取引 続き
一方、龍討祭の会場から離れた古い建物。
並木は携帯電話に届いた連絡を確認すると、孝太郎に向き直った。
「荒木さん。少し予定が変わりました」
「……何だよ、今度は」
「あなたを解放することになりました」
孝太郎は眉をひそめた。
「は?」
「もう、ここにいていただく必要はありません」
「おい、待てよ。さっき資料を見せるって言っただろ」
「申し訳ありません。その話は取り消しになりました」
「ふざけんな。勝手に連れてきといて、今度は帰れってか?」
「そういうことになります」
並木は淡々と答えた。
孝太郎は目の前の男を睨みつける。
祀の過去について、まだ何一つ確かめられていない。
それなのに、突然解放するという。
「……何かあったのか?」
「詳しい事情はお話しできません」
「何なんだよ全く」
並木は答えず、出口を指した。
「こちらへどうぞ」
孝太郎はしばらく動かなかったが、やがて舌打ちして歩き始めた。
廊下を抜け、階段を下りる。
建物の外へ出ると、冷たい風が頬を撫でた。
「ここまでです」
並木が立ち止まった。
「もう自由に帰っていただいて構いません」
「……本当に帰っていいんだな?」
「ええ」
孝太郎は周囲を見渡した。
追手らしい人影はない。
並木も、それ以上近づこうとはしなかった。
「……意味分かんねえ」
孝太郎は吐き捨てるように言うと、建物から離れて歩き始めた。
その背中を、並木は携帯電話で撮影していた。
孝太郎が敷地を出て、通りの向こうへ消えるまで。
撮影を終えた並木は、動画を送信した。
「……これでよし」
並木は携帯電話をしまい、建物の中へ戻っていった。
*
病室。
増井の携帯電話が短く震えた。
「届きました」
増井は画面を操作し、祀に向けた。
映っていたのは、建物の外を歩く孝太郎の姿だった。
「……孝太郎」
祀は画面を食い入るように見つめた。
孝太郎は自分の足で歩いている。
拘束もされていない。
やがて建物の敷地を出て、通りへと姿を消した。
動画が終わる。
「ご覧の通りです。荒木孝太郎は解放されました」
祀はすぐには答えなかった。
しばらく画面を見つめた後、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
その手には、まだ龍禍録が握られていた。
「フェイクとかじゃないよな?」
「もちろんです」
「……分かった」
祀は巻物を見下ろした。
かつて、自分が関わった龍災害。
組織の利益を優先し、多くの人間を犠牲にした過去。
その過去に深く関わるものが、今も自分の手の中にある。
祀は一度だけ目を閉じた。
そして、巻物を増井へ差し出した。
「持ってけ」
増井はそれを受け取った。
「確かに」
巻物の外装を確認し、慎重に懐へ収める。
「これが龍禍録ですね」
「ああ」
「ありがとうございます」
増井は立ち上がり、病室の扉へ向かった。
祀は何も言わなかった。
ただ、孝太郎が映っていた携帯電話の画面を思い返していた。
増井は扉の前で足を止め、携帯電話を取り出した。
発信先はSだった。
「俺です」
短い沈黙。
「龍禍録を確保しました」
『本物か?』
「千堂祀本人から受け取りました。外装も事前に伝えられていた特徴と一致しています」
『そうか』
増井は返答を待った。
『では、千堂祀を殺せ』
「承知しました」
通話が切れた。
増井は携帯電話をしまうと、振り返った。
祀が顔を上げる。
次の瞬間。
増井の拳が、龍包囲によって強化された。
祀が反応するより早く、増井はベッドへ踏み込んだ。
鈍い衝撃音が病室に響いた。
祀の身体が崩れ落ちる。
増井は倒れた祀を一瞥した。
千堂祀は、もう動かなかった。
増井は乱れた袖を直し、病室の扉を開けた。
そして、何事もなかったかのように廊下へ出ていった。
*
その頃。
孝太郎は一人、見知らぬ通りを歩いていた。
「……クソッ」
結局、何も分からなかった。
親父が過去に何をしたのか。
自分たちの記憶に何があったのか。
並木という男も、Sという人物も、最後まで正体を明かさなかった。
孝太郎は携帯電話を取り出した。
画面には、蓮たちからの着信がいくつも残っている。
「……心配かけちまったな」
そう呟き、電話をかけようとした。
しかし、指が止まる。
脳裏に浮かんだのは、あの男の言葉だった。
千堂祀は、かつて人為的な龍災害に関わっていた。
自分たちの記憶も、書き換えられているかもしれない。
「……親父」
孝太郎は携帯電話を握り締めた。
「帰ったら、全部聞かせてもらうからな」
そう言って、再び歩き始めた。
自分が解放された理由も知らずに。




