取引
第六十三話
龍討祭が終わり、龍牙連合の幹部会も閉会した頃別の場所で。
都内の病院では、千堂祀が病室のベッドに横たわっていた。
窓から差し込む夕日が、白いシーツを赤く染めている。
祀は枕元に置かれた水を飲もうと手を伸ばした。
しかし、何をしようとしていたのか、ふと分からなくなる。
「……あれ?」
手を止め、しばらくコップを見つめる。
「俺は……何を……」
そのときだった。
コン、コン。
病室の扉が叩かれた。
「……誰だ?」
「失礼します」
扉が開き、一人の男が入ってきた。
大柄な体格に、鋭い目つき。
男は祀のベッドの前で立ち止まった。
「千堂祀さんですね?」
「ああ……そうだが」
「少し、お話を伺いたくて」
祀は男を見上げた。
「どちらさんだ?」
「増井と申します」
「増井……?」
聞き覚えのない名前だった。
「何の用だ?」
「ある物を探しています」
増井は病室の扉が閉まっていることを確認した。
「龍禍録」
その名を聞いた瞬間、祀の表情が変わった。
「……何だと?」
「ご存じですよね?」
「何の話だか分からんな」
「そうですか」
増井は落ち着いた様子で椅子を引き、ベッドの横に腰を下した。
祀の目が細くなる。
「……お前、何者だ」
増井は答えなかった。
「当時、龍牙連合の会長を務めていたのは、あなたでしたね」
「……」
「そして、龍災害をきっかけに、連合は大きく勢力を伸ばした」
「何が言いたい」
祀の声が低くなった。
増井は身を乗り出した。
「龍禍録を渡していただきたい。それだけです」
「知らんな」
「そうですか」
増井は小さく息を吐いた。
「では、これを見てみるんだな」
懐から携帯電話を取り出す。
画面を数回操作すると、映像が映し出された。
薄暗い部屋。
椅子に座る一人の青年。
その姿を見た祀の顔から、血の気が引いた。
「……孝太郎?」
画面の中には、荒木孝太郎がいた。
孝太郎の傍らには、白衣姿の男が立っている。
増井は携帯電話を祀に向けたまま、静かに言った。
「生きているよ。まだ何もしてない」
「……おい」
祀の声が震えた。
「お前ら……孝太郎に何をした」
「龍禍録の事を聞き出そうと思ってなあ」
「ふざけるな!」
祀がベッドから身を起こした。
だが、急な動きに身体がついてこず、激しく咳き込んだ。
「無理をしない方がいいぞ。オイボレ」
「黙れ……!」
祀は増井を睨みつけた。
「孝太郎は関係ねえだろうが……!」
「それはどうかな……」
増井は画面を消した。
「龍禍録はどこだ?」
祀は何も答えなかった。
代わりに、荒い呼吸を繰り返していた。
龍禍録。
あれを求めている連中がいることは、以前から覚悟していた。
だが、まさか孝太郎まで捕らえるとは。
そこまでして手に入れようとしている。
祀は目の前の男を見た。
「……お前ら、鳴神所か」
増井の口元がわずかに動いた。
「さあ」
「とぼけんじゃねえ……」
祀はシーツを握り締めた。
あの巻物が何を意味するのか。
それを知っているからこそ、簡単に渡すわけにはいかなかった。
しかし、孝太郎の命がかかっている。
「……孝太郎を返せ」
「龍禍録を渡してもらえれば返す」
「先に返せと言ってんだ」
「バカか。それは無い」
祀は増井を睨んだまま、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと病衣の合わせに手を入れた。
「……探してるのは、これだろ」
取り出したのは、一巻の古びた巻物だった。
増井の目が止まる。
「それは……」
「龍禍録だ」
祀は巻物を握ったまま言った。
「ここにある」
増井は立ち上がった。
「これが…」
「ああ」
「ではいただくとしよう」
増井が手を伸ばす。
だが祀は、巻物を引っ込めた。
「誰が今渡すと言った?」
増井の手が止まる。
「……あ?」
「孝太郎を解放しろ」
「……」
「無事に解放したと確認できたら、これを渡す」
増井は祀の顔を見つめた。
「そうか」
祀は巻物を胸元に引き寄せた。
「お前らが欲しいのはこいつだろ。だったら、孝太郎に手を出す必要はねえ」
「確認できたら解放してやる。渡せ」
祀は巻物を握り締めた。
「孝太郎を返さねえ限り、こいつは渡さねえ」
増井は黙った。
龍禍録を発見した。
しかも、相手は自ら差し出すと言っている。
だが、孝太郎の解放を約束する権限までは、増井に与えられていなかった。
増井は携帯電話を取り出した。
「何をする」
「確認だ」
増井は画面を操作し、電話をかけた。
数回の呼び出し音の後、相手が応じた。
「私です」
増井は祀から少し離れ、声を落とした。
「龍禍録が見つかりました」
電話の向こうで、短い沈黙があった。
「ええ。千堂祀が所持しています」
増井は一度、ベッドの方を振り返った。
「荒木孝太郎を解放して下さい。」
「……」
祀は巻物を握り締めたまま、増井の背中を見つめていた。
その表情には、焦りと恐怖が滲んでいる。
やがて増井が口を開いた。
「……承知しました」
通話が切れる。
増井はゆっくりと振り返った。
「お待たせしました、千堂さん」
「……どうなった」
増井は携帯電話をポケットにしまった。
「ちゃんとと解放する。とのことで」
祀は息を呑んだ。
「口約束じゃなく証拠を見せろ証拠を」
増井は、静かに祀を見つめた。




