5話「王様の休日」
城下町は、朝から人で溢れていた。
商人の呼び声。
焼きたてのパンの香り。
荷車を引く馬の蹄。
その人混みの中を、二人の男が歩いていた。
「陛下」
「その呼び方はやめろ」
「では、王様」
「もっと悪い」
王は深く被った帽子を直した。
いつもの豪華な衣服も、王冠もない。
どこにでもいる商人風の格好。
その隣を歩くジョーカーも、いつもの奇抜な衣装ではなく、地味な服を着ていた。
「それにしても珍しいですね」
「何がだ」
「陛下が自ら職場へ足を運ばれるとは」
「ここは職場ではない」
「王国全土が職場では?」
「…………」
「おや。王様というのは城を出れば勤務時間外になるのですか?」
「お前は城に戻るか?」
「せっかく陛下が働いておられる歴史的瞬間です。最後まで見届けますよ」
「……連れてくるんじゃなかった」
王はため息をついた。
だが、口元はわずかに笑っていた。
◇
「うまい!」
王が串焼きにかぶりついた。
「城の料理よりうまいぞ」
「料理長には黙っておいてあげましょう」
「なぜだ?」
「王様の舌を満足させるため何十年も修行した末、屋台に負けたと知れば寝込みます」
「お前は一言多い」
「一言で済んでいるなら成長しましたね」
二人が歩いていると、広場から声が聞こえてきた。
「今の王様になってから、随分暮らしやすくなったよ」
老人たちが話している。
「戦も減ったしな」
「ああ。息子を兵に取られずに済んでる」
「税も少し軽くなった」
王の歩みが、ほんの少し遅くなった。
ジョーカーが横を見る。
「…………」
「…………」
「嬉しそうですね」
「別に」
「なるほど。では聞かなかったことに」
「……少しくらい喜んでもよかろう」
「もちろん」
ジョーカーは微笑んだ。
「本人のいないところで褒められる。王様には貴重な経験でしょうから」
「どういう意味だ」
「陛下の前で褒める方なら、城に山ほどいるでしょう?」
「…………」
「不思議ですよね。王様の周りには、なぜか王様を褒める人ばかり集まる」
「皮肉か?」
「褒めております」
「どこをだ」
そのときだった。
「おい!」
大きな声がした。
見ると、一人の少年が男に腕を掴まれていた。
「離せ!」
「このガキ! 盗みやがったな!」
少年の手には、小さなパンが握られている。
店主らしい男が拳を振り上げた。
「待て」
王がその腕を掴んだ。
「なんだ、あんた」
「代金なら払う」
王が硬貨を渡す。
店主は怪訝な顔をしながらも、少年を離した。
「次はないぞ!」
少年は逃げるように走っていった。
王がその背中を見る。
「…………」
「追いかけますか?」
「ああ」
◇
少年を追った先。
そこには、古びた家があった。
中にいたのは母親と幼い妹。
そして――痩せた父親。
少年は盗んだパンを、自分ではなく妹に渡していた。
「……すみません」
父親が頭を下げる。
「あの子には、きつく言っておきます」
「いや」
王は首を振った。
「こちらこそ突然押しかけて悪かった」
父親の訛りを聞いて、ジョーカーが尋ねた。
「北の出身ですか?」
「ええ」
「いつ王都へ?」
「三月ほど前です」
王とジョーカーが一瞬だけ目を合わせる。
北部。
つい先日、虚偽の報告が発覚した土地だった。
「……今年は随分と苦しかったそうですね」
王が言った。
父親は少し驚いた。
「ご存じなんですか?」
「噂で聞いただけだ」
「そうですか……」
父親は俯いた。
「今年は酷いもんでした。畑もまともに使えなくなって」
「不作で?」
「それもあります。でも……」
父親が首を傾げる。
「おかしいんですよ」
ジョーカーの目が、わずかに細くなる。
「何がです?」
「不作になったのは、今年からじゃない」
「…………」
「去年の冬頃からです。種は値上がりする。農具は手に入らない。馬まで買い取られていく」
「誰に?」
「分かりません」
父親は首を振った。
「高く買ってくれる連中がいるってんで、皆売っちまったんです」
「領主は?」
「何も」
「…………」
「それだけじゃない」
父親が続ける。
「若い男が、随分いなくなりました」
王の表情が変わった。
「どこへ行った」
「それも分かりません」
「徴兵か?」
「いえ。国の兵じゃないです」
ジョーカーの笑顔が消えた。
「どうして分かるんです?」
「募集してた奴らが言ってましたから」
「なんと?」
父親は少し考えた。
「――この国を、本当に強くしたい者を集めている」
沈黙。
幼い少女がパンをかじる音だけが聞こえた。
◇
家を出てから、王は一言も喋らなかった。
先ほどまで賑やかだった城下町の声が、どこか遠く感じる。
「ニア」
「はい」
「どう思う」
「困りましたね」
「何がだ」
「嘘つきが一人見つかったと思ったら、今度は人まで消え始めた」
「……反乱か?」
「まだ分かりません」
ジョーカーは歩きながら考える。
「種」
指を一本立てる。
「農具」
二本目。
「馬」
三本目。
「そして、若い男たち」
四本。
「偶然だと思うか?」
「偶然というのは便利な言葉です」
ジョーカーは微笑んだ。
「理由が分からない出来事を、とりあえず片付けておけますから」
「では?」
ジョーカーが立ち止まった。
「不作になったから、人が消えたのか」
王も足を止める。
「それとも――」
ジョーカーは振り返る。
「人と物が消えたから、不作になったのか」
「…………」
「後者なら?」
「誰かが意図的に北部から集めていることになります」
「何のために」
「種、農具、馬、人間」
ジョーカーは指を折っていく。
「さて」
いつもの笑顔が戻った。
「何を始めるつもりなのでしょうね」
◇
しばらく歩いたところで、王が口を開いた。
「ニア」
「はい」
「余は……弱い王に見えるか?」
ジョーカーが王を見る。
「ええ」
「…………」
「かなり」
「即答するな!」
「質問されたので」
「そういう意味ではない!」
「では剣の話では?」
「違う!」
「頭?」
「お前は余を馬鹿にしているのか!?」
「まさか。褒めております」
「今のどこに褒める要素があった!」
ジョーカーが笑う。
王はため息をついた。
「……余は戦を避けてきた」
「そうですね」
「税を下げた。兵も減らした」
「ええ」
「それを弱さだと思う者もいるのだろうな」
今度はジョーカーも茶化さなかった。
「陛下」
「なんだ」
「戦争を始めるだけなら、馬鹿でもできます」
王が横を見る。
「剣を抜いて、攻めろと言えばいい」
ジョーカーは前を向いたまま歩く。
「難しいのは、剣を抜かずに勝つことでしょう」
「…………」
「まあ」
ジョーカーはいつもの笑顔に戻った。
「陛下がそれをできるほど賢いかは、別の話ですが」
「やはりお前は黙れ」
「善処します」
「絶対しない奴の返事ではないか」
二人は再び歩き出した。
その背後。
城下町の遥か北にある土地で――
誰かが、人を集めている。
誰かが、馬を集めている。
誰かが、物資を集めている。
そして誰かが。
この国に――
新しい“王”を必要とし始めていた。
第5話 王様の休日 ――了




