失踪
第六十話
医務室に運び込まれた孝太郎は、ベッドの上で意識を失ったままだった。
脇には銃弾がかすめた傷があり、神崎の龍術を受けた身体も大きな衝撃を負っている。
並木は孝太郎のそばに立ち、容態を確認するふりをしながら、その顔を見下ろしていた。
「……よく眠っているな」
小さく呟く。
孝太郎が意識を取り戻す気配はない。
並木は医務室の入口へ目を向けた。
廊下から人の声は聞こえてこない。
その代わり、遠くから会場の歓声が響いていた。
龍討祭の全試合が終わり、今は表彰式が行われている。
優勝を決めた龍牙連合。
最後の試合を制した神崎玲司。
会場の注目は、すべてそちらに集まっていた。
出場者たちも、仲間たちも、表彰式を見るために会場へ向かっている。
負傷者の対応にあたる医療スタッフも最低限の人数しか残っていなかった。
孝太郎の様子を見に来る者はいない。
並木は腕時計に目を落とした。
「……今なら、誰にも邪魔されない」
ようやく機会が巡ってきた。
これまで孝太郎に近づき、祀との関係を探ってきたが、巻物の所在は分からなかった。
ならば、やり方を変えるしかない。
並木は医務室の入口まで歩き、廊下の左右を確認した。
誰もいない。
扉を静かに閉める。
それから孝太郎のベッドへ戻り、周囲に置かれた医療器具を整えるふりをしながら、連れ出すための準備を始めた。
外では、再び大きな歓声が上がった。
神崎玲司の名が呼ばれたのだろう。
並木は窓の向こうに目を向け、薄く笑った。
「ずいぶんと盛り上がっているようだな」
誰もこちらを気にしていない。
今なら、孝太郎がいなくなっても、すぐには気づかれないはずだった。
並木はベッドの上の孝太郎を見下ろす。
「さて……こちらも早くしないとな」
足元の影が、静かに揺れた。
並木は孝太郎の身体を抱え上げると、医務室の扉をわずかに開けた。
廊下には誰もいない。
表彰式に人が集まっている今なら、多少の物音がしても気づかれることはないだろう。
並木は孝太郎を担いだまま、足早に廊下を進んだ。
裏口から建物を出ると、すぐ近くに一台の車が停めてある。
周囲を確認し、誰にも見られていないことを確かめると、後部座席のドアを開けた。
孝太郎の身体を押し込む。
ドアが閉まる音が、静かな駐車場に響いた。
「……これでいい」
並木は運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
車はそのまま走り出す。
向かった先は、会場から少し離れた場所にある古いビルだった。
人通りは少なく、周囲に目立った建物もない。
車が裏手に停まると、並木は後部座席を振り返った。
孝太郎は、まだ目を覚まさない。
「さて……所長に報告して次の指示を待たないとな」
並木は小さく呟き、再び車を降りた。
*
会場では、表彰式が終わろうとしていた。
優勝した龍牙連合の選手たちに拍手が送られ、会場の熱気もようやく落ち着き始めている。
蓮は周囲を見渡した。
孝太郎が目を覚ましたかどうかを気になっていた。
試合が終わってから、まだ一度も顔を合わせていない。
最後の試合で倒れた孝太郎は、医務室へ運ばれたはずだった。
「ちょっと様子を見てくる」
近くにいた仲間にそう告げ、蓮は医務室へ向かった。
廊下を進み、扉を開ける。
「孝太郎?」
返事はなかった。
ベッドの上にも、椅子にも、孝太郎の姿はない。
「……あれ?」
蓮は室内を見回した。
誰もいない。
医務室は、まるでもともと誰もいなかったかのように静まり返っていた。
「おかしいな……」
医療器具や備品はそのままだ。誰かが片付けたような形跡もない。
蓮はスマートフォンを取り出し、孝太郎に電話をかけた。
呼び出し音が続く。
しかし、応答はなかった。
「出ないか……」
もう一度かけてみる。
やはり、出ない。
蓮は通話を切ると、会場へ戻った。
「孝太郎を見なかった?」
近くにいた選手に尋ねる。
「いや、見てないな。医務室にいるんじゃなかったのか?」
「それが、いないんだよ」
「そうなのか? 悪い、俺も知らない」
別の仲間にも尋ねてみたが、返ってくる答えは同じだった。
孝太郎がどこへ行ったのか、誰も知らない。
試合のあとに話したという者もいなければ、会場の外へ出ていく姿を見たという者もいなかった。
「……どこ行ったんだ、あいつ」
蓮は眉をひそめた。
とはいえ、表彰式はすでに終わっている。選手たちも帰り支度を始めており、龍牙連合の一行も本部へ戻る予定だった。
蓮はひとまず自分の荷物を取りに行くことにした。
*
荷物をまとめていた蓮は、ふと手を止めた。
「……ん?」
自分の荷物の隣に、見覚えのあるバッグが置かれている。
孝太郎のものだった。
「なんで、これがここに……?」
孝太郎は試合に出る前、この荷物を置いていったはずだ。
医務室に運ばれたのなら、荷物を取りに戻る余裕などなかっただろう。
しかし、試合が終わってから時間は経っている。
それなのに、荷物だけがここに残されている。
蓮はスマートフォンを取り出し、もう一度孝太郎に電話をかけた。
呼び出し音だけが続く。
やはり出ない。
嫌な予感が、胸の奥に広がった。
「……積田さんに話そう」
蓮は荷物をそのままにして、積田のもとへ向かった。
帰りの準備をしていた積田を見つけると、すぐに声をかける。
「積田さん、ちょっといいですか」
「どうした、蓮」
「孝太郎がいないんです」
積田の手が止まった。
「いない? 医務室に運ばれたんじゃなかったのか?」
「俺もそう思って見に行ったんです。でも、誰もいなくて。電話にも出ないし、周りの人に聞いても誰も知らないんです」
「……そうか」
積田の表情が引き締まった。
「荷物はどうした?」
「それが、置いたままなんです。試合前に置いていった荷物が、まだそのまま残っていて」
蓮は言葉を切った。
「自分からどこかへ行ったなら、荷物を置いていくのも変だと思って……」
「確かに、おかしいな」
積田はすぐに周囲を見渡した。
「蓮、お前はここにいて、孝太郎と最後に話した人間がいないか確認してくれ。俺は他の連中に声をかける」
「分かりました」
積田は近くにいた龍牙連合の選手たちを呼び止めた。
「悪いが、全員に伝えてくれ。荒木孝太郎が見当たらない。会場内と周辺を探してくれ」
「孝太郎が?」
「何かあったんですか?」
「まだ分からん。とりあえず聞き込みをしてくれ」
その言葉に、周囲の空気が変わった。
優勝の余韻に浸っていた選手たちが、次々と動き出す。
神崎玲司も話を聞き、すぐに蓮のもとへやって来た。
「孝太郎がいないって、本当か?」
「ああ。医務室にもいなかった」
「そんか……」
玲司は険しい顔で会場の出口を見た。
自分との試合で倒れた孝太郎が、意識を取り戻して勝手に帰ったとは考えにくい。
堂本と東も合流し、周辺の確認を始めた。
蓮は医務室へ戻り、もう一度、室内を調べた。
ベッド。椅子。備品棚。
どこにも孝太郎の姿はない。
扉の前で立ち止まり、蓮は拳を握った。
「……孝太郎、どこにいるんだよ」
返事はない。
龍牙連合の優勝を祝う歓声は、もう聞こえなかった。
その日、龍牙連合の選手たちは本部へ戻る予定を変更し、孝太郎の捜索を始めた。




