3話「王は遅れてやってくる」
王宮――謁見の間。
巨大な扉が開いた。
大臣、将軍、騎士団長。
すでに国の重鎮たちが左右に並び、その最奥には王が座っている。
そこへ、一人の男がゆっくりと歩いてきた。
赤と緑の派手な衣装。
腰には剣ではなく、何枚ものカード。
そして――いつもの笑顔。
「遅いぞ、ジョーカー」
玉座から王の声が響いた。
ジョーカーは足を止める。
壁に掛けられた時計を見た。
それから、王を見る。
「これは失礼しました」
深々と頭を下げる。
「まさか陛下が時間通りにいらっしゃるとは思わなかったもので」
「…………」
重臣たちが一斉に黙った。
「貴様……!」
大臣の一人が声を上げる。
だがジョーカーは気にせず続けた。
「さすがは陛下。ご自身の遅刻には寛容で、他人の遅刻には厳格。王たる者、自分にできぬことを臣下に求めるくらいでなければ」
にこり。
「王というのは、ずいぶん便利な職業ですね」
「ジョーカー!」
「申し訳ありません。庶民の世界ではこういう方を――」
ジョーカーは少し考える。
「重役出勤、とでも呼ぶのでしょうか」
「貴様! 陛下に向かって無礼であろう!」
ついに大臣が怒鳴った。
ジョーカーは不思議そうに振り返る。
「おや?」
「なんだ!」
「陛下は遅刻しても許される。私は許されない」
「当然だ! 陛下はこの国で最も尊き御方だぞ!」
「なるほど」
ジョーカーは頷いた。
「身分が上がるほど、守らなくていい規則が増えるのですね」
「――っ!」
「勉強になります」
誰も言葉を返せなかった。
静まり返った謁見の間。
その中で――
「……ふっ」
王の口元が緩んだ。
「陛下?」
「くっ……ハハハハハ!」
王の笑い声が響き渡った。
大臣たちは困惑して王を見る。
「相変わらずだな、お前は」
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めておらん」
「では聞かなかったことに」
「都合のいい耳だ」
「長生きの秘訣ですよ。陛下もお試しになっては?」
「余より年下のお前が言うな」
二人のやり取りに、大臣たちは顔を見合わせた。
彼らには理解できない。
なぜ王が、この男の無礼だけは許すのか。
いや――
許しているのではない。
王は、この男にだけは無礼であることを求めていた。
「それで?」
ジョーカーの表情がわずかに変わる。
「わざわざ私まで呼び出したということは、戦争でも始めますか?」
「縁起でもないことを言うな」
「では増税?」
「なぜ悪いことしか思いつかん」
「王宮から呼び出されて、庶民にとって良い知らせだったことがあまりありませんので」
「…………」
何人かの大臣が露骨に顔をしかめる。
王は小さくため息をついた。
「北部の三領で、今年の税収が大きく落ちている」
「なるほど」
「財務卿から提案が出ている。来年より一時的に税率を引き上げる」
ジョーカーは財務卿を見る。
「一時的?」
「そうだ」
「便利な言葉ですね」
「何?」
「税金の“一時的”は、死人の“少し眠る”とよく似ている」
ジョーカーは笑った。
「大抵、戻ってきません」
「貴様……!」
財務卿の顔が赤くなる。
だが王は笑わなかった。
「……反対か?」
ジョーカーも笑みを消さない。
「いいえ?」
「ならば――」
「ただ」
ジョーカーは窓の外を見る。
王都。
その遥か先に、この国で暮らす無数の民がいる。
「パンを買えない民から、パン代を取り上げれば」
そして王を見る。
「来年、税を払ってくれる民そのものが減りますよ」
謁見の間が静まり返った。
先ほどまでとは違う沈黙だった。
「では、どうしろというのだ」
財務卿が問う。
「簡単ですよ」
ジョーカーは周囲を見渡した。
豪華な絨毯。
黄金の柱。
天井から吊り下げられた巨大なシャンデリア。
そして――自分たち。
「金がないのでしょう?」
「そうだ」
「ならば、持っている者から取ればいい」
大臣たちの表情が変わる。
「まさか……」
ジョーカーは笑った。
「まず我々から払いましょう」
「…………!」
「国が苦しい時に、民だけ苦しませるのは不公平でしょう?」
誰も答えない。
ジョーカーは王を見た。
「ねえ、陛下?」
王はしばらく黙っていた。
そして――
「……本当に、お前は余の嫌がることばかり言う」
「ええ」
ジョーカーはいつものように笑った。
「そのために私をここへ置いているのでしょう?」
その言葉に。
王の脳裏を、一瞬だけ昔の記憶がよぎった。
――いつか誰も殿下に「違う」と言わなくなったら。
――その時は、私が嫌われ役になりましょう。
「…………」
陛下?」
王は小さく笑った。
「いや、何でもない」
そして重臣たちを見る。
「増税案は一度取り下げる」
「しかし陛下!」
「代替案を検討する。王室費、貴族への給付も含めてだ」
ざわめきが起こる。
その中心でジョーカーだけが笑っていた。
王はそんな男を見て、小さく呟く。
「まったく……昔から変わらんな、ニア」
ジョーカーの眉が、ぴくりと動いた。
周囲が静まる。
「……ニア?」
誰かが呟いた。
王も気づいたらしい。
ジョーカーは満面の笑みを浮かべた。
「陛下」
「……なんだ」
「皆様の前では?」
「…………ジョーカーだ」
「よくできました」
「お前は余を何だと思っている」
「幼馴染の馬鹿な王様ですが?」
「今すぐ牢に入れてやろうか」
「昔と違って、今は自分で出られますよ」
「そういう問題ではない!」
謁見の間に王の怒鳴り声が響く。
だが。
その日、王の隣で最も楽しそうに笑っていたのは――
やはり、王の愚者だった。




