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王の愚者  作者: クロワ
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33/105

33話「新しい国」

月明かりが。


 その顔を照らす。


 王弟だった。


 王弟はしばらく、崖下に倒れたガレスを見つめていた。


 動かない。


 だが。


 僅かに胸が上下している。


「……おい」


 後ろに控えていた男が近づく。


「はい」


「あいつを運べ」


「ガレス将軍を?」


「ああ」


「どうするおつもりで?」


「俺の領地へ運べ」


 王弟はガレスを見る。


「この男は死なせるな」


 ◇


 王弟が帰国した頃。


 国内は荒れていた。


 王国の双璧。


 大将軍スペードとガレス将軍。


 その二人を擁した王国軍が敗れた。


 その知らせは、瞬く間に国中へ広がった。


「軍は何をしていた!」


「王国最強じゃなかったのか!」


「大将軍に責任を取らせろ!」


「俺たちの税金を使って何をしていたんだ!」


 王弟は黙って、その声を聞いていた。


 望んでいた光景だった。


 王国最強の軍が敗れる。


 そうすれば。


 民も理解する。


 この国は決して強くない。


 平和など、いつ奪われてもおかしくない。


 これでようやく。


 皆が強さを求める。


 そう思っていた。


 だが。


「兵を増やす!?」


「冗談じゃない!」


「これ以上税を取るつもりか!」


「徴兵なんて絶対に嫌だ!」


「なんで俺たちが戦わなきゃならない!」


「…………」


 王弟の表情が止まった。


「軍はもっとしっかりしろ!」


「そうだ!」


「国を守るのは軍の仕事だろ!」


「…………」


 王弟は何も言わなかった。


 軍が負ければ、軍を責める。


 国を守れと言う。


 だが。


 自分たちが国を守る側に回るのは嫌だと言う。


 王弟は拳を握った。


 敗北を知れば。


 変わると思っていた。


 平和が当たり前ではないと知れば。


 自分たちも強くならなければならないと。


 そう思うはずだった。


 だが。


 違った。


「……駄目だ」


 王弟が呟く。


 軍だけではない。


 父王だけでもない。


 この国そのものが。


 長すぎる平和に慣れてしまっている。


 軍を増やすだけでは変わらない。


 武器を増やすだけでも。


 砦を築くだけでも。


「根本から……」


 変えなければならない。


 その時だった。


「軍だけのせいじゃないだろ!」


 若い声が響いた。


 王弟が振り向く。


 人だかりの中。


 一人の青年が立っていた。


「何言ってんだ!」


「負けたのは軍だろ!」


「違う!」


 青年が叫ぶ。


「俺たちの国だろ!」


 周囲が静かになる。


「敵が攻めてきたら、兵士だけに戦わせるのか!」


「当たり前だろ! そのための軍だ!」


「じゃあ軍が負けたら!?」


「…………」


「俺たちは逃げるだけか!」


 青年が拳を握る。


「俺だって戦争なんかしたくない!」


 それでも。


「必要なら、俺は戦う!」


 王弟の目が青年へ向く。


「自分の国くらい、自分で守る!」


「……俺もだ!」


 別の若者が声を上げた。


「このままじゃまた負ける!」


「もっと強くならないと駄目だ!」


 数は少なかった。


 周囲の大半は。


 冷ややかな目を向けている。


 だが。


 王弟は彼らだけを見ていた。


「…………」


 全員に理解させる必要など。


 なかったのかもしれない。


 何度言っても理解しない者を。


 無理に変える必要もない。


 ならば。


 最初から。


 同じものを見ている者だけを集めればいい。


 一人。


 十人。


 百人。


 千人。


 それだけいれば。


「……作れる」


 王弟が呟いた。


 今の国を変えるのではない。


 もっと強い国を。


 自分たちの手で。


 作ればいい。


 ◇


 それから。


 王弟は密かに動き始めた。


 敗戦に危機感を抱いた若者。


 軍備の強化を訴える者。


 今の王国に疑問を持つ者。


 そうした者たちに。


 一人ずつ。


 声をかけた。


 王都から。


 地方から。


 少しずつ。


 若者たちが王弟のもとへ集まり始めた。


 後に。


 城下から次々と若者が姿を消した時。


 誰も知らなかった。


 彼らが消えたのではなく。


 自ら。


 王弟のもとへ集まっていたことを。


 まだ。


 反乱軍と呼べるほどのものではない。


 だが。


 この日。


 確かに。


 その始まりが生まれた。


 ◇


 半年後。


「…………」


 指が動いた。


 ガレスがゆっくりと目を開く。


 見知らぬ天井。


「……ここは」


 身体を起こそうとする。


「ぐっ……!」


 激痛が走った。


「まだ動くな」


 声がした。


 ガレスが顔を向ける。


 窓際。


 一人の男が座っていた。


「……てめえ」


「ようやく起きたか」


 王弟だった。


「……ここはどこだ」


「俺の領地だ」


「……何?」


「半年ほど眠っていた」


 ガレスの目が見開かれる。


「半年も……?」


「ああ」


 ガレスは記憶を辿る。


 戦場。


 孤立した部隊。


 来なかった援軍。


 崖。


 そして。


『援軍など――最初から送られていない』


「…………」


 ガレスの拳が僅かに震えた。


「なぜ……」


「何だ」


「なぜ俺を助けた」


 王弟はガレスを見る。


「死なせるには惜しかった」


「……あ?」


「お前ほどの男を、あんな場所で死なせるのはな」


「…………」


「ガレス」


 王弟が立ち上がる。


「俺は、この国を変える」


「……何?」


「いや」


 王弟は首を振った。


「それでは足りない」


 窓の外を見る。


「この国は弱い」


「軍だけの話じゃない」


「王も」


「民も」


「国の在り方そのものが弱い」


「…………」


「少し変えた程度じゃ、何も変わらない」


 ガレスが王弟を睨む。


「何が言いてえ」


 王弟は振り返った。


「一度、壊す」


「…………」


「この国を」


 ガレスの目が細くなる。


「……反乱でも起こすつもりか」


「ああ」


 迷いのない返事だった。


「そして作り直す」


 王弟は窓から見える領地を眺める。


「誰にも攻められない国」


「誰にも奪われない国」


「他国がその名を聞いただけで、戦うことを諦めるほどの――」


 一拍。


「強い国を作る」


「…………」


「そのためには、今の王国が邪魔だ」


「王もか」


「ああ」


「……あんたの親父だぞ」


「分かっている」


「兄貴もいる」


「それも分かっている」


 王弟の表情は変わらない。


「それでもやるのか」


「ああ」


 ガレスはしばらく王弟を見ていた。


「……狂ってんな」


「そうかもしれないな」


 王弟は笑った。


「それで?」


「何だ」


「なんで俺にそんな話をする」


「決まっている」


 王弟はガレスを見る。


「お前が必要だからだ」


「俺が?」


「ああ」


 王弟が歩み寄る。


「新しい国には、強い軍が必要だ」


 一歩。


「そして」


 ガレスの前で止まる。


「それを率いる人間もな」


「…………」


「ガレス」


 王弟は手を差し出した。


「俺と来い」


 ガレスは差し出された手を見る。


「俺に反逆者になれってか」


「違う」


 王弟は笑う。


「お前を――」


 その目には。


 かつて地図の上の英雄に憧れた。


 少年の面影が残っていた。


「新しい国の大将軍にする」


 ガレスは。


 その手を取らなかった。


 だが。


 拒みもしなかった。


 ただ。


 黙って見つめていた。


 王弟が作ろうとしている。


 まだ。


 どこにも存在しない――


 新しい国を。

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