18話 「弱腰な王」
「戦争を!」
「隣国に報復を!」
「殺された者たちの仇を!」
今日も王宮の外から声が響いていた。
日に日に、その数は増えている。
最初は数十人だった。
それが百人になり、今では広場を埋め尽くしている。
王は執務室で報告書を読んでいた。
「……また増えたか」
「昨日の倍ほどです」
クラブが答える。
「今のところ暴動にはなっておりません。ただ、このまま続けばどうなるか」
「力ずくで追い払うな」
「分かっております」
王は再び報告書へ目を落とした。
国境の村。
死者十三名。
うち、子供二名。
現場から発見された隣国軍の剣。
軍服の切れ端。
そして、生存者の証言。
どれも隣国の関与を示している。
だが――
「この紙切れだけで、何千人もの命を賭けるつもりはない」
王弟が口を開いた。
「しかし兄上。何をもって十分とされるのです?」
「少なくとも、隣国が命じたと断定できるものだ」
「剣がある。軍服がある。生存者の証言まである」
「それでもだ」
王弟は小さく息を吐いた。
「その間にも、民は怯えています」
「分かっている」
「本当に?」
部屋の空気が変わった。
クラブが王弟を見る。
だが王弟は構わず続けた。
「兄上が戦争を避けたいお気持ちは理解しています。しかし――」
窓の外を見る。
「民には、そう見えていないようです」
外から声が響く。
「弱腰な王はいらない!」
一瞬。
部屋が静まり返った。
王弟は何も言わない。
ただ兄を見ている。
「……陛下」
クラブが口を開こうとする。
「よい」
王は立ち上がった。
「陛下?」
「行くぞ」
「どちらへ?」
王は窓の外を見た。
「民のところだ」
◇
王宮の扉が開いた。
それだけで、広場を埋め尽くしていた声が少し小さくなった。
王が姿を現す。
その後ろにはスペード、クラブ。
少し離れて王弟。
そしてジョーカー。
「陛下だ!」
誰かが叫んだ。
静まったのは一瞬だった。
「陛下!」
「いつまで待てばいいのです!」
「隣国を許すのですか!」
「俺たちは殺されるまで待てっていうのか!」
次々と声が飛ぶ。
王は何も言わなかった。
「戦ってください!」
「報復を!」
「殺された者たちの仇を!」
そして。
「臆病者!」
群衆のどこかから声が飛んだ。
空気が止まる。
近衛騎士たちがざわめいた。
クラブが一歩前へ出ようとする。
王が手で止めた。
「構わん」
「しかし陛下」
「言わせろ」
王は群衆を見る。
「他には?」
民衆が戸惑う。
「余に言いたいことがある者は、今ここで言え」
しばらく沈黙があった。
やがて、一人の男が前へ出た。
「……私の妹は、国境の近くに住んでいます」
声が震えていた。
「次に襲われるのは、妹の村かもしれない」
「…………」
「陛下は調査すると仰った」
「ああ」
「でも……」
男は拳を握った。
「本当に調べているのですか?」
王は黙って聞く。
「俺たちには何も見えない!」
別の男が叫んだ。
「王宮の中で調査する、調査すると言っているだけじゃないか!」
「また話し合いですか!」
「隣国が次の村を襲うまで!」
「いつまで待てばいい!」
声が重なる。
王は、それを止めなかった。
やがて。
声が少しずつ収まっていく。
王が口を開いた。
「……その通りだ」
群衆が静まった。
「余は、何も見ていない」
ジョーカーが王を見る。
「焼かれた村も」
王は続ける。
「殺された者たちも」
「残された家族も」
「余はここで、報告を聞いているだけだ」
ざわめきが起こる。
「ならば――」
王は言った。
「余が見に行く」
広場が静まり返った。
「明朝、余は国境へ向かう」
「陛下!」
クラブが思わず声を上げた。
「なりません!」
「なぜだ」
「襲撃があったばかりです! 犯人すら分かっていない土地へ陛下御自身が向かわれるなど――」
「だから行く」
「しかし!」
「安全になってから見に行って、何が分かる」
王は再び民衆を見る。
「余は戦争が怖い」
ざわめきが広がる。
王弟が兄を見る。
「……やはり臆病者ではないか」
誰かが呟いた。
王は否定しなかった。
「ああ」
群衆を見る。
「怖い」
そして。
「お前たちが死ぬのが怖い」
声が止まった。
「戦になれば、ここにいる者の中からも死者が出る」
「夫を失う者がいる」
「父を失う子供がいる」
「子を失う親がいる」
王の声が広場に響く。
「だから余は、簡単には剣を抜かん」
誰も叫ばない。
「それを弱腰と呼びたければ、好きに呼べ」
王は言った。
「だが――」
群衆を見渡す。
「真実を見ることまで恐れた覚えはない」
沈黙。
「三日だ」
王が指を三本立てる。
「三日、余にくれ」
「明朝、余自身が襲撃された村へ向かう」
「生き残った者の話を聞く」
「死んだ者を見る」
「残された証拠を見る」
「そして――」
王は民衆を真っ直ぐ見る。
「隣国が我が民を殺したと確信したなら」
一拍。
「その時は、余が決断する」
群衆の中から声が上がった。
「……本当に、陛下御自身が?」
「ああ」
「危険です!」
先ほど妹の話をした男だった。
王は少しだけ笑った。
「お前の妹が暮らすには危険な場所なのだろう?」
「……はい」
「ならば、余が行けない理由にはならんな」
男は何も言えなくなった。
広場を埋め尽くしていた「戦争を」という声は、もう聞こえなかった。
「三日だ」
王はもう一度言った。
「それまでは――余を信じろ」
◇
王宮へ戻る途中。
クラブは不機嫌だった。
「私は反対ですからね」
「分かった」
「本当に分かっておられます?」
「聞こえてはいる」
「聞いてるだけじゃないですか!」
ジョーカーが横から口を挟む。
「クラブ様」
「なんだ!」
「諦めた方がよろしいかと」
「あ?」
「昔から陛下は、一度こうと決めると聞きませんので」
王が振り返る。
「お前たち、うるさいぞ」
「申し訳ありません、陛下」
二人が同時に頭を下げた。
少しだけ。
昔のようだった。
だが、王弟だけは笑っていなかった。
廊下の窓から、広場を見る。
先ほどまで戦争を叫んでいた民たちが、静かに帰っていく。
「……三日、か」
小さく呟く。
その声を聞く者はいない。
王弟は、国境の方角へ目を向けた。
そして静かに笑った。




