黒龍
第五話
黒龍が、一歩踏み出す。
その瞬間――
地面が沈んだ。
「っ!」
蓮は思わず後ろへ飛び退く。
黒龍はただ歩いただけだった。
それだけで木々が軋み、空気が震える。
試験用の龍とは、存在そのものが違う。
「こんなの……勝てるわけが……」
受験者の一人が震えた声を漏らす。
次の瞬間だった。
黒龍が咆哮する。
「――――ッ!!」
爆風のような衝撃が森を駆け抜ける。
何人もの受験者が吹き飛び、木へ叩きつけられた。
悲鳴があちこちから上がる。
「逃げろ!!」
「いやだ! 助けてくれ!」
試験会場は、一瞬で地獄へ変わった。
蓮は倒れた少年へ駆け寄る。
「立てるか!」
「む、無理だ……足が……」
肩を貸して立たせようとした、その時。
ズン――。
黒龍の巨大な影が二人を覆う。
顔を上げると、黄金色の瞳が蓮を見下ろしていた。
終わった。
誰もがそう思った。
だが――
「下がれ。」
静かな声。
蓮の前へ、一人の少年が立つ。
試験中に言葉を交わした、あの少年だった。
彼は腰の刀を完全に抜く。
刃には赤黒い龍術が絡みつき、空気が震え始める。
「お前……龍術が使えたのか。」
蓮が呟く。
少年は目を細めたまま答える。
「使える。」
「でも、この程度じゃ勝てない。」
その言葉には、焦りではなく確信があった。
黒龍が爪を振り下ろす。
少年は一歩だけ前へ。
「龍術――」
刀が光る。
「裂牙。」
一閃。
衝撃波が一直線に走り、黒龍の胸を切り裂いた。
森中の木々が、その余波だけで真っ二つになる。
しかし。
傷は浅い。
黒龍は表情一つ変えず、ゆっくりと傷口を再生させていく。
「……再生まで。」
少年が初めて顔を曇らせた。
黒龍は口元を歪める。
まるで笑ったように。
そして、その視線は少年ではなく――
蓮へ向いていた。
「……俺?」
黒龍が狙っているのは、自分。
理由は分からない。
だが、その瞬間。
蓮の胸の奥が熱く脈打った。
心臓ではない。
体のもっと深い場所。
何かが目を覚まそうとしていた。
蓮の耳に、誰のものでもない声が響く。
『ようやく見つけた。』
蓮は思わず目を見開く。
「……誰だ?」
返事はない。
だが、胸の鼓動だけが激しく鳴り続けていた。
黒龍はゆっくりと口を開く。
今度の一撃で、この場にいる全員が消える。
誰もがそう悟った。
そして森の奥から、一つの怒号が響く。
「全員伏せろォォォ!!」
その声と同時に、圧倒的な龍術の気配が森全体を包み込んだ。
──第五話 終




