33話「新しい国」
月明かりが。
その顔を照らす。
王弟だった。
王弟はしばらく、崖下に倒れたガレスを見つめていた。
動かない。
だが。
僅かに胸が上下している。
「……おい」
後ろに控えていた男が近づく。
「はい」
「あいつを運べ」
「ガレス将軍を?」
「ああ」
「どうするおつもりで?」
「俺の領地へ運べ」
王弟はガレスを見る。
「この男は死なせるな」
◇
王弟が帰国した頃。
国内は荒れていた。
王国の双璧。
大将軍スペードとガレス将軍。
その二人を擁した王国軍が敗れた。
その知らせは、瞬く間に国中へ広がった。
「軍は何をしていた!」
「王国最強じゃなかったのか!」
「大将軍に責任を取らせろ!」
「俺たちの税金を使って何をしていたんだ!」
王弟は黙って、その声を聞いていた。
望んでいた光景だった。
王国最強の軍が敗れる。
そうすれば。
民も理解する。
この国は決して強くない。
平和など、いつ奪われてもおかしくない。
これでようやく。
皆が強さを求める。
そう思っていた。
だが。
「兵を増やす!?」
「冗談じゃない!」
「これ以上税を取るつもりか!」
「徴兵なんて絶対に嫌だ!」
「なんで俺たちが戦わなきゃならない!」
「…………」
王弟の表情が止まった。
「軍はもっとしっかりしろ!」
「そうだ!」
「国を守るのは軍の仕事だろ!」
「…………」
王弟は何も言わなかった。
軍が負ければ、軍を責める。
国を守れと言う。
だが。
自分たちが国を守る側に回るのは嫌だと言う。
王弟は拳を握った。
敗北を知れば。
変わると思っていた。
平和が当たり前ではないと知れば。
自分たちも強くならなければならないと。
そう思うはずだった。
だが。
違った。
「……駄目だ」
王弟が呟く。
軍だけではない。
父王だけでもない。
この国そのものが。
長すぎる平和に慣れてしまっている。
軍を増やすだけでは変わらない。
武器を増やすだけでも。
砦を築くだけでも。
「根本から……」
変えなければならない。
その時だった。
「軍だけのせいじゃないだろ!」
若い声が響いた。
王弟が振り向く。
人だかりの中。
一人の青年が立っていた。
「何言ってんだ!」
「負けたのは軍だろ!」
「違う!」
青年が叫ぶ。
「俺たちの国だろ!」
周囲が静かになる。
「敵が攻めてきたら、兵士だけに戦わせるのか!」
「当たり前だろ! そのための軍だ!」
「じゃあ軍が負けたら!?」
「…………」
「俺たちは逃げるだけか!」
青年が拳を握る。
「俺だって戦争なんかしたくない!」
それでも。
「必要なら、俺は戦う!」
王弟の目が青年へ向く。
「自分の国くらい、自分で守る!」
「……俺もだ!」
別の若者が声を上げた。
「このままじゃまた負ける!」
「もっと強くならないと駄目だ!」
数は少なかった。
周囲の大半は。
冷ややかな目を向けている。
だが。
王弟は彼らだけを見ていた。
「…………」
全員に理解させる必要など。
なかったのかもしれない。
何度言っても理解しない者を。
無理に変える必要もない。
ならば。
最初から。
同じものを見ている者だけを集めればいい。
一人。
十人。
百人。
千人。
それだけいれば。
「……作れる」
王弟が呟いた。
今の国を変えるのではない。
もっと強い国を。
自分たちの手で。
作ればいい。
◇
それから。
王弟は密かに動き始めた。
敗戦に危機感を抱いた若者。
軍備の強化を訴える者。
今の王国に疑問を持つ者。
そうした者たちに。
一人ずつ。
声をかけた。
王都から。
地方から。
少しずつ。
若者たちが王弟のもとへ集まり始めた。
後に。
城下から次々と若者が姿を消した時。
誰も知らなかった。
彼らが消えたのではなく。
自ら。
王弟のもとへ集まっていたことを。
まだ。
反乱軍と呼べるほどのものではない。
だが。
この日。
確かに。
その始まりが生まれた。
◇
半年後。
「…………」
指が動いた。
ガレスがゆっくりと目を開く。
見知らぬ天井。
「……ここは」
身体を起こそうとする。
「ぐっ……!」
激痛が走った。
「まだ動くな」
声がした。
ガレスが顔を向ける。
窓際。
一人の男が座っていた。
「……てめえ」
「ようやく起きたか」
王弟だった。
「……ここはどこだ」
「俺の領地だ」
「……何?」
「半年ほど眠っていた」
ガレスの目が見開かれる。
「半年も……?」
「ああ」
ガレスは記憶を辿る。
戦場。
孤立した部隊。
来なかった援軍。
崖。
そして。
『援軍など――最初から送られていない』
「…………」
ガレスの拳が僅かに震えた。
「なぜ……」
「何だ」
「なぜ俺を助けた」
王弟はガレスを見る。
「死なせるには惜しかった」
「……あ?」
「お前ほどの男を、あんな場所で死なせるのはな」
「…………」
「ガレス」
王弟が立ち上がる。
「俺は、この国を変える」
「……何?」
「いや」
王弟は首を振った。
「それでは足りない」
窓の外を見る。
「この国は弱い」
「軍だけの話じゃない」
「王も」
「民も」
「国の在り方そのものが弱い」
「…………」
「少し変えた程度じゃ、何も変わらない」
ガレスが王弟を睨む。
「何が言いてえ」
王弟は振り返った。
「一度、壊す」
「…………」
「この国を」
ガレスの目が細くなる。
「……反乱でも起こすつもりか」
「ああ」
迷いのない返事だった。
「そして作り直す」
王弟は窓から見える領地を眺める。
「誰にも攻められない国」
「誰にも奪われない国」
「他国がその名を聞いただけで、戦うことを諦めるほどの――」
一拍。
「強い国を作る」
「…………」
「そのためには、今の王国が邪魔だ」
「王もか」
「ああ」
「……あんたの親父だぞ」
「分かっている」
「兄貴もいる」
「それも分かっている」
王弟の表情は変わらない。
「それでもやるのか」
「ああ」
ガレスはしばらく王弟を見ていた。
「……狂ってんな」
「そうかもしれないな」
王弟は笑った。
「それで?」
「何だ」
「なんで俺にそんな話をする」
「決まっている」
王弟はガレスを見る。
「お前が必要だからだ」
「俺が?」
「ああ」
王弟が歩み寄る。
「新しい国には、強い軍が必要だ」
一歩。
「そして」
ガレスの前で止まる。
「それを率いる人間もな」
「…………」
「ガレス」
王弟は手を差し出した。
「俺と来い」
ガレスは差し出された手を見る。
「俺に反逆者になれってか」
「違う」
王弟は笑う。
「お前を――」
その目には。
かつて地図の上の英雄に憧れた。
少年の面影が残っていた。
「新しい国の大将軍にする」
ガレスは。
その手を取らなかった。
だが。
拒みもしなかった。
ただ。
黙って見つめていた。
王弟が作ろうとしている。
まだ。
どこにも存在しない――
新しい国を。




