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無盃の将  作者: G
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89/96

取引 続き


 一方、龍討祭の会場から離れた古い建物。


 並木は携帯電話に届いた連絡を確認すると、孝太郎に向き直った。


「荒木さん。少し予定が変わりました」


「……何だよ、今度は」


「あなたを解放することになりました」


 孝太郎は眉をひそめた。


「は?」


「もう、ここにいていただく必要はありません」


「おい、待てよ。さっき資料を見せるって言っただろ」


「申し訳ありません。その話は取り消しになりました」


「ふざけんな。勝手に連れてきといて、今度は帰れってか?」


「そういうことになります」


 並木は淡々と答えた。


 孝太郎は目の前の男を睨みつける。


 祀の過去について、まだ何一つ確かめられていない。


 それなのに、突然解放するという。


「……何かあったのか?」


「詳しい事情はお話しできません」


「何なんだよ全く」


 並木は答えず、出口を指した。


「こちらへどうぞ」


 孝太郎はしばらく動かなかったが、やがて舌打ちして歩き始めた。


 廊下を抜け、階段を下りる。


 建物の外へ出ると、冷たい風が頬を撫でた。


「ここまでです」


 並木が立ち止まった。


「もう自由に帰っていただいて構いません」


「……本当に帰っていいんだな?」


「ええ」


 孝太郎は周囲を見渡した。


 追手らしい人影はない。


 並木も、それ以上近づこうとはしなかった。


「……意味分かんねえ」


 孝太郎は吐き捨てるように言うと、建物から離れて歩き始めた。


 その背中を、並木は携帯電話で撮影していた。


 孝太郎が敷地を出て、通りの向こうへ消えるまで。


 撮影を終えた並木は、動画を送信した。


「……これでよし」


 並木は携帯電話をしまい、建物の中へ戻っていった。


 *


 病室。


 増井の携帯電話が短く震えた。


「届きました」


 増井は画面を操作し、祀に向けた。


 映っていたのは、建物の外を歩く孝太郎の姿だった。


「……孝太郎」


 祀は画面を食い入るように見つめた。


 孝太郎は自分の足で歩いている。


 拘束もされていない。


 やがて建物の敷地を出て、通りへと姿を消した。


 動画が終わる。


「ご覧の通りです。荒木孝太郎は解放されました」


 祀はすぐには答えなかった。


 しばらく画面を見つめた後、ゆっくりと息を吐いた。


「……そうか」


 その手には、まだ龍禍録が握られていた。


「フェイクとかじゃないよな?」


「もちろんです」


「……分かった」


 祀は巻物を見下ろした。


 かつて、自分が関わった龍災害。


 組織の利益を優先し、多くの人間を犠牲にした過去。


 その過去に深く関わるものが、今も自分の手の中にある。


 祀は一度だけ目を閉じた。


 そして、巻物を増井へ差し出した。


「持ってけ」


 増井はそれを受け取った。


「確かに」


 巻物の外装を確認し、慎重に懐へ収める。


「これが龍禍録ですね」


「ああ」


「ありがとうございます」


 増井は立ち上がり、病室の扉へ向かった。


 祀は何も言わなかった。


 ただ、孝太郎が映っていた携帯電話の画面を思い返していた。


 増井は扉の前で足を止め、携帯電話を取り出した。


 発信先はSだった。


「俺です」


 短い沈黙。


「龍禍録を確保しました」


『本物か?』


「千堂祀本人から受け取りました。外装も事前に伝えられていた特徴と一致しています」


『そうか』


 増井は返答を待った。


『では、千堂祀を殺せ』


「承知しました」


 通話が切れた。


 増井は携帯電話をしまうと、振り返った。


 祀が顔を上げる。


 次の瞬間。


 増井の拳が、龍包囲によって強化された。


 祀が反応するより早く、増井はベッドへ踏み込んだ。


 鈍い衝撃音が病室に響いた。


 祀の身体が崩れ落ちる。


 増井は倒れた祀を一瞥した。


 千堂祀は、もう動かなかった。


 増井は乱れた袖を直し、病室の扉を開けた。


 そして、何事もなかったかのように廊下へ出ていった。


 *


 その頃。


 孝太郎は一人、見知らぬ通りを歩いていた。


「……クソッ」


 結局、何も分からなかった。


 親父が過去に何をしたのか。


 自分たちの記憶に何があったのか。


 並木という男も、Sという人物も、最後まで正体を明かさなかった。


 孝太郎は携帯電話を取り出した。


 画面には、蓮たちからの着信がいくつも残っている。


「……心配かけちまったな」


 そう呟き、電話をかけようとした。


 しかし、指が止まる。


 脳裏に浮かんだのは、あの男の言葉だった。


 千堂祀は、かつて人為的な龍災害に関わっていた。


 自分たちの記憶も、書き換えられているかもしれない。


「……親父」


 孝太郎は携帯電話を握り締めた。


「帰ったら、全部聞かせてもらうからな」


 そう言って、再び歩き始めた。


 自分が解放された理由も知らずに。


 

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