36話「救出作戦」
――現在。
「……陛、下……」
クラブの身体が崩れた。
「クラブ!」
王が駆け寄る。
その身体を抱き止めた。
腹から。
血が流れている。
「しっかりしろ!」
「…………」
王弟は。
血のついた剣を静かに払った。
「終わりだ、兄上」
王が顔を上げる。
「…………」
「この日のために」
王弟は周囲を見渡した。
「何年かけたと思っている」
前。
左右。
そして後ろ。
王弟に従う兵。
その数。
千近い。
「逃げ場はない」
王弟が剣を向ける。
その時だった。
「ぐああああっ!!」
後方から悲鳴が上がった。
「何だ!?」
「敵襲!!」
「後ろだ!」
王弟が振り返る。
反乱軍の後方。
森から兵が雪崩れ込んでくる。
王国軍。
だが。
その数は。
百ほど。
先頭の男が剣を振るう。
一人。
二人。
次々と反乱兵を押し退ける。
「ぐっ……!」
一瞬。
男の顔が歪んだ。
折れた肋骨が軋む。
それでも。
剣は止まらない。
「押せ!!」
怒号が響く。
「陛下まで道を開けろ!!」
ガレスの目が見開かれた。
「……スペード」
スペードが剣を構える。
「まだ動けんのかよ⋯」
ガレスが大剣を握る。
「面白え!」
だが。
スペードは向かわない。
「全軍!」
剣を掲げる。
「ガレスは無視しろ!」
「……あ?」
「目的は敵将ではない!」
スペードが叫ぶ。
「陛下を救出する!」
◇
「敵は何人だ!」
王弟軍の将校が怒鳴る。
「分かりません!」
一人の兵士が駆け込んできた。
「森の中です! 旗しか見えません!」
「旗はいくつだ!」
「数え切れません!」
「増援か!?」
「恐らく!」
「規模は!」
「少なくとも――」
一拍。
「千以上かと!」
「千!?」
周囲がざわつく。
「東側にも多数の旗!」
「北からは騎兵らしき音も!」
「……包囲するつもりか!」
将校が叫ぶ。
「第三隊を東へ!」
「第五隊は北へ回せ!」
「はっ!」
兵士が走り去る。
その兜の下で。
口元が笑った。
◇
森の中。
無数の王国軍旗が揺れていた。
だが。
その下に。
兵はいない。
木々の間。
丘の上。
森の奥。
至るところに旗だけが立っている。
「第三隊、配置完了!」
森の中から声が響く。
「騎兵隊、東へ回れ!」
別の場所からも。
「後続部隊、間もなく到着!」
拡声筒。
太鼓。
馬蹄に似せた音。
百人しかいない軍が。
森の中では。
何倍にも膨れ上がっているように見えた。
◇
「報告!」
本物の偵察兵が戻ってきた。
「東の敵はどうした!」
「……東?」
「何?」
「敵は後方の百程度です!」
「百?」
「東側に敵兵などおりません!」
「…………」
将校の顔が固まる。
「なら……」
先ほどの兵士は。
「……誰だ?」
「西から敵兵です!」
別の兵が駆け込んでくる。
「待て!」
「は?」
「お前」
将校が睨む。
「本当にうちの兵か?」
「何を――」
報告が止まる。
命令が遅れる。
誰が味方で。
誰が敵なのか。
分からなくなる。
千の軍を動かすために必要なもの。
情報。
それが。
壊れ始めていた。
◇
「今だ!」
スペードが叫ぶ。
「散るな!」
百人の兵を。
一点へ集中させる。
「陛下まで一直線に押せ!」
反乱軍は千。
だが。
存在しない敵に備え。
兵が分散している。
その隙間へ。
百人が食い込んだ。
スペード自身も剣を振るう。
一人。
二人。
三人。
「ぐっ……!」
脇腹に激痛が走る。
「大将軍!」
「構うな!」
再び剣を振るう。
「前だけ見ろ!」
◇
「騙されんな!!」
ガレスの怒号が響く。
「敵は百だ!」
「ですが東にも――」
「いねえよ!」
「北から騎兵が!」
「音だけだ!」
ガレスが森を見る。
旗。
声。
音。
そして。
存在しない軍隊。
「……ジョーカー」
ガレスが舌打ちする。
「ふざけやがって……!」
◇
「クラブ!」
王が傷口を押さえていた。
「しっかりしろ!」
「……陛下」
「喋るな!」
「逃げ……ますよ」
「何を言っている!」
クラブの手が動く。
地面に転がった。
大盾へ。
「やめろ!」
「…………」
「その傷で動けるわけがない!」
クラブが盾を掴む。
「クラブ!」
「俺は……」
身体を起こす。
「近衛騎士団長です」
膝が震える。
血が落ちる。
それでも。
立ち上がる。
「陛下を守れねえなら……」
大盾を持ち上げる。
「何のために」
息を吐く。
「このクソ重てえ盾……」
構える。
「ずっと持ってたんですか」
「…………」
「行きますよ」
クラブが王の前に立つ。
「俺の後ろから――」
大盾を前へ。
「絶対に出ないでください」
――ボン!
突然。
白煙が上がった。
「何だ!?」
「前が見えん!」
煙の中。
「陛下」
聞き慣れた声がした。
「ジョーカー!」
反乱兵の格好をした男が現れる。
「お迎えに上がりました」
「クラブが!」
「…………」
ジョーカーが傷を見る。
一瞬。
笑みが消えた。
だが。
すぐに戻る。
「では」
懐から。
小さな玉を取り出す。
「三人で帰りましょう」
「できるのか?」
「さあ」
「おい!」
「ですが」
ジョーカーが笑う。
「できないと困りますので」
玉を投げる。
――ドン!!
「伏せろ!」
「爆弾だ!」
反乱兵たちが一斉に伏せる。
「…………」
何も起こらない。
「……音だけ?」
「はい」
ジョーカーが歩き出す。
「皆様、素直で助かります」
◇
外から。
スペード。
内から。
クラブ。
二つの道が。
少しずつ繋がっていく。
「陛下が見えた!」
「押せ!」
王国兵が叫ぶ。
ガンッ!
クラブの大盾に剣がぶつかる。
「ぐっ……!」
「クラブ!」
「止まらないでください!」
もう一撃。
盾で受ける。
「前へ!」
王が進む。
ジョーカーが。
一枚の札を取り出した。
「何だそれは!」
反乱兵が足を止める。
「爆発します」
「下がれ!」
兵たちが飛び退く。
ジョーカーが札を投げる。
ひらひら。
地面へ落ちた。
「…………」
何も起こらない。
「ただの札じゃねえか!」
「ええ」
ジョーカーが横を通り過ぎる。
「今回は」
「貴様!」
別の兵が迫る。
ジョーカーが。
もう一枚取り出す。
「では」
笑う。
「次はどうでしょう?」
「…………!」
兵の足が止まった。
「ありがとうございます」
その横を通り抜ける。
「学習していただけて助かります」
◇
「陛下!」
スペードが到達した。
「スペード!」
「ご無事で!」
「お前も無事ではないだろう!」
「問題ありません、肋骨が数本折れているだけです」
「陛下」
ジョーカーが口を挟む。
「再会を喜ぶのは森に入ってからにしましょう」
「…………」
「追手が来ます」
スペードが頷く。
「全軍!」
剣を掲げる。
「後退!」
「陛下を囲め!」
◇
「逃がすな!!」
ガレスの怒号。
王弟軍が追ってくる。
森まで。
あと僅か。
「ジョーカー!」
スペードが叫ぶ。
「はい!」
「何かないのか!」
「随分と雑なご命令ですね」
「早くしろ!」
「では」
ジョーカーが。
紐を引いた。
森の中。
大量の旗が。
一斉に持ち上がる。
「全軍前進!!」
森の奥から。
大音量の声。
続いて。
太鼓。
馬蹄。
兵士たちの怒号。
「敵の本隊だ!」
「来るぞ!」
反乱軍の足が止まる。
「止まるな!」
ガレスが叫ぶ。
「ハッタリだ!!」
だが。
森の奥には。
無数の旗。
響き渡る足音。
何人いるのか。
見えない。
一瞬。
たった一瞬。
千の軍が。
躊躇した。
「今です」
ジョーカーが笑う。
「森へ」
◇
王が走る。
クラブが盾で守る。
スペード軍がその周囲を囲む。
そして。
ジョーカーが。
最後尾で煙玉を落とした。
白煙が。
森の入口を覆う。
「追え!」
「見えません!」
「構わん! 行け!」
反乱兵たちが。
煙の中へ飛び込んだ。
「お前ら!」
反乱兵の声。
「王はあっちだ!」
「急げ!」
「はっ!」
兵たちが走る。
逆方向へ。
「…………」
煙の中。
一人の反乱兵が兜を取った。
ジョーカーだった。
「大人数というのも」
笑う。
「大変ですね」
◇
やがて。
追手の声が。
遠くなった。
「……逃げ切ったのか?」
王が振り返る。
「ひとまずは」
ジョーカーが答える。
その時。
ドサッ。
音がした。
「クラブ?」
大盾が。
地面へ落ちた。
クラブの身体が。
ゆっくりと傾く。
「クラブ!」
王が抱き止める。
「おい!」
「クラブ!」
返事はない。
スペードが駆け寄る。
「クラブ!」
ジョーカーも。
その傍らに膝をついた。
「…………」
誰も。
勝ったとは言わなかった。
敵は。
まだ千近くいる。
王弟も。
ガレスも。
健在。
王国軍は。
何一つ取り戻してはいない。
それでも。
たった一つ。
奪われなかったものがある。
王の命。
百の兵と。
三人の男が。
千の軍から。
王を盗み出した。




