30話「力」
それから。
王弟は、歴史だけでなく武芸にも没頭するようになった。
剣術。
槍術。
馬術。
弓術。
王族に必要とされる一通りの武芸を学び。
そのどれにも、手を抜かなかった。
ある日の演習場。
指南役の木剣が宙を舞った。
地面に落ちる。
「…………」
「俺の勝ちだな」
「……いつからこんなに強くなられたのです」
剣を握れば。
並の兵士はもちろん。
将校の中にも、王弟に勝てる者は多くなかった。
◇
やがて。
王弟は実際に戦場へ出るようになった。
最初は後方。
次は部隊に同行。
そして。
いつしか自ら先頭で剣を抜くようになった。
そして。
戦場を知った。
人が死ぬところも見た。
命令一つで。
何十人もの命が動くことも知った。
それでも。
王弟の考えは変わらなかった。
むしろ。
強くなっていった。
国を守るには。
力がいる。
そして。
力を持つ国を率いる者にも。
力がいる。
◇
数年後。
王弟は他国へ留学した。
目的は、軍事と外交を学ぶため。
その国は古い歴史を持っていた。
大きな港。
賑わう市場。
各国から集まる商人。
表通りだけを見れば。
豊かな国に見えた。
だが。
一本、裏道へ入れば。
景色は変わった。
「……あれは?」
王弟が足を止める。
路地の向こう。
数人の男たちが商人から金を受け取っていた。
「この辺りを仕切っている連中です」
同行していた留学先の役人が答える。
「犯罪組織か?」
「まあ……そのようなものです」
「なぜ捕まえない」
「難しいのです」
「何が?」
「奴らは大勢いる。それに武器も持っている」
王弟が眉を寄せる。
「警備兵は?」
「いますよ」
「なら捕らえればいい」
「……殿下」
役人が声を落とす。
「この辺りでは、警備隊より彼らの方が力を持っているのです」
「…………」
王弟は男たちを見る。
「国の兵より、犯罪者の方が強い?」
「余計なことをしなければ、彼らも大人しくしています」
「大人しく?」
「ええ」
「今、商人から金を取っているが」
「それくらいなら」
王弟が役人を見る。
「それくらい?」
役人は目を逸らした。
「……行きましょう」
王弟は何も言わなかった。
◇
数日後。
王弟は再び、その地区を訪れた。
市場を抜けた時だった。
「やめてください!」
女の声。
王弟が振り向く。
細い路地。
数人の男がいた。
その中心に。
一人の女と。
まだ幼い子供。
「金はもう払いました!」
「先月の分だろ?」
「今月はまだ……」
「なら別のもんで払ってもらうしかねえな」
男が女の腕を掴む。
「お母さん!」
子供が泣き叫ぶ。
周囲には。
人がいた。
商人。
住民。
そして。
警備兵まで。
だが。
誰も動かない。
「…………」
王弟が警備兵を見る。
「おい」
警備兵が顔を上げる。
「あれが見えないのか」
「……見えています」
「なら助けろ」
警備兵は動かない。
「聞こえなかったか?」
「無理です」
「何?」
「あいつらに手を出したら……」
警備兵は俯いた。
「今度は俺の家族が狙われる」
「…………」
「悪いことは言いません。あなたも関わらない方がいい」
王弟はしばらく警備兵を見ていた。
「なるほど」
そして。
剣の柄に手を置いた。
「殿下」
護衛が止める。
「何を」
「おやめください」
「なぜ」
「他国の問題です」
王弟が護衛を見る。
「だから見捨てろと?」
「そうではありません。しかし――」
「同じだ」
王弟が剣を抜いた。
「おい」
男たちが振り向く。
「あ?」
「その手を離せ」
「何だ、てめえ」
男たちが笑う。
「よそ者か?」
「だったら何だ」
「ここじゃ俺たちに逆らわない方が――」
最後まで言わせなかった。
王弟が踏み込む。
「な――」
一閃。
男の持っていた剣が弾き飛ばされる。
「てめえ!」
残りの男たちが一斉に武器を抜いた。
王弟は構える。
そして。
前へ出た。
◇
長くはかからなかった。
路地に。
男たちが倒れていた。
呻き声。
血。
その中心に。
王弟が立っている。
剣から血が落ちる。
「…………」
周囲の人々は。
誰も声を出さなかった。
王弟は剣を収める。
そして。
女と子供を見る。
「怪我は?」
「……ありません」
「そうか」
女は震えながら頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
何度も。
何度も。
頭を下げる。
王弟はそれを見ていた。
だが。
嬉しくはなかった。
視線を動かす。
警備兵。
役人。
住民。
誰も。
この親子を守れなかった。
王弟は警備兵の前まで歩く。
「一つ聞いていいか」
「……はい」
「この国では」
倒れた男たちを見る。
「誰が民を守る?」
「…………」
答えはなかった。
王弟は街を見る。
立派な建物。
大きな市場。
多くの人々。
国はある。
王もいる。
兵もいる。
それなのに。
誰も。
一人の女と子供すら守れない。
「……同じだ」
王弟が呟く。
昔。
教師から教わった。
戦争を避け続け。
領土を差し出し。
最後には消えた国。
あの国と。
何も変わらない。
ただ。
敵が外にいるか。
中にいるか。
それだけだ。
王弟は剣を見る。
「力がなければ……」
国は守れない。
民も守れない。
正しいことすら。
貫けない。
王弟は顔を上げる。
「俺の国は」
誰に言うでもなく。
呟いた。
「こうはさせない」
他国に怯える国にはしない。
犯罪者に民を奪われる国にも。
助けを求める声から。
兵が目を逸らす国にも。
絶対にしない。
そのために必要なら。
誰よりも強くなる。
自分も。
国も。
誰にも逆らえないほど。
誰にも奪われないほど。
強く。
強く。
王弟は。
血のついた自分の手を見つめる。
歴史に名を残した英雄たちは。
皆。
力を持っていた。
国を守る力。
敵を倒す力。
己の意志を貫く力。
ならば。
自分も手に入れればいい。
誰にも。
この国の未来を奪わせないために。
少年の頃に抱いた英雄への憧れは。
この日。
一つの確信へと変わった。
――力なき正義に、国は守れない。




