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王の愚者  作者: クロワ
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32/116

32話「仕組まれた敗北」

――一度、負ければいい。


 だがすぐに、一つの問題に気づいた。


 ただ負けるだけでは意味がない。


 辺境の小競り合いで一部隊が敗れたところで。


 民はすぐに忘れる。


 次は勝てばいい。


 運が悪かった。


 そう思うだけだ。


 必要なのは。


 この国は強い。


 自分たちは安全だ。


 そう信じて疑わない民の目を覚ますほどの――


 敗北。


「…………」


 王弟は軍の資料を眺める。


 そして。


 二人の名で手を止めた。


 スペード。


 ガレス。


 大将軍になったばかりのスペードと。


 最後までその座を争ったガレス将軍。


 王国最強の二人。


 人々は彼らを。


 ――王国の双璧。


 そう呼んでいた。


「この二人が……」


 王弟が呟く。


「負ければいい」


 王国最強が敗れる。


 双璧ですら国を守れない。


 それを知れば。


 民もようやく理解するだろう。


 平和など。


 いつ奪われてもおかしくないのだと。


 ◇


 それからしばらくして。


 王国は隣国との戦争に入った。


 当然。


 双璧も戦場へ送られた。


 王弟もまた、王族として従軍していた。


 スペードとガレス。


 二人の戦い方を。


 王弟はよく知っていた。


 ガレスが突っ込む。


 敵陣を力ずくでこじ開ける。


 当然。


 ガレスの部隊は突出する。


 そこへ。


 スペードが援軍を送り込む。


 ガレスが開けた穴を広げ。


 スペードが戦線を支える。


 一見すれば。


 あまりにも無茶な戦い方。


 だが。


 二人だからこそ成立していた。


 ガレスは振り返らない。


 自分が突っ込めば。


 必ずスペードが後ろを埋めると知っているから。


 スペードも止めない。


 ガレスなら敵陣を突破すると知っているから。


 互いの力を。


 互いが誰よりも理解していた。


 そして何より。


 互いを信じていた。


 王弟は。


 その戦い方を利用した。


 ◇


 夜。


 王弟は一人の男に紙を渡した。


「敵へ届けろ」


 男の顔が強張る。


「……よろしいのですか」


「ああ」


「これは……」


 王弟は何も言わない。


 紙には。


 双璧の布陣と進軍経路が記されていた。


 ガレスは必ず前へ出る。


 敵が退けば、さらに追う。


 そして。


 ガレスが突出すれば。


 スペードは必ず援軍を送る。


「正面から双璧と戦うな」


 王弟は静かに言った。


「ガレスを誘い込め」


「…………」


「奴の前だけ、薄くするんだ」


 敵が崩れたように見せる。


 逃げる。


 追わせる。


 ガレスを。


 敵陣の奥深くまで。


「そして」


 王弟の指が地図をなぞる。


「ここだ」


 ガレスへ続く道。


「スペードは必ずここへ援軍を送る」


「そこを……」


「ああ」


 王弟は答えた。


「伏兵で叩かせる」


 男は紙を見る。


「味方にも犠牲が出ます」


「分かっている」


「ガレス将軍も……」


「殺す必要はない」


 王弟は男を見る。


「必要なのは、敗北だ」


 国を滅ぼすつもりはない。


 ただ。


 一度だけ。


 負ければいい。


「この国には」


 王弟は呟いた。


「敗北が必要なんだ」


 ◇


 戦いが始まった。


「押せええええ!!」


 ガレスの怒号が戦場に響く。


 大剣が敵兵を薙ぎ払う。


 敵陣が崩れる。


「逃げるぞ!」


「追え!」


 ガレス隊が前へ出る。


 一つ。


 敵陣を抜く。


 二つ。


 さらに奥へ。


「将軍! 少し出過ぎです!」


「構わん!」


 ガレスは笑った。


「穴さえ開けりゃ、あいつが埋める!」


 迷いなどなかった。


 いつものことだった。


 自分が前へ出る。


 スペードが後ろを支える。


 それで何度も勝ってきた。


「進めぇ!」


 ガレスは。


 敵が逃げているのではなく。


 自分を誘い込んでいることを知らなかった。


 ◇


「……またあの馬鹿が」


 報告を聞いたスペードが額を押さえる。


「ガレス将軍、さらに敵陣深くへ進んでいます!」


「分かっている!」


 スペードは地図を見る。


「援軍を出せ!」


「はっ!」


「急げ! あいつが完全に孤立する前に合流しろ!」


 命令は出された。


 確かに。


 スペードは。


 ガレスを助けるために援軍を送った。


 だが。


 その進路を。


 敵は知っていた。


 ◇


「敵襲!!」


 叫び声。


 援軍の側面から矢が降り注ぐ。


「伏兵だ!」


「盾を上げろ!」


 森から。


 丘から。


 待ち構えていた敵兵が一斉に襲いかかる。


 援軍の足が止まった。


 そして。


 その先では。


 ガレスが待っていた。


 ◇


「援軍はまだか!」


「来ません!」


「んなわけあるか!」


 ガレスが敵兵を斬り伏せる。


「スペードが送ってる!」


 だが。


 来ない。


 一人。


 また一人。


 部下が倒れていく。


 気づけば。


 周囲は敵ばかりだった。


「……クソが」


 ガレスは血を吐き捨てる。


 身体中に傷を負っている。


 それでも。


 剣を握った。


「来いよ」


 敵兵たちが囲む。


「全員まとめて――」


 踏み込もうとした。


 だが。


 足が動かなかった。


「……っ」


 膝をつく。


 限界だった。


 敵兵が迫る。


 ガレスは最後の力で立ち上がる。


 斬る。


 斬る。


 斬る。


 そして。


 背後。


 もう。


 地面はなかった。


「…………」


 崖。


 敵兵の刃が迫る。


 ガレスは身体を捻る。


 足元が崩れた。


「――っ!」


 身体が宙へ投げ出される。


 落ちていく。


 崖の下へ。


 ◇


 どれほど経ったのか。


 ガレスには分からなかった。


 身体が動かない。


 血の味がする。


 視界も霞んでいる。


 それでも。


 意識だけは残っていた。


 足音が聞こえた。


「…………」


 誰かが来る。


 ガレスの口元が。


 僅かに緩んだ。


「……遅えんだよ……」


 足音が近づく。


「……スペード……?」


「残念だが」


 男の声だった。


「違う」


 ガレスの目が僅かに開く。


「……誰だ」


 男は答えない。


「待っているのか?」


「……何を」


「援軍を」


 ガレスは笑った。


「……来る」


「…………」


「あいつは……来る……」


「そうか」


 男がしゃがみ込む。


「ならば、一つ教えてやろう」


「……何を」


「なぜ今回だけ、援軍が来なかったのか」


 ガレスの目が動く。


「……伏兵に……」


「違う」


 男は即答した。


「援軍など――」


 一拍。


「最初から送られていない」


「…………」


 ガレスの笑みが消えた。


「……何?」


「スペードは、お前を助けるつもりなどなかった」


「……ふざけんな」


「考えてみろ」


 男は静かに続ける。


「王国の双璧」


「…………」


「大将軍の座を最後まで争った二人」


 ガレスの拳が僅かに動く。


「お前は公言していたそうだな」


『大将軍の座を奪い返す』


「……それが何だ」


「スペードにとって――」


 男が笑う。


「随分と邪魔な存在だっただろうな」


「…………」


「敵陣へ突出するお前」


「救援を求める部隊」


「そして――援軍を送らない大将軍」


「黙れ……」


「これほど自然にライバルを消せる機会もない」


「黙れ!」


 ガレスが身体を起こそうとする。


「ぐっ……!」


 激痛に倒れる。


「スペードが……そんなことするわけ……」


「なら待てばいい」


 男は立ち上がった。


「…………」


「お前の言う通り、あの男がお前を助けに来るというのなら」


 背を向ける。


「ここで待っていればいい」


 ガレスは崖の上を見る。


「来れば――」


 男が言った。


「私の嘘だ」


 一歩。


 男が離れていく。


「来なければ――」


 足を止める。


「お前が信じた男の、嘘だ」


 ガレスは答えなかった。


 ただ。


 来るはずの男を待っていた。


 だが。


 援軍は来なかった。


 当然だった。


 スペードは送っていた。


 ガレスを救うために。


 だが。


 その道には。


 最初から伏兵が待っていた。


 ガレスの戦い方を敵へ教えた者。


 スペードが援軍を送ることまで教えた者。


 そして。


 今。


 スペードは援軍を送っていないと。


 ガレスに嘘をついた者。


 その男は。


 遠ざかりながら。


 静かに振り返った。


 月明かりが。


 その顔を照らす。


 王弟だった。

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