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王の愚者  作者: クロワ
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15話「正義の決め方」

「ジョーカー。陛下がお呼びだ」


 近衛騎士にそう告げられたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


「私を?」


「ああ。会議室へ来るように、と」


「嫌な予感しかしませんねえ」


 ジョーカーは立ち上がった。


「陛下が私をお呼びになる時は、大抵ろくなことがありません」


「聞かなかったことにしておく」


「賢明です」


     ◇


 会議室の扉を開く。


 中央の大きな卓には、一枚の地図が広げられていた。


 王。


 スペード。


 ハート。


 ダイヤ。


 クラブ。


 王国の中枢を担う者たちが揃っている。


 そして――


 もう一人。


 王の隣に、男が座っていた。


 年は王より少し若い。


 整った顔立ち。


 王族らしい上等な衣服を身につけているが、兄とはどこか雰囲気が違う。


「遅いぞ、ジョーカー」


「申し訳ありません」


 ジョーカーは頭を下げる。


「まさか皆様がお揃いとは思いませんでしたので」


「座れ」


「はい」


 空いている席へ向かおうとして――


 ジョーカーは、男を見る。


 男もこちらを見ていた。


「兄上」


 男が王へ尋ねた。


「彼が例の?」


「ああ。ジョーカーだ」


「なるほど」


 男はジョーカーを眺め、微笑んだ。


「噂は聞いている」


「光栄です。良い噂だけでしたら嬉しいのですが」


「残念ながら、面白い噂ばかりだ」


「それは良い噂ですね」


 王がため息をついた。


「ジョーカー。こちらは余の弟だ」


 ジョーカーは少し目を見開いた。


 そして、改めて頭を下げる。


「これは失礼いたしました」


「構わない。堅苦しいのは好かん」


「助かります。私も苦手なもので」


「お前は相手が誰でも変わらんだろう」


「よくご存じで」


 王弟が笑った。


「気に入った」


「ありがとうございます」


「それで兄上。そろそろ本題に戻ろう」


 その一言で、空気が変わった。


 王が地図を見る。


「ジョーカー。ここを見ろ」


 指し示されたのは、王国と隣国の境。


「国境付近で揉め事が増えている」


「揉め事?」


「隣国の兵が、国境を越えてくるようになった」


 スペードが答えた。


「今のところ大規模な侵攻ではない。だが、すでに数度確認されている」


「道に迷われたのでは?」


「毎回こちら側へ?」


「方向音痴の多い軍隊なのかもしれません」


「そんな軍があってたまるか」


 クラブが呆れた。


 王弟が地図の国境を指でなぞる。


「連中はこちらを試している」


 その声から、先ほどまでの柔らかさが消えていた。


「どこまで踏み込めば、この国が動くのかをな」


 王は黙っている。


「兄上。私は以前から申し上げているはずです」


「ああ」


「兵を出すべきです」


 部屋が静かになった。


「国境へ軍を集め、次に越境した兵は捕らえる。抵抗するなら戦闘も辞さない。それくらいの姿勢を見せなければならない」


「それで戦になればどうする」


「戦います」


 即答だった。


「弟よ」


「兄上は甘すぎる」


 王弟は言った。


「一度許せば、次はもう一歩踏み込んでくる。その一歩を許せば、また次の一歩だ」


 地図の上で指が動く。


 国境を越え、小さな村へ。


「気づいた頃には、ここは隣国の領土になっている」


「だから先に剣を抜けと?」


「剣を持っていると見せるのです」


 王弟は兄を見る。


「使う覚悟も含めて」


 王はしばらく黙っていた。


「……戦になれば、死ぬのは兵だけではない」


「承知しています」


「村が焼かれる。畑が荒れる。商人は道を失い、親を失う子供も出る」


「だから戦わない?」


「だから避けられる戦は避ける」


 王の声は静かだった。


「王の意地のために、民を死なせるつもりはない」


「意地ではありません」


 王弟も引かなかった。


「国を守るためです」


「戦わずに守る方法もある」


「それが通じる相手ならば」


 兄弟の視線がぶつかる。


 王弟が続けた。


「兄上が民を想っていることは分かっています。私とて同じです」


「ならば――」


「だからこそです」


 王弟の手が、国境の上に置かれる。


「弱い国の民ほど、惨めなものはない」


 誰も口を挟まない。


「こちらが戦争を嫌えば、相手も嫌ってくれる。そんな保証がどこにあります?」


「…………」


「我々が平和を望むことと、他国が我々の領土を欲しがらないことは、別の話です」


 ジョーカーは黙って二人を見ていた。


 どちらも、民を守ると言っている。


 ただ。


 その方法が違う。


「では」


 王弟がジョーカーを見る。


「道化殿にも聞いてみよう」


「私ですか?」


「ああ」


「やめておけ」


 王が言った。


「ろくな答えは返ってこない」


「陛下。私への信頼が日に日に失われておりませんか?」


「最初からない」


「これは悲しい」


 王弟が笑った。


「なら、なおさら聞いてみたい」


「何をでしょう?」


 王弟は地図を指した。


「もし戦争になれば、我々は自国を守るために戦う」


「ええ」


「向こうも、自国のために戦うと言うだろう」


「でしょうね」


「では――」


 王弟は尋ねた。


「正義は、どちらにあると思う?」


「正義、ですか」


 ジョーカーは首を傾げた。


「難しい質問ですねえ」


「道化にも難しいことがあるのだな」


「もちろんです。ですが――」


 ジョーカーは笑った。


「『正義は勝つ』と申しますでしょう?」


「ああ」


「私はあれ、とても便利な言葉だと思っております」


「便利?」


「ええ」


 ジョーカーは地図の両側に置かれた二つの駒を見る。


「どちらが正義か分からなくても、最後まで待てばいいのですから」


「最後?」


「戦争が終わるまでです」


 ジョーカーは片方の駒を指で倒した。


「勝った方が『我々こそ正義だった』と言えばいい」


 誰も口を挟まない。


「戦争というのは親切ですねえ」


 ジョーカーだけが笑っていた。


「勝者には領土を。敗者には罪をくださる」


 王弟の目が、わずかに細くなる。


「百人殺して負ければ虐殺者」


 ジョーカーは倒れた駒を見る。


 そして、残った駒を摘まみ上げた。


「百人殺して勝てば英雄」


 駒を卓上へ戻す。


「ずいぶん分かりやすい採点基準です」


「……随分とひねくれた考え方だな」


 王弟が言った。


「道化ですので」


 ジョーカーは頭を下げる。


「正しいことを申し上げる役目は、立派な皆様にお任せしております」


「では、お前は『正義は勝つ』とは思わないのか?」


 王が尋ねる。


「いえ?」


 ジョーカーは笑った。


「正しいと思いますよ」


「ほう?」


「勝った方を正義と呼ぶのでしたら――」


 ジョーカーは両手を広げた。


「正義は必ず勝ちますから」


 誰も笑わなかった。


 ジョーカーだけが、楽しそうに笑っていた。

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