本部
第七話
黒龍との遭遇から二日。
龍牙連合・白虎組の事務所は、いつになく騒がしかった。
「本当に黒龍だったらしい。」
「宗玄さんでも仕留められなかったってよ。」
「しかも新人が生きて帰ってきたらしいぞ。」
蓮は居心地悪そうに視線を逸らした。
自分が噂の中心になっていることが落ち着かなかった。
あの黒龍の黄金の瞳。
そして頭に響いた声。
『……必ず、生きろ。』
あれが何だったのか、今でも分からない。
「蓮。」
宗玄が静かに声を掛けた。
「来い。」
「……はい。」
「三代目がお前を呼んでいる。」
その言葉に事務所が静まり返る。
「三代目って……。」
「まさか……。」
誰もが息を呑む。
龍牙連合三代目会長。
九条蒼真。
この国で最強と呼ばれる龍術師。
その人物が新人を呼ぶなど前代未聞だった。
⸻
龍牙連合本部。
最上階。
重厚な扉の前で宗玄が立ち止まる。
「失礼します。」
扉が静かに開いた。
蓮が想像していたのは、豪華な執務室だった。
しかし、そこにあったのは陽の光が差し込む和室。
窓際では一人の青年が盆栽に水をやっていた。
「ん?」
振り返った青年は穏やかに笑う。
「お、来たか。」
年齢は三十代前半。
黒髪を後ろで束ね、白いシャツ姿。
優しそうな青年にしか見えない。
(この人が……会長?)
蓮が戸惑っていると、宗玄が深く頭を下げた。
「会長、お連れしました。」
青年はジョウロを置き、蓮の前まで歩いてくる。
「初めまして。」
「龍牙連合三代目会長――九条蒼真だ。」
蓮は慌てて頭を下げた。
「神代蓮です!」
蒼真は思わず笑った。
「そんなに緊張しなくていいよ。」
「俺はそんな怖い人じゃない。」
その笑顔だけを見ると、本当に普通の青年だった。
だが――
一歩近づいた瞬間。
蓮の背筋に冷たいものが走る。
空気が変わった。
目の前の男から溢れる龍気は、宗玄とは比べ物にならない。
圧倒的。
ただ立っているだけなのに、本能が告げる。
この人には敵わない。
蒼真はその表情を見て苦笑した。
「少し驚かせちゃったかな。」
龍気は一瞬で消えた。
部屋は再び穏やかな空気へ戻る。
「さて。」
蒼真は蓮の正面に座る。
「黒龍と会ったそうだね。」
「……はい。」
「怖かった?」
蓮は少し考えた。
「怖かったです。」
「でも、それ以上に……悲しかった。」
蒼真の目が細くなる。
「悲しかった?」
「黒龍が……泣いているように見えたんです。」
宗玄が目を見開く。
蒼真だけは黙って蓮を見つめていた。
「それだけじゃありません。」
「黒龍に触れた時、知らない景色が見えました。」
「誰かが黒龍を抱き締めていて……。」
「『必ず、生きろ』って。」
その瞬間。
部屋の空気が張り詰めた。
宗玄が思わず蒼真を見る。
しかし蒼真は驚く様子もなく、小さく息を吐いた。
「そうか……。」
「やっぱり君だったか。」
「え?」
「いや。」
蒼真は微笑む。
「今はまだ知らなくていい。」
「知らない方が幸せなこともある。」
蓮は納得できなかった。
「俺だけ何か違うんですか?」
蒼真は少し考えた後、ゆっくり頷いた。
「違う。」
「でも、それが良いことなのか悪いことなのかは、まだ誰にも分からない。」
「だから焦る必要はない。」
そう言うと蒼真は立ち上がった。
窓から差し込む光を背に、蓮の前まで歩く。
「神代蓮。」
「お前はまだ弱い。」
「龍術も未熟だ。」
「経験も足りない。」
蓮は悔しそうに拳を握る。
蒼真は笑った。
「でも、それでいい。」
「強い人間なんて最初からいない。」
「仲間に支えられ、倒れて、また立ち上がる。」
「それを繰り返した者だけが、本当に強くなれる。」
蒼真は蓮の肩にそっと手を置く。
「だから無理はするな。」
「困った時は仲間を頼れ。」
「宗玄も、白虎組のみんなも、お前を一人にはしない。」
蓮は目を見開いた。
施設を出てから。
誰かに「仲間だ」と言われたことは一度もなかった。
胸の奥が熱くなる。
蒼真は優しく笑い、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「神代蓮――龍牙連合へようこそ。」
「今日から、お前は俺たちの仲間だ。」
その一言だけで十分だった。
蓮は深く頭を下げる。
「……はい!」
「よろしくお願いします!」
蒼真は満足そうに頷く。
「期待してるよ、蓮。」
「いつか、この連合を背負える男になってくれ。」
蓮はまだ気付いていなかった。
その何気ない言葉が、自分の未来を示すものになることを。
そして部屋を出る直前、蒼真は宗玄だけに聞こえる小さな声で呟いた。
「宗玄。」
「はい。」
「黒龍が蓮を見逃した理由……調べろ。」
「もし私の予想が正しければ――」
蒼真の表情から笑みが消える。
「この世界は、近いうちに大きく動く。」
宗玄は静かに頷いた。
「承知しました。」
その頃、深い山奥では黒龍が月を見上げていた。
黄金の瞳に映るのは、一人の少年の姿。
「……蓮。」
その名を口にした黒龍は、静かに目を閉じる。
誰も知らない運命の歯車が、ゆっくりと動き始めていた。
――第八話へ続く。




