたいという若者の気持ちを利用している」
「ええ」
「しかも王国軍を名乗らずにだ」
「怒ってます?」
「当然だ」
「よかった」
スペードが振り返る。
「何がだ?」
「あなたが犯人なら、なかなかの演技力です」
空気が変わった。
「……何だと?」
「冗談ですよ」
「笑えん」
「私は面白かったのですが」
スペードはジョーカーの胸ぐらを掴んだ。
「俺を疑っているのか?」
ジョーカーは抵抗しない。
「疑うことと、決めつけることは違いますよ」
「…………」
「私は皆さんを疑っています」
スペードの目が鋭くなる。
「陛下もか?」
「もちろん」
「貴様……」
「王だから嘘をつかないなんて規則でも?」
スペードが手を離した。
「やはり貴様は嫌いだ」
「安心しました」
ジョーカーは服を整える。
「突然好かれたら、何か悪いものでも食べたのかと心配します」
◇
二人は若者が向かったという山へ入った。
そして日が傾き始めた頃。
スペードが突然しゃがんだ。
「止まれ」
「何か?」
地面に大量の足跡が残っている。
「……百人以上だ」
「分かるんですか?」
「歩幅が揃っている」
スペードは土を指でなぞった。
「ただ集まった人間ではない」
「では?」
「訓練されている」
二人は足跡を追った。
森の奥。
そこには、すでに放棄された野営地があった。
木製の標的。
焚き火の跡。
馬を繋いでいた杭。
そして地面に残された無数の足跡。
スペードの顔から表情が消えた。
「……おい」
「はい?」
「そこを動くな」
「またですか?」
「いいから動くな!」
スペードは地面を見る。
一定の間隔で並ぶ足跡。
標的までの距離。
陣形。
すべてを確認していく。
「これは……」
「何です?」
「王国軍の訓練法だ」
ジョーカーの笑顔が、わずかに薄くなる。
「へえ」
「行進。隊列変更。槍兵の配置」
スペードが奥歯を噛む。
「全部、俺が軍で教えているものと同じだ」
その瞬間。
――ヒュッ。
風を切る音。
スペードの表情が変わった。
「伏せろ!」
ジョーカーを突き飛ばす。
矢が地面に突き刺さった。
「敵襲!」
森から数人の男が飛び出してくる。
顔を布で隠している。
「下がっていろ!」
スペードが剣を抜く。
一人。
二人。
三人。
瞬く間に斬り伏せる。
圧倒的だった。
最後の一人がジョーカーへ向かう。
「ジョーカー!」
剣が振り下ろされる。
ジョーカーは――
動かない。
笑っている。
「馬鹿! 避けろ!」
スペードが地面を蹴った。
剣と剣がぶつかる。
敵の剣が弾き飛ばされた。
次の瞬間には、男は地面に倒れていた。
「助かりました」
「貴様!」
スペードがジョーカーの胸ぐらを掴む。
「なぜ避けなかった!」
「あなたが助けてくださると思いまして」
「もし間に合わなかったらどうする!」
「死んでましたね」
「笑い事ではない!」
「死んでいないので笑い話ですよ」
スペードは拳を震わせる。
「……本当に」
「はい?」
「俺はお前が嫌いだ」
「知っております」
ジョーカーはいつもの笑顔だった。
◇
「これは……」
襲撃者の持ち物を調べていたスペードが何かを拾った。
小さな金属製の徽章。
泥を拭う。
スペードの表情が変わった。
「どうしました?」
「士官章だ」
「王国軍の?」
「ああ」
「階級は?」
スペードは答えなかった。
「スペード?」
「……将官だ」
ジョーカーの目が細くなる。
「将官」
「ああ」
「何人いるんです?」
「俺を含めて――七人」
「なるほど」
ジョーカーは士官章を受け取った。
月明かりにかざす。
「よかったですね」
「何がだ」
「容疑者が随分減りました」
「…………」
「王国の全国民から――」
ジョーカーは笑った。
「たった七人になりました」
「俺も入っているのか?」
「もちろん」
スペードの拳が震える。
「貴様……!」
「冗談ですよ」
「絶対に違うだろう!」
第6話 消えた若者 ――了




