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王の愚者  作者: クロワ
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37/105

37話「最期の盾」

森の奥。


 追手の声は。


 もう聞こえなかった。


「クラブ!」


 王が叫ぶ。


 地面には。


 大盾が転がっていた。


 その隣。


 クラブが倒れている。


「おい!」


 王が駆け寄る。


 傷口を押さえる。


「クラブ!」


「…………」


「目を開けろ!」


「……うるせえなぁ」


 僅かに。


 クラブの目が開いた。


「クラブ!」


「聞こえてますよ……陛下」


 いつもの。


 クラブだった。


 だが。


 声に力がない。


 王の手の間から。


 血が溢れていく。


「止まらん……」


 王が傷口を押さえる。


「なぜ止まらん!」


「陛下」


「…………」


「誰か!」


 王が振り返る。


 誰も。


 答えなかった。


 ここは森の中。


 王都から遠く離れた。


 敵地。


 そして。


 誰の目にも。


 分かっていた。


「……陛下」


 クラブが王を見る。


「もう……いいですよ」


「何がだ」


「…………」


「何がいい!」


 クラブが。


 困ったように笑った。


「昔から……」


「…………」


「そういうところ」


「何だ」


「言ったら……聞かねえんだよなぁ」


 王の手が止まる。


 クラブが。


 頭上の木々を見る。


「懐かしいな……」


 ◇


 何年も前。


 まだ。


 王が王子でニアがただの雑用係だった頃。


 クラブを含めた三人が。


 森の中を走っていた。


 本来なら。


 今日はハートとの勉強の日だった。


 歴史。


 法律。


 道徳。


 王になるために必要なものを学ぶ日。


 そのはずだった。


 だが。


 今。


 三人の手にあるのは。


 本ではない。


 木の枝だった。


「こっちです!」


「どこまで行く気だ!」


「いい場所見つけたんですよ!」


 木々を抜ける。


 その先。


 小さな川が流れていた。


「おお……」


 王子の目が輝く。


 ニアも。


 辺りを見回した。


「綺麗ですね」


「でしょう?」


 クラブが得意げに笑う。


「今日からここ」


 一本の木を指差す。


「俺たちの場所にします」


「俺たちの?」


「はい」


 ◇


 三人で。


 木を集めた。


 枝を集めた。


 石を運んだ。


「クラブ」


「何です?」


「これで本当に家になるのか?」


「なります」


「さっきから傾いているぞ」


「気のせいです」


「どう見ても傾いている」


「殿下」


 ニアが言った。


「右側を押さえてください」


「なぜ余が!」


「倒れます」


「早く言え!」


 三人で。


 木を支える。


「クラブ!」


「はい!」


「早くしろ!」


「今やってます!」


「ニア!」


「はい!」


「そっちを持て!」


「持っています!」


 ――バキッ。


「…………」


「…………」


「…………」


 倒れた。


 しばらく。


 三人とも黙っていた。


「クラブ」


「はい」


「家にならなかったぞ」


「…………」


「秘密基地です」


「何が違う」


「家じゃないので」


「そういう問題か!」


 ニアが。


 吹き出した。


「ニア!」


「申し訳ありません」


「お前まで笑うな!」


 そう言って三人で笑っていた。


 結局。


 三人で作ったのは。


 屋根らしきものがあるだけの。


 小さな小屋だった。


 雨が降れば。


 多分。


 全部入ってくる。


 風が吹けば。


 多分。


 倒れる。


 それでも。


 三人には。


 立派な城だった。


 ◇


 それから。


 三人は。


 何度もそこへ行った。


 勉強が嫌になった日。


 稽古で疲れた日。


 父王に怒られた日。


 何でもない日も。


 川で魚を追った。


 木に登った。


 森の奥を探検した。


 知らない洞穴を見つけて。


 三人で入った。


「暗いな」


「怖いんですか?」


「怖くない!」


「ニアは?」


「少し」


「なら俺の後ろ来い」


「…………」


「殿下も」


「余は怖くない!」


「じゃあ先頭どうぞ」


「…………」


「殿下?」


「今日はお前に譲る」


「怖いんじゃないですか」


「違う!」


 いつだって三人一緒だった。


 クラブが先頭。


 王子がその後ろ。


 ニアがその隣。


 三人で。


 知らない場所へ進んだ。


 ◇


 ある日。


 川辺で。


 三人は寝転んでいた。


「なあ」


 王子が言った。


「何です?」


「余が王になったら」


「はい」


「もうこうやって遊べないのか?」


 クラブが空を見る。


「さあ」


「さあって……」


「俺、王様になったことないんで」


「当たり前だ!」


 ニアが小さく笑う。


「でも」


 クラブが言った。


「別にいいんじゃないですか」


「何がだ」


「王様になっても」


「…………」


「嫌になったら逃げてくりゃ」


「王が逃げていいのか?」


「たまには」


「…………」


「その時は」


 クラブが笑った。


「また三人でここ来ましょう」


 王子が笑う。


「その頃には、この小屋は壊れているぞ」


「じゃあ作り直せばいい」


「また傾くのでは?」


 ニアが言った。


「次は真っ直ぐ作る」


「信用できませんね」


「ニアまで!?」


 三人の笑い声が。


 森に響いた。


 ◇

 

「…………」


 クラブが。


 ゆっくりと目を開けた。


 木々の隙間から。


 光が差し込んでいる。


 風が吹く。


 葉が揺れる。


 そして。


 どこかから。


 水の流れる音。


「……なあ」


「何だ?」


 王が顔を近づける。


「ここ……」


「ここ?」


 クラブが。


 ゆっくりと周囲を見る。


「昔の……」


 息を吐く。


「秘密基地があった場所に……」


 僅かに笑った。


「似てるな」


「…………」


 王も。


 辺りを見る。


 森。


 木漏れ日。


 川の音。


 あの日と。


 よく似ていた。


「……ああ」


 王が答える。


「似ているな」


「…………」


「懐かしいなぁ……」


 クラブが笑う。


「あの小屋……」


「酷い出来だったな」


「お前が作ったんだろう」


「そうでしたっけ」


「そうだ」


「ニア」


 クラブが呼ぶ。


「……はい」


「雨……漏れてたよな」


「ええ」


 ジョーカーが。


 笑おうとして。


 やめた。


「酷いものでした」


「ハハ……」


 クラブの声が。


 少しずつ。


 弱くなる。


「また……」


「…………」


「三人で……」


 王が。


 クラブの手を強く握った。


「行こう」


「…………」


「帰ったら探しに行くぞ」


「……ああ」


「まだ残っているかもしれん」


「そうだな……」


「残っていなければ」


 王の声が震える。


「また作ればいい」


「…………」


「今度はもっと立派なものを作る」


「…………」


「だから」


 王が。


 クラブの手を握る。


「帰るぞ」


「…………」


「三人で」


 クラブは。


 しばらく王を見ていた。


「……殿下」


「…………!」


 王の表情が止まる。


 陛下ではない。


 昔の。


 呼び方だった。


「何だ」


「それ……」


「…………」


「前にも……言ってたな」


「何がだ」


「また……作ろうって」


「…………」


「だから作るんだ!」


 王が叫ぶ。


「今度こそ!」


「…………」


「これは王命だ!」


「…………」


「生きろ!」


 クラブが。


 小さく笑った。


「参ったな……」


「…………」


「何がだ!」


「初めてですよ」


「何がだ」


「殿下の命令……」


 息を吐く。


「守れそうにねえの」


「クラブ!」


 王の声が。


 森に響く。


 クラブは。


 ゆっくりと。


 ジョーカーを見る。


「……ニア」


 ジョーカーの身体が。


 僅かに震えた。


「はい」


「その顔……やめろよ」


「……どのような顔でしょう」


「道化の顔」


「…………」


「俺の前でまで」


 クラブが笑う。


「道化を演じなくていいだろ」


「…………」


 ジョーカーの笑みが。


 ゆっくりと消えた。


「……困りましたね」


「何が」


「あなたは昔から」


 ジョーカーが俯く。


「余計なところばかり見ています」


「近衛だからな」


「関係ありませんよ」


「…そうだな」


「ええ」


「…………」


 クラブが。


 昔と同じように呼ぶ。


「ニア」


「……何?」


「殿下のこと」


 クラブが王を見る。


「頼むわ」


「…………」


「昔から」


 苦しそうに笑う。


「すぐ無茶するから」


「お前にだけは言われたくない!」


「ハハ……」


 ジョーカーが。


 俯いたまま答える。


「……分かりましたよ」


「…………」


「ちゃんと」


 声が震える。


「連れて帰る」


「そうか」


「うん」


「……なら、いい」


 クラブは。


 今度は。


 スペードを見る。


「スペード」


「……何だ」


「悪いな」


「何がだ」


「先に……休むわ」


「…………」


「後は頼んだ」


 スペードは。


 拳を握る。


 そして。


 静かに答えた。


「……任せろ」


「おう」


 クラブが。


 再び。


 空を見る。


 木々の隙間から。


 光が差している。


 葉が揺れる。


 川の音がする。


「…………」


 その目には。


 何が見えていたのだろう。


 今いる森か。


 それとも。


 あの日の森か。


「……殿下」


「何だ」


「ニア」


「何?」


「楽しかったなぁ……」


「…………」


「…………」


 王が。


 クラブの手を握る。


「ああ」


 ジョーカーも。


 笑わずに答えた。


「……うん」


「そうか……」


 クラブの口元に。


 僅かな笑みが浮かぶ。


「じゃあ……」


 瞼が。


 ゆっくりと閉じていく。


「また……三人で――」


 声が。


 止まった。


「…………」


「クラブ?」


 王が呼ぶ。


「おい」


「…………」


「クラブ」


 返事は。


 なかった。


 風が。


 森を抜けた。


 葉が揺れる。


 川の音だけが。


 静かに聞こえていた。


 クラブの顔には。


 僅かな笑みが残っていた。


 まるで。


 あの日。


 三人で作った秘密基地に。


 帰ったように。


 その傍らには。


 傷だらけの大盾。


 最後まで。


 それは変わらなかった。


 王の前に立ち。


 道化の前に立ち。


 二人を守った。


 近衛騎士団長。


 クラブ。


 王の最後の守り。


 そして。


 二人にとって。


 ずっと。


 兄貴だった。


 その日。


 王と道化は。


 最期の盾を失った。

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