23話「届かなかった援軍」
「敵軍、前方に約三千!」
「右翼、左翼ともに展開を開始!」
「こちらの配置は完了しています!」
次々と報告が飛び交う。
丘の上。
スペードは馬上から戦場を見渡していた。
王国軍、およそ二千五百。
数では僅かに劣る。
だが。
「慌てるな」
スペードの声は、いつもと変わらない。
「敵中央は動かない。こちらから仕掛ける必要はない」
「はっ!」
「右翼は現在位置を維持。弓兵は――」
「スペードォォォ!」
遠くから声がした。
スペードが目を閉じる。
「…………」
副官が苦笑した。
「来ましたね」
馬を飛ばしてやって来たのは、もちろんガレスだった。
「大将軍殿!」
「戦場で叫ぶな」
「いいもの見つけたぞ!」
ガレスが敵陣を指差した。
「左翼!」
「見えている」
「薄い!」
「それも見えている」
「俺が行く!」
「待て」
「行ってくる!」
「おい!」
だが。
ガレスはすでに馬を反転させていた。
「お前ら!」
「おお!」
「敵の左を食い破るぞ!」
「おおおおお!」
兵士たちが続いていく。
スペードが額を押さえた。
「……あの馬鹿」
副官が尋ねる。
「止めますか?」
「もう遅い」
スペードは敵陣を見る。
「それに――」
僅かに目を細める。
「悪い手ではない」
「では?」
「ガレスが敵左翼を引きつける」
スペードが地図を開く。
「第三隊を後方に回せ」
「ガレス隊の援護ですか?」
「ああ」
副官が少し笑った。
「いつも通りですね」
「……そうだな」
ガレスが突っ込む。
スペードが怒る。
そして援軍を送る。
何度繰り返したか分からない。
それで勝ってきた。
今回も。
そうなるはずだった。
◇
「行けえええええ!」
ガレスの大剣が敵兵の盾を弾き飛ばした。
「隊長! 出すぎです!」
「まだ行ける!」
「大将軍に待てって言われてましたよね!?」
「聞こえなかった!」
「あんな大声だったのに!?」
「戦場はうるせえからな!」
「都合のいい耳してますね!」
ガレスは笑った。
「いいから進め!」
ガレス隊が敵左翼へ食い込んでいく。
一人。
また一人。
敵兵が倒れる。
やがて敵左翼が崩れ始めた。
「隊長!」
「なんだ!」
「敵が退いています!」
「見りゃ分かる!」
「追いますか!?」
「当たり前だ!」
「でも大将軍が――」
「心配すんな!」
ガレスは後方を振り返る。
遠く。
丘の上に王国軍の旗が見えた。
「あいつなら、もう援軍を出してる!」
ガレスは後方を振り返る。
◇
「ガレス隊、敵左翼を突破!」
報告を聞いたスペードの眉が動いた。
「早い」
「さすがガレス将校ですね」
「違う」
スペードは戦場を見る。
敵が。
あまりにも綺麗に退いている。
「……退き方がおかしい」
「え?」
「敗走ではない」
スペードが立ち上がる。
「誘われている」
その瞬間。
「大将軍!」
別の伝令が駆け込んできた。
「第三隊が敵襲を受けています!」
「どこだ!」
「森です! ガレス隊への進路上!」
スペードの表情が変わった。
「敵の数は!」
「不明! 森の中から突然!」
「……伏兵か」
副官が息を呑む。
スペードはすぐに地図を見る。
ガレス隊。
第三隊。
森。
敵左翼。
そして――
敵本隊。
「最初から……」
「大将軍?」
「狙われていた」
スペードが呟く。
「ガレスの突出も」
「我々が援軍を送ることも」
拳を握る。
「全部読まれている」
◇
「隊長!」
ガレス隊の背後。
森から兵士たちが現れた。
「後方に敵!」
「数は!?」
「分かりません!」
「援軍は!?」
「見えません!」
ガレスが周囲を見る。
前方。
先ほど退却したはずの敵軍が止まっている。
左右からも敵兵。
そして後方。
「……なるほど」
ガレスが笑った。
「嵌められたか」
「隊長!」
「慌てんな!」
「でも!」
「援軍が来るまで耐えるぞ!」
一人の兵士が不安そうに後方を見る。
「……来るんですか?」
「あ?」
「これ、最初から俺たちを孤立させる罠なんじゃ……」
「だから何だ」
「援軍も止められているかもしれません」
ガレスは迷わなかった。
「来る」
「でも――」
「スペードだぞ?」
ガレスは笑った。
「あのクソ真面目が、俺たちを置いて帰れるわけねえだろ」
大剣を構える。
「それまで死ぬな!」
「はい!」
「一人でも多く道連れにしろ!」
「それ死ぬ前提じゃないですか!」
「じゃあ二人でも三人でも道連れにして生きろ!」
「無茶苦茶だ!」
「いつものことだ!」
ガレスが敵へ突っ込んだ。
◇
「第二隊を回せ!」
「できません!」
「なぜだ!」
「敵中央が動きました! 本陣へ向かっています!」
スペードが歯を食いしばる。
「第四隊は!」
「右翼の防衛で動かせません!」
「…………」
完全に読まれている。
ガレスを助けようと兵を動かせば。
その分だけ、別の場所が崩れる。
「大将軍」
副官が静かに言った。
「……ガレス隊は」
「言うな」
「しかし」
「言うな」
副官は黙った。
スペードが剣を取る。
「騎兵を二十騎」
「……何を?」
「俺が行く」
「大将軍!?」
「兵団は動かせない」
「だからといって総大将自ら!」
「なら他に方法があるのか!」
副官が言葉を失う。
「…………」
「ないのだろう」
スペードは馬に乗った。
「全軍の指揮を一時預ける」
「お待ちください!」
「命令だ」
「しかし!」
スペードが副官を見る。
「俺は――」
一瞬だけ言葉を止める。
「多くの兵を死なせないために、大将軍になったのだ」
馬を走らせた。
◇
「どけ!」
スペードの剣が敵兵を薙ぐ。
森。
ガレス隊へ続く唯一の道。
そこを伏兵が塞いでいた。
「大将軍! 敵が多すぎます!」
「突破しろ!」
「しかし!」
「突破しろ!!」
スペードが先頭を走る。
敵兵を斬る。
また一人。
さらに一人。
それでも。
時間だけが過ぎていく。
「……ガレス」
◇
「隊長!」
「おう!」
「残り二十人です!」
「まだ二十人もいるのか!」
「最初百人以上いましたけどね!」
「細けえこと気にすんな!」
「細かくないですよ!」
ガレスの鎧は血に染まっていた。
自分の血か。
敵の血か。
もう分からない。
「隊長……」
「なんだ!」
「援軍……まだです」
「…………」
初めて。
ガレスが答えなかった。
遠くを見る。
王国軍の旗は見えない。
「……遅えな」
小さく笑った。
「スペードの野郎」
「隊長」
「帰ったら説教だ」
「それ大将軍の台詞じゃないですか?」
「今日は俺がする!」
大剣を構える。
「もう少しだ!」
「何がです?」
「知らん!」
「でもあいつは来る!」
ガレスが叫ぶ。
「だから――」
敵兵へ向かって走り出す。
「死ぬんじゃねえぞ!」
◇
スペードが森を抜けた時。
一人の兵士が倒れ込むように現れた。
王国軍。
ガレス隊の兵だった。
「大将軍……」
スペードが馬から降りる。
「ガレスは!」
「…………」
「ガレスはどこだ!」
兵士の目から涙が落ちた。
「隊長は……最後まで戦って……」
「それで!」
「敵に追われて……崖へ」
スペードの顔が強張る。
「崖?」
「足場が崩れて……」
「…………」
「落ちました」
時間が止まった。
「……高さは」
「…………」
「どれくらいだ」
兵士は答えなかった。
その沈黙だけで。
十分だった。
「案内しろ」
「今すぐだ!」
◇
「ガレス!」
崖の縁。
スペードの声が響いた。
「ガレス!!」
返事はない。
遥か下。
霧に覆われ、底すら見えない。
「捜索隊を出せ」
「大将軍、まだ敵軍が――」
「出せ」
「ですが!」
「今すぐ出せ!!」
兵士たちが息を呑んだ。
普段。
どれだけ不利な戦況でも。
どれだけ多くの死者が出ても。
冷静さを失わなかった男が。
初めて。
声を震わせていた。
◇
捜索は三日続いた。
見つかったのは。
折れた大剣。
砕けた鎧。
そして。
銀の狼が描かれた、破れた旗。
ガレスの遺体だけは――
見つからなかった。
「大将軍」
兵士が静かに言った。
「この高さです」
「…………」
「恐らく、生存は……」
「分かっている」
スペードは破れた旗を握った。
「……下がれ」
「はっ」
一人になる。
「…………」
銀の狼。
スペードは目を閉じた。
『俺がお前から、大将軍の座を奪い返す!』
「……馬鹿が」
旗を強く握る。
「奪うんじゃなかったのか」
返事はない。
◇
――だが。
崖の遥か下。
「……っ」
指が動いた。
岩場に。
一人の男が倒れていた。
ガレス。
鎧は砕け。
身体中から血を流している。
片腕は動かない。
息をするだけで激痛が走る。
「…………」
それでも。
生きていた。
「……スペード……」
掠れた声。
「遅え……ぞ……」
少し笑う。
「あの……野郎……」
きっと来る。
何度だって、そうだった。
自分が無茶をする。
スペードが怒る。
最後には。
必ず援軍が来た。
「……早く……来いよ……」
その時。
足音が聞こえた。
ガレスが薄く目を開ける。
誰かが立っている。
「……スペード……?」
「残念だが」
男の声だった。
「違う」
ガレスの目が僅かに開く。
「……誰だ」
男は答えない。
「待っているのか?」
「……何を」
「援軍を」
ガレスは笑った。
「……来る」
「…………」
「あいつは……来る……」
「そうか」
男がしゃがみ込む。
「ならば、一つ教えてやろう」
「……何を」
「なぜ今回だけ、援軍が来なかったのか」
ガレスの目が動く。
「……伏兵に……」
「違う」
男は即答した。
「援軍など――」
一拍。
「最初から送られていない」
「…………」
ガレスの笑みが消えた。
「……何?」
「スペードは、お前を助けるつもりなどなかった」
「……ふざけんな」
「考えてみろ」
男は静かに続ける。
「王国の双璧」
「…………」
「大将軍の座を最後まで争った二人」
ガレスの拳が僅かに動く。
「お前は公言していたそうだな」
『大将軍の座を奪い返す』
「……それが何だ」
「スペードにとって――」
男が笑う。
「随分と邪魔な存在だっただろうな」
「…………」
「敵陣へ突出するお前」
「救援を求める部隊」
「そして――援軍を送らない大将軍」
「黙れ……」
「これほど自然にライバルを消せる機会もない」
「黙れ!」
ガレスが身体を起こそうとする。
「ぐっ……!」
激痛に倒れる。
「スペードが……そんなことするわけ……」
「なら待てばいい」
男は立ち上がった。
「…………」
「お前の言う通り、あの男がお前を助けに来るというのなら」
背を向ける。
「ここで待っていればいい」
ガレスは崖の上を見る。
「来れば――」
男が言った。
「私の嘘だ」
一歩。
男が離れていく。
「来なければ――」
足を止める。
「お前が信じた男の、嘘だ」
ガレスは答えなかった。
ただ。
崖の上を見続けた。
「…………スペード」
返事はない。
ガレスは知らない。
その頃。
スペードが三日間。
自分を探し続けていたことを。
そしてスペードも知らない。
崖の下で。
親友が――
自分を待ち続けていたことを




